2012年06月04日
775年という平凡な年(宇宙線は20倍降り注いだけど)
の続きです。
屋久杉の年輪にあった20倍の宇宙由来の放射線の跡…
歴史書にかかれるような、疫病の発生はなかった年なのですが
貴人の世界ではいかがだったのでしょうか?
この時勢は
桓武天皇の父光仁天皇の時代
ウィキでも覗いてみましょう
即位後、井上内親王を皇后とし、他戸親王を皇太子とするが、宝亀3年(772年)3月2日、密告により皇后である井上内親王が呪詛による大逆を図ったとして罪し、皇后を廃した。5月27日、皇太子の他戸親王も廃し庶人とした。翌 宝亀4年(773年)高野新笠から生まれた山部親王を立てて皇太子とした。のちの桓武天皇である。この背景には、藤原百川ら藤原式家の兄弟と彼らが擁立する山部親王の陰謀があったとされる[2][3]。さらに、宝亀4年(773年)10月14日、天皇の同母姉で二品の難波内親王が薨去されたことから、10月19日井上内親王は難波内親王を呪詛し殺害した巫蠱・厭魅の罪で、大和国宇智郡の没官の宅に幽閉され、連座して王に落とされた他戸親王も ともに幽閉されてしまう。やがて、宝
亀6年4月27日(775年5月30日)、二人とも変死という運命を辿る。これによって天武天皇の皇統は完全に絶えた。ところが、藤原式家の兄弟も、かつて皇后であった井上内親王の変死後に相次いで亡くなることになる。
宝亀6年(775年)、藤原蔵下麻呂(九男)、42歳で没。
宝亀8年(777年)9月18日、藤原良継(次男)没。藤原清成(三男)没
宝亀10年(779年)7月9日、藤原百川(八男)没。
天応2年(782年)、藤原田麻呂(五男)没。
光仁天皇の即位について藤原百川とともに便宜を謀った藤原蔵下麻呂が急死したことを受け、宝亀7年(776年)、祟りを恐れた光仁天皇自身により秋篠寺建立の勅願を発せられる。開基は善珠僧正。(山部皇太子の第一皇子として出生した安殿親王(後の平城天皇)も病を得られるが、善珠僧正自ら回復祈願を行い見事平癒した。)
だが、天変地異は続いた。
宝亀6年 7月から8月、黒鼠の大群・雹・飢饉・野狐・風雨。 8月22日、伊勢・尾張・美濃で風水害。伊勢斎宮を修理。 9月20日、霖雨。(幾日も降り続く雨) 10月6日、地震。
翌 宝亀7年 2月6日、流星。 4月1日、日食。 6月4日、太白、昼に現れる(国の乱れる凶兆)。 6月18日、京と畿内で大祓を行う。旱魃のため黒毛の馬を丹生川上神に奉献する。 7月19日、西大寺西塔に落雷。 8月13日、大風。 8月15日、全国で蝗の害。 9月、毎夜瓦・石・土塊が内豎所の庁舎や京中の家々の屋根に落下。20日余り続く。 10月9日、地震。
翌 宝亀8年2月28日、畿内五ヵ国で疫神を祀る。 2月30日、日食。 3月19日、宮中で頻りに怪異、大祓を行う。 4月、雹・氷が降る。また太政官・内裏の建物に落雷。 5月、霖雨。(幾日も降り続く雨) 8月、霖雨。
宝亀8年(777年)11月1日、光仁天皇が不豫(病)となり、12月、山部親王(桓武天皇)も死の淵をさまよう大病を得た。この年の冬、雨が降らず井戸や河川が涸れ果てた。『水鏡』は記す。「冬雨も降らずして世の中の井の水みな絶えて宇治川の水 既(すで)に絶えなむとする事侍(はべ)りき」。
これらの事が井上内親王の怨霊によるものと考えられ、皇太子不例(病)の3日後の同年12月28日、井上内親王の遺骨を改葬し墓を御墓と追称、墓守一戸を置くことが決定した。
宝亀9年に入り、皇太子平癒のため東大寺・西大寺・西隆寺の三寺で誦経が行われた。
宝亀9年 3月24日、皇太子が病に臥して、病状思わしくない状態が何ヶ月も続いていることから、天下に徳のある政(まつりごと)を示すために大赦の勅を発することとなった。
宝亀9年 3月27日、皇太子回復のため、幣帛を伊勢神宮と天下の諸社に奉納された。畿内と畿外の各境界で疫神を祀らせた。
宝亀9年10月25日、皇太子自ら病気平癒の御礼のため伊勢へ。
70歳を超えても政務に精励したが、天応元年(781年)2月、第一皇女能登内親王に先立たれてから心身ともに俄かに衰え、同年4月3日、病を理由に皇太子に譲位。同年12月23日、崩御。皇后死後、6年と8ヶ月のことであった。
和風諡号は「天宗高紹天皇」(あめむねたかつぎのすめらみこと)である。
ほほう、どうやら「祟りが相次いで」
史書の一部の記録が消されてますね。
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■この時の祟りと貴人の死は内部被ばくの障害であった可能性があります。
20倍とすれば、人間も最大50000bqを体に取り込んだ可能性があり
食が豊かな貴人程、危険性は成り立つという仮定が成り立ちます。
775年は宝亀6年、
ちなみにウィキでも死人として登録される人が急きょ伸びてました(笑)
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■昔の事なのでよくは分からないんですけど
体内バックグラウンド(いろいろ含めて7000bq)が数倍に伸びると
謎の症状が伸びるのかもしれません。
(可能性は残しておいた方が面白い)
■ちなみに気になるのが1054年のかに星雲
但し7000光年のかなたです。
もしもオリオンのベテルギウスが超新星爆発を起こしたら
その謎は解明されます。
■もしかすると内部被ばくは…贅沢病なのか^^;
折角なのでちょっとそんな発想に浸ってみるのもいいのかもしれませんね。
桓武天皇が歴史上内部被ばくで記録された第一号だったとすれば
非常に面白いですね^^
宝亀6年 7月から8月、黒鼠の大群・雹・飢饉・野狐・風雨
く、黒鼠??笹の花でも咲いたんでしょうかね?
真偽はどうあれちょっと面白い話が出てきましたので書いてみました。
原因不明の祟りの正体が放射線だったとしたら面白いですね。
ただ、太陽の調子がおかしく相当天変地異が起きたようです。
なかなか不思議な話ですね^^
■さて平穏な年としましたが、平穏じゃなかったかもしれない。
でも6割や7割死んだわけじゃなさそうです。
なかなか興味深いかもしれませんね^^
Posted at 2012/06/06 21:16:00 | |
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過去の歴史と放射線 | 日記