■福島第一は政商にして政治家堤康二郎が(堤義明の父)
「塩田」として所有する土地に建てられたふしぎな設備です。
■要するに利権であり、防波堤も既存の防波堤に付け加えられたと言われていますが
詳細は検証が必要です。
■実際にどのような防波堤であったか、今一度何故津波が巨大化したか
を申し上げたいと思います。
福島第一発電所の防波堤は、ある一定箇所に開いています。
それは北東方向です。

これは海から見た映像なので分かるかと思います。ぱっくりと北東方向に開口があります。
次に証拠となる写真を提示します。
2011年04月11日
【防波堤が裏目】福島第一の津波巨大化の原因は?【岸壁の形】
でウィキより転載した画像です。
北東の波が波紋をもって、第一の1,2,3,4号機の前に到達しています。
この2枚の画像を見た後で、1960年チリ津波の増幅を見てください。
■そう、宮古市、津軽石のような津波増幅が起きる見事なリアス式防波堤だったわけです。
■そして防波堤方向の海溝には震源域及びその周辺の破壊岩盤があるのです。

大事なのは、破壊岩盤は震源を中心に南北に破壊されているので、震源から津波が来た
と言う意味ではありません。しかし、北東方向の津波波動を増幅して取り入れたことは
恐らく津波を増幅する結果となった事は皮肉な現実としか言いようがありません。
防波堤の形の原因の方が大きいかもしれませんが・・・
■
東北大学箕浦教授のHPから
貞観津波のデータを拝借しましょう。
今回の震源域は貞観津波よりも震源域は南に大きいものでした
相馬の下に、震源域から離れていますが津波高の薄い増幅帯が見えます。
もしかすると、この位置は福島第一かもしれません。(その内検証します)。
■逆に増幅域でなければ、堤防に問題があると言う事になるのでしょう。
どちらにせよ、津波は見事に増幅され、その結果、このような惨状になりました。
■でもね、でもね、この土地の元の目標は???
そう、「
塩田」です。
塩田はどうやって塩を作るのでしょう。
「海水を引き入れる」からに決まっています。
ここは「潮の満ち干を伝えやすい」そういう場所だったと言う事です。
だから、塩が、化学的に作られるようになり、塩田周りは不毛の土地として放棄されました。
そして政商の手を経て、原発用地として転売されたわけです。
■だから、あの巨大地震が、あの角度で、あの津波で起こったとき、
超巨大な津波が福島第一を襲う事は残念ながら・・・
運命付けられていたのではないでしょうか?
最後に結果としての「津波高さ」このエントリーを終ります。
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津波の巨大化 | 日記
Posted at
2011/05/15 12:10:52