■新カテゴリーを作りました、
今、モンテカルロさんを漁っていますが・・・
お盆の時期に第二原発が「ベント直前だった」事が出ていました。
東京新聞のリンクが切れていなかったので転載します。
お盆中とはいえ、まあ予想範囲内ですが知らなかった。
■反原発の人から言えば、そこまで褒めてもとか言われるでしょうが
所長以下、協力会社の人たちの働きは
英雄というに値します。
感謝したいです。
■今回の事故で思うのは
なぜ事実を隠すのかという事。
事実を知れば
今の日本が如何に危機的状況を乗り切ったか
現場の方の尽力は
日本人の美徳を表すに足るものでした。
失敗をあげつらうのは簡単です。
人を責めるのも簡単です。
原発にかかわっていれば悪人で
原発に反対していれば、たとえ犯罪者でも聖人君子??
システムエラーを人智によってしのぐ、
それが正しいのかどうかは
ちょっと分からないんですけれど・・・
■冷温停止までハラハラしながらお知らせを見守りました。
(電源喪失は知っていましたので)
福島第二はいわきに協力業者が多数います。
あと広野(火力)の動員が利いたのでしょう
ちょっとの距離の違いですが
福島第二が死守できたのはあまりに大きな意味がありました。
もし福島第二がだめになれば、いわき、東京ラインが死亡する事を意味し
その被害はこれまでの比ではなかったんですから。
改めて敬意を表したいと思います。
【福島原発事故】
福島第二も一部電源喪失 震災直後3日間
東日本大震災発生後の津波で、福島第二原発の原子炉を冷やす機能の一部が三日間失われていたことが十日、東京電力が公表した資料などで分かった。核燃料の過熱で原子炉格納容器が損傷する恐れもあり、増田尚宏所長は国の事故調査・検証委員会の調査に「人海戦術でかろうじて対応できた。人手が足りなければ無理だった。危機一髪だった」と説明。福島第二も危機的な状況に陥っていたことが浮かんだ。
東電によると、三月十一日の震災直後、敷地の海側にあった海水熱交換建屋が津波で浸水。1、2、4号機で原子炉を冷やす海水をくみ上げるポンプが使えなくなった。配電盤も水に漬かり、電力供給が停止。原子炉が冷やせなくなった。
東電はポンプのモーターを交換するとともに総延長約九キロの仮設電気ケーブルを引いた。発電所内だけでは資材が足りず柏崎刈羽原発(新潟県)からトラックで陸送したり自衛隊のヘリコプターで運んだりした。夜間にヘリが着陸する時は社員の車二十台のヘッドライトを使って誘導した。
この間に
1、2、4号機の原子炉格納容器の温度が上昇。圧力が高まって損傷する恐れが出たため、3号機も含めた四基で容器内の蒸気を放出して圧力を下げる「ベント」を準備。被災から三日後の十四日夕までに、別の建屋から電源を供給することに成功。各原子炉で順次、冷却設備が復旧したため、ベントを行わずに済んだ。
国の事故調関係者によると、増田所長はヒアリングで、トラックで運んだ仮設ケーブルが重すぎて降ろせず、新たに重機を手配するなどの混乱があったと説明。「金曜日で数千人の作業員がいた。少しずれて土曜日や夜中に起きていたら、とても収束できなかった」と話している。
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福島第二 | 日記
Posted at
2011/11/08 18:29:22