
ども、
えー、今回は、先日、ブリキの国鉄バスをご紹介した折、話題となりました“国鉄連絡船、大島航路”でございます。
“日本の鉄道連絡船”という本を、当方自宅の押入れ文庫から発掘いたしましたので、こちらからご紹介いたしましょう。
<(_ _)>、どもども♪
さて、今は廃止された、
“国鉄連絡船、大島航路”は、山口県は瀬戸内海に浮かぶ屋代島(通称:周防大島)と本州の間(大畠瀬戸)を結ぶ、延長二キロ程度の可愛い航路でありました。
元々、山口県が赤字運営していたものを、終戦直後の昭和21年1月に当時の国鉄が引き取ったもので、鉄道連絡船という性格からは外れてしまいそうですが、昭和23年から島内に国鉄バスが走るようになりましたので、ま、国鉄の連絡船として間違いではありませんねー、
山陽本線の大畠駅と周防大島の小松港の間で運行され、大島島内は小松港を基点に国鉄バスが運行されていました、また、当時の大畠駅は急行列車を初め、一部優等列車も停車しており、大変な賑わいでありました。
実際、岩国駅で切符を買うときに、大島島内の久賀と云うバス停までの
“通しの切符”を買うことができましたし、国鉄バスの車内で車掌さんから、目的地の国鉄線の駅までの切符も買えました。
当方は、ばーちゃん家が周防大島と云うこともあり、これら連絡船をよく利用しましたが、子供のころは、どうして、バスと連絡船と電車の切符が一枚で済むのか不思議でなりませんでした。
また、船に乗るのがとても楽しくて、短い時間ながら船旅を満喫していたものでして、ま、考えてみれば良い時代だったと思います。
当時の船舶については、別途
コチラ にアップいたしましたが、昭和51年7月4日に島民待望の大島大橋が完成、大島航路は廃止されてしまいました。
寂しいといえばそうなのですが、大島大橋が完成すると、それまでの、どこか暢気な島内の様子は大きく変わってしまいました。
当時は、海岸線を埋め立てて作られた新しい道路に喜んでいたものですが、あの自然の美しい海岸線は、もう返ってこないのですよねー
しみじみ(´_`ヽ)、、
ささ、と云うわけで、今日も仕事です。
ぼちぼちと行ってみましょー
でわでわ、、
Posted at 2009/03/13 07:56:34 | |
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