水没した新幹線基地は氾濫原だったことが分かってきました。
というか、遊水池ですね…。
ダムを上流に作って…と思ったら本流が破堤したという
笑えない話だったわけですが…。
逆流型遊水地で作用している場所だったようで
どうも今回の水害の遠因にもなったようです。
また下水処理場も水没したようですね。
水害によって、逆に意味合いが分かるという場合もあるのが、
災害自体は全く笑えませんが…
(ある意味では)面白いです。
遊水池を失ったことで、より多くの圧力が
本流に堤防にかかってしまったことが分かります。
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さて、気になったのは破堤場所。
遊水池を失ったにしろ、がっつりいかれています。
構造的に何らかの遠因は…ありました。
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この場所、お寺に挟まれた場所ですが…
(妙笑寺と貞心寺)
何と
城跡そのものなんです。
そしてこの妙笑寺には
江戸時代の非常な洪水の跡が残されているそうです。
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ちなみに城ができた(整備された)のは武田信玄の時代です。
浅川は、武田流治水では遊水を果たしたでしょう。
そしてそこには、水城があったわけです。
そしてその真上に堤防はあったわけです。
可能性としては、城跡を削った後で盛り土しているはずです。
ここだけは二段作りになっていた可能性があります。
もちろん越水していますので
何とも言えないのですが、
城跡を生かして、堤防を曲げていたというのは
城跡の案内図上も明らかです。
ただ堀に囲まれた城ですから
地盤は軟弱で地下水も残っていたのではないか?
という推測が成り立ちます。
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勿論、反乱危険水位は越えている中なので
城跡だから、という訳ではないのですが
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堤防の不自然な曲がりには
実は歴史ミステリーが隠れていた可能性がありそうです。
形と城跡がピタリと符合しますし、
破堤個所はお堀の位置にはまっているのは
偶然ではない、と考えたほうがいいのかもしれませんね。
Posted at 2019/10/18 20:53:49 | |
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気象を科学しよう | 日記