■自分は冷たい、と自分でも思っています。
基本的に判断を突き放すタイプだからです。
とやかくは言いますけど、最後は本人だと思います。
■
人は人の生死に、どこまで関わるべきなのか。
2011-12-20 03:34:32 | 福島第一原発
その自信凄いなあと感心してしまいます。
医療よりも気合を重視するのかと。
不備がなければ人は死なない?
その治療法を変えれば、年単位で寿命が延びる?
私は自信はありませんので、うらやましくはないですが
つくづく凄いなと思います。
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■私はこのような時、福島のとある事件を思い出します
大野病院の事件です。
2008/10/11
刑事裁判は○か×かを決めるゲーム
一緒にする気はありませんが
この訴訟をきっかけに一人で地域を守っていた産婦人科は
まさしく原発のあった双葉地区で「崩壊」しました。
転院を薦めたにもかかわらず、拒否し、
難手術の末の死亡を、あまつさえ病院と医師のせいとした。
見事に産婦人科の破壊に成功したのです。
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■思うのですが・・・
「生きる」事も大切ですけど、
「生きる意味」はもっと大事だと思います。
GNH(国民総幸福量)ではなく、QOLです。
生きる価値です。
ブータン国王が語らずとも、私たちは「クオリティ オブ ライフ」を知っているはずです。
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■無理に一緒にするつもりもありませんし、
例えば、「避難する、しない」は、自身で判断するものだと思います
リスクは自らが負わなくてはなりません。
より公平な判断材料は必要かと思いますが
決断はやはり自分がすべきものですし、
仮に「5%の悪い確率」が一人についてあったとしても、
4人家族で81.5%
10人家族で59.9%
は誰も不幸になりません。
これを高いと見るか、
低いと見るかは人ぞれぞれで
問題は、その確率情報が、
いまだ存在しない事になっているという事であり、
そして競輪場の側などに行くとうろうろしている
「予想屋」さんの様に、それぞれが
万馬券を薦めてきます。
「あなたのためだから」
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意地悪さんの感想 | 日記
Posted at
2011/12/20 11:07:13