くるまって色々な楽しみがありますよね。
自分はその色々な楽しみ方を否定する気はありません。
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自分は「こうしてるこう感じてる」と言う事を書くと
いい悪い、優劣或いは、こいつは悪いとか
そういう合戦が始まる事がありますが、
車の意義は移動手段であり、その移動と言う行為に
如何に楽しみを感じるか、リフレッシュを得るか、と言う事にある様に思います。
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変な言い方「環境とか言う時点」で車は「捨てた方」がいいし
エコも結局はガソリン代が得した気分だから流行っている、だけですよね。
だってどういう手段をとっても、
エネルギーを得る為にはエネルギーの投資をしなくてはいけない。
太陽電池の為には膨大な電気代がいる、みたいにね。
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さて、今日もマツダの話題から引っ張りましょうか。
楽しいのは、きっと悪い事をしているからだ
悪い事もせずに楽しいのは、愚鈍だからだ
みたいな風潮、たまにみんカラで見かけます。
そういう思い込みで人を見るのは
自分はあまり好きじゃありません。
腕のいい悪いとか、ではなく
挙動や、細かい事でも運転の「快と不快」は
ある様に思うんですよね。
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サーキットじゃなきゃダメなのか?
流れに沿ったドライブでは、それは下手くその
愚行なのか
その辺りの性能優先主義、或いは環境優先主義は
実は何気に、車文化に偏りを生じさせ
日本車のガラパゴス化を招いているようにも見受けます。
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■実はマツダはどうも日産を徹底して狩り場にしていますよね?
国外生産VS国内生産
とことんコストダウンVS高く見えるように工夫
デザインでは
CX-7VSムラーノ(先代)
アクセラVSスカイライン等など
その辺りの性能に表れない、
官能の部分を結構大事にしてきたのが日産だった訳で
その部分をマツダはどうも取り込もうとしている。
(最近の大衆車の日産の手抜きは苦笑レベル)
自分も日産ユーザですが、
選ぶ車が凄く減ってきているんですよね(苦笑)
いらない機能でオプション80万とか
本気要りませんもん。7年位で壊れるし。
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■でもこれも一つの「尺度」に過ぎません。
人の価値観には色々な「尺度」があって
その尺度を一本化するのは、
仕事や学業だけで十分で
人の趣味を序列化しようと言う人々は
一体何様だ?ってなる訳です。
お金もかけてないし、
そもそも呼んでもいない人が
文章一つで、「きっとこうに違いない」と
妄想を勝手にたくましくして挑みかかって来る
と言うのはあんまり好ましい事には思いませんが
意外とそういう人っていない訳じゃありません。
「きっとこうに違いない」ではない証拠を出せ
…ゴネ屋の言いがかりに見える時もあります。
「「反抗的な眼付」ではない証拠を出せ」みたいなものです。
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■もちろん…
価値観の軸は沢山あって
その中で「言いたい事」が
はっきりしている事は大事です。
ですが…「言いたい事」は
段々とインパクトを失っていきますし
「燃費や環境」が全てなら、それを上回るのなら
価値を全部失うんだろうか?
その「人間性や業績」が全て否定されるのだろうか?
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と言う話をすれば人は「そうだね」と言うのですが
残念ながら一度すりついたイメージを取る事を
人間は上手にする事が出来ません。
もちろんそれは自分も同じ事です。
「見えない価値」に注力出来なければ
「見える価値」を幾ら訴えても
訴求力はあまり強くはないのです。
いわばそれは「ブランディング」の両輪であって
ただ、その価値観の揺らぎが
「相手に極めて有利な人」がいれば
自分はそれを一つの目安にしています。
自分の7が、相手の10と等価であれば、
大事にしなければいけませんし
自分の10が相手の3と等価だと言うなら
所詮その人と長い関係は築けない、
と判断していたりします。
(損切りですね)。
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■結局困った時に、何だかんだ言いながら、
味方でいてくれる人と
勢いがいい時に、ほめそやしてくる人間は違いますし
風向きが悪くなった時こそ、人の価値と言うのは
分かるのかもしれませんね。
多分その時に本当の人間性って結構出るんですよ。
一見効率からみると無駄ではあるのですが。
そういうのを大事に出来る人間でありたいなって思います。
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もう
多くの人からは遠くの記憶になってしまいましたが
震災の際には本当にその大切さを味わいました。
困った時に助け合うことの重要さは
災害の多い日本だから
なおさらあるのかもしれませんね。
Posted at 2014/07/22 21:44:39 | |
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