春は南天が綺麗ですね。
心穏やかに、でも三月辺りに二荒れあるでしょうが、
それでも春は間近です。
今日は建国記念日ですが、
おおよその主張は、赤旗の言うことは
遠くはない、ということでしょうか?
根拠があろうがなかろうが、
それくらい長い歴史があるので、
史書に頼るしかないんだよ?というのが日本の
建国記念日ですね。
嫌だったら、明治天皇の即位日とか
そうですね、スメラギノミコト、ということであれば
天武天皇の即位日(227)でもいいかとは思いますが、
天武天皇に関しては、226に近すぎますし、
ウリナラ起源をほざくアホもいるので、
そうなると無難に紀元節で落ち着くしかないのかな?
なんて思います。
はっきりと解らないくらいの歴史があるから
その歴史に思いを馳せるのが恐らくは
正解なんでしょう。
結論からいうと、今後も天皇制を続けていく事が重要で
その血を歴史に則って紡いでいくことが
重要だと思います。
狂信も火病も必要ありませんし、
醤油業を被差別に直結させるような
そういう文化を貶めるような
片棒を担ぐのは罷めましょうね。
其を言えば歌舞伎も河原者ですし
阿国躍りから来たとか来ないとか?
そもそもの被差別自体が、支配強化の
材料と使われたものです。
当時はマニュフェストもなく、穢れの文化です。
残念ながら人の心こそ、
差別を産み出すもので、
今はそれが金になるから
なぜか特権化しているだけですしね。
武士なんかヤクザの殺人狂な訳で、
その極道イズムを、矯正し
支配体制に用いるのに葉隠れ等が
編纂されていきました。
そりゃ黙って死んでくれた方が
仕えられる側には有り難いですし、
清原がヌル山がのさばってちゃ
世の中は安定しません。
人切り以蔵も、只の殺人者な訳で
そういうのに対抗して新撰組が、
郷士の三男坊等で作られたわけで
つまりは必要とされる価値観と
人材は変化するものと言えます。
と言うわけで、明治の世に武士は要らぬものとされ
その中で政商になるもの、或いは反乱を
起こすものもいました。
平民の軍隊が組織されていくのもこの頃です。
つまり、やはり要らなくなれば、
役に立とうがたつまいが
煮られてしまうんですよね。
その中で血を継ぐと言うことは、
尊いことでもあり、
また本当は意味のないことでもあります。
大事なのは祀りを続けていく事が
重要なのですから
血が全てではありません。
でも意味がなくても、それが一番
説得力を持つものだから
血は継がれてきました。
だったら、継承者が血を継がないことに
仕立て上げれば、其を信じる人は
国に仇なすもの、となります。
必死になって国威を否定する、
そーいう陰謀系は、そうですね
米中双方が好きなやり方ですね(苦笑)
敵を使って敵を損なえば、
これほど楽なものはありません(笑)
陰謀を用いて、陰謀を仕込み、
後は、レンジでチンで放っておけばいいので
お手軽に使われてます。
それに左右される人が多いとも思いませんが
例えば…
気温を聞くなら、桜の花(気温への感受性)
季節を聞くなら、梅の花(光への感受性)
等と一寸したことを知っていれば、
カルトな知識に惑わされることもなく、
世の動きを知りつつも、のんびりと眺めることも
叶いましょう。
兎も角も、祭り上げすぎず、
蔑みすぎず、日本の国のあり方を考えるのが
建国記念日の意義であり、
植民地でもない限り、この日が解放記念日
みたいなのは明確には存在しません。
その制度を貶めることなく、
読み応えに惑わされずに、
謙虚に手を合わせられることの
幸せこそが、建国記念日のもう一つの意義に
感じます。
だからといって、共産党の肩を持つことは
永遠にあり得ませんけどね(笑)
Posted at 2016/02/11 21:33:17 | |
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