■日本のジャーナリストは後出しが大好きな気がする。
別にいいんだ、後出しが好きだって。
でもね・・・往々にして、勝手な話が付け加わる時があると思うのは気のせいだろうか?
■今回の原発事故がいろんな意味で123便にならないことを願っています。
結果もそうですし、
現場トップへの配慮もそうです。
あの時機長の操縦が下手だとか、機長のせいだとか日本人は大人気なかったです。
123便墜落事故、辛く、悲しい事件でした、御冥福を祈りたい事件です。
あの日のニュースの7時の終わり際
日本航空123便が連絡を絶ちました、と言う終り方は、何故か未だに印象に残っているのです。
そして失敗情報データベースでも後付のよもやま話が堂々と載せられています。
「後付で批判し、自分はあたかもすべてを見通していたもののように語る」
つい陥りがちですが、私自身も自戒としたいと強く願っています。
■失敗情報データベース
御巣鷹山の日航ジャンボ機の墜落
ここによもやま話がついている。
1989年、ユナイテッド航空で尾部第二エンジンのディスクが破壊して油圧制御が不能になる同様の事故が発生したが、機体に何が起こったか操縦要員が十分把握できず元の飛行場に引き返そうとした日航機の場合とは異なり、機体に起こった事象がほぼ正確に操縦要員に把握されたことにより直近の空港に緊急着陸を試み60%以上の搭乗者が生還した。
操縦者が自らの機体に何が生じたのか正確に知った上で対処すれば、最悪の事態は免れる可能性がある。日航機では貨物室ドアの破壊と誤認し、帰投できると考えた。他機の支援を受けて確認する機会はあったのである。ユナイテッド航空の場合は、エンジン破壊を理解し、直近空港に緊急着陸を試みて成功した。
■どうやらユナイテッドの機長は勇敢で賢くて
123便の機長はアホで、
現状把握が出来ず、
要するにチャンスを逃した愚か者でしたと言いたいらしい。
■
後出しの局地
に腹が立った。
■実際のユナイテッド232便の事故はどうであったろう。
ユナイテッド232便事故のウィキペディアでこのように書かれている。
非番で搭乗していたフィッチ機長にその鍵がある。
機長(DC-10教官兼任):デニス・E・フィッチ (Dennis E. Fitch) 46歳。
空軍州兵として約1,500時間程飛行した後、ユナイテッド航空に1968年2月入社。ユナイテッド航空におけるDC-10の飛行時間は総計2,987時間、内訳はセカンドオフィサーとして1,943時間、ファーストオフィサーとして965時間、機長として79時間。当時デンバーのユナイテッド航空訓練センターで教官(訓練チェッカー)として勤務していた。
事故機には非番で便乗しており、事故発生後は不時着の瞬間まで彼が事故機のスラストレバー(エンジン推力制御レバー。自動車のアクセルペダルに相当)を握った。彼はJAL123便事故の教訓から油圧が抜けて操舵不能になった場合の操縦法を研究していた。2010年10月、脳腫瘍のため死去。疾患を公表した後も、「今回の苦難は前回よりもより勝ち目のない戦いかも知れない、だが希望を捨てないことの大切さを私は前回の事故で学んだ」と全米で講演し、がん患者を勇気づけ続けた[1]。
また対応にはこうも書いてある
機長のアルフレッド・C・ヘインズを始めとする3名の運航乗務員と、非番で便乗しておりヘインズに支援を要請された機長(兼任DC-10教官)デニス・E・フィッチは、目視点検により機体は油圧系統・3系統全てが切断され全滅してしまった(=操舵不能になった)ことを知る。
この緊急事態にも、
フィッチが日本航空123便墜落事故を教訓に、JAL123便で運航乗務員たちが行っていた油圧系統が全滅した場合の操縦方法を研究しシミュレータにより訓練していたことと、ヘインズ達232便運航乗務員は極めて豊富な経験を有していたことが幸いした。また、JAL123便の垂直尾翼脱落のような、機体形状へのダメージが無かったことも幸いであった(JAL123便は、油圧喪失による操縦不能に加え、尾翼喪失によって航空機として安定した飛行をする為の機体形状も失われていた)。 彼らは残る1番(左翼)および3番(右翼)エンジンの推力操作だけで、機体の姿勢を立て直した。そして、アイオワ州スーシティのスーゲートウェイ空港(IATA: SUX/ICAO: KSUX)までたどり着き、冷静沈着に不時着を試みた。
■そう、JAL123便の時とは条件も違い、ましてや「123便研究」の第一人者が搭乗していた。
123便の際の機長の操縦を改善したものが、フィッチ機長の操縦だったと言われている。
増してその元になったJAL123便の操縦こそが、名人芸だったと言う事を忘れてはいないだろうか。
JAL123便墜落事件でも以下のような表記がある。
同機は、右旋回して羽田空港に引き返そうとしたが、異常発生の数分後には、油圧系統(ハイドロコントール)のほぼすべてを喪失し、方向舵や昇降舵などの操縦機能のほとんどを失った。その後、同機にはフゴイド運動とダッチロールが発生し、
パイロットは左右4基のエンジン出力を増減する操作によって高度、方向、機体姿勢の安定を図ったと思われる。
参考に
日航機123便墜落事故ボイスレコーダーの機長の言葉
と聞く度に辛い思いになるが、あえてボイスレコーダーと飛行機の進路について
動画?を載せます。
■羽田への進路が取れなくなった後、機長はこういうのです。
「もう、だめかも分からんね」
■今回の事故ではそんな言葉は出ていないはずです。
今後も出ないよう、私達は掃除に励みながら前向きに生きていく必要があると言えるでしょうね。
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福島第一事故における検証 | 日記
Posted at
2011/05/16 01:37:29