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東北大学流体研究所HP実に素晴しい情報が沢山あります。
一生懸命仮説を立てているのはこういった答え合わせが面白いから。
日本の俊英がここにいます。
現実は面白くない結果なんですけどね・・・
是非是非一度御覧下さい。
■さて、東北大学の論文
注入水量と崩壊熱の比較によって
「
21日のプルームがどぎつかった訳」が分かってきました。
圧力が高まって、注水不全を1,3号機で起こしています。
3号機については余りにパラメータがひどく、再臨界したと思う。
と述べていますが、大方はずれではないようです。

1号機の再臨界のような動きは実は、21日の後位に起きていますが
それは発熱量が1号機の方が3号機より少なかったかもしれませんね。
後ある程度その頃の1号機容器は密閉性が少し残っていますので、
その影響もあったかもしれません。
■正直20日前後から25日前後は、
原子炉の蓋がいつ開いてもおかしくなかったのでは
と思われます。
格納容器でも一緒です。
地獄の蓋と言い換えてもいいですが・・・
■4月に、パラメータやデータと実際の被害との乖離が大きく
最初から石棺入りだった(格納容器外殻)と気付きますが
穴が開いていたにしても小さい穴で、良いガス抜きができた、
ということなのでしょう。
2011年04月06日
【嫌な発見】チェルノブイリの石棺とは格納容器の外殻であった
■しかし、これらのデータは、一つの悪い知らせでもあります。
注水せずに原子炉で何らかの反応が起きて、
そのガスのプルームが
21日に関東を襲ったと言う事なのですから。
同時に21日のプルームで、静岡に低気圧が接近していた事に触れていますが
このときのWSPEEDIがちょっと知りたいですね。
静岡が、連続プルームだったのか?、
低気圧の前線を利用したワープだったのか?
■想像もしたくないようなことが、3号機の炉内では巻き起こっていた確率が強いと言えましょう。
結果的には、私が3月18日に言い放った、
「
逃げたい人は逃げれば良い」は、まさに正論だったようです。
「
正論であった事が悲しく、同時に滅びの予言でなかったことがうれしい」、という
悲喜こもごものことではあるのですが
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シリーズ3月21日 | 日記
Posted at
2011/06/13 13:02:53