この記事は、
約束の地について書いています。
■論理的にというのは時に残酷です。
いえ、残酷なのは己の心なのだろうとはよく思います。
自分は「「論理的には」こういう事?」と言った時に
物凄く残酷な台詞を吐く事がよくあります。
とはいえ、日常ではそんな言葉を吐くことはめったにありません。
ただ、「あいまい文化」に生きていながら、ついはっきりさせたがる所は
悪いところなのかもしれません。
■今回もまたそうなのでした。
2つ前のエントリーで「日本と福島、どちらを捨てるの」という
きつい事を書きました。
本音は「そうならないようにパフォーマンスでもいいから除染して」
となりますが、
つづる言葉は、もうメードインジャパンアウトオブフクシマが来るよ
どうするの?ときつい物になってしまいます。
■写真を拝見して申し訳なくなります。
利害がない事をいい事にきつい言葉をポンポン吐いている物ですから
御気分を害された事もあるのだろうなと
恐縮をしてしまいます。
匿名と言うのは、ありがたいもので
利害を考えずに発言をすることが出来ます。
もちろん人としてのモラルを守る事は当然の事ですが
普段では言えないきつい事をいう事が出来ます。
そんな私にはフェイスブックなんて絶対無理です。
■原風景でちょっとした事を思い出す事があります。
子供の頃、友達達と子猫を拾いました。
でもみんな「親に言うのは無理だ」と言う事で、
子供達でやってみることにしました。
数日後、餌をみんなで差し入れたものの
子供達が箱に放置した猫は、死んでしまいました。
冷たくて、硬くなった猫がそこにいました。
■それまで、親が動物は拾ってくるなと頑なに言っていましたが
何故か分かった気がしました。
見た目の優しさでは、生き物は救えないから。
拾ってきたものを「捨ててこい」と言うのは、「殺せ」と同義だから。
一度拾って面倒を見るということは
一生と言うか少なくても大人になるまでは面倒を見ることだから。
それを、冷たくて、硬くなった姿から、手で学びました。
■その前も、蛙とかゲンゴロウとかしか
もって帰ってきた事はありませんでしたが
その後生き物を持って帰ってくる事はありませんでした。
■未だ人の親になったわけではありませんが
人の親になった時に、多分この偏屈な性格の半分を受け継ぐわけで
「元も子もない」事をきっと言うのだろうな、と思うと、
笑えるような笑えないような困った気分になるのでした。
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浄化のステップ | 日記
Posted at
2011/05/21 21:32:14