■南相馬の水系には正直予想を裏切られ続けている。
石灰岩が上流にあるのではないかと思うが本命ではない、なんて書いていたが
新田川沿いには蛇穴鍾乳洞と言う観光ガイドに乗らない鍾乳洞まであった.
原町森林鉄道 新田川支線 最終回
■つまり、
1)アルカリ環境・・・鍾乳石
2)地衣類・・・新田川沿いの山深き環境
3)高濃度セシウム水系・・・飯館村起源の新田川
(しかもダムもないから沈殿物が下流に流れる)
これだけの全てが南相馬原町地区には揃っていると言う事になる。
■普通はダムがあるから、下流には汚泥はあまりダイレクトに流れてこない。
南相馬北部の真野川も、同じく飯館伊達方面に水源を持つがダムがその影響を抑えている
と考えている。

しかし・・・新田川にはあまりに山が険しくダムがない。
■正直、水系から見ると、南相馬は住むべき土地かというと、
むしろ新田川より南は撤退のラインであると言う感触がある。
■こういった阿武隈山系を、1000m近い山をくりぬく流れは
南相馬の北の相馬に「松川浦」と言う潟湖を形成した。
普通潟湖は、太平洋側の発達はあまりない
実際にはあるのだが、歴史を紐解くと、
たとえば三重県の安濃津(津)は地震で損害を受けた、なんて表現があり
消滅してしまう事も多い。
(浜名湖は潟湖でもありますがしばらくは、
淡水湖であったのを津波が穴を開けたものです。)
現実松川浦も多大な被害を受け、
その砂洲が寸断された事は、
記憶に新しいことです。
砂洲が切れ田畑に浸水被害が起きたことが分かります。
砂州の土砂は一体どこからと思っていたけれども、
どうやら南相馬の新田川や真野川から来た物だと納得しました。
■森林鉄道については
どうも丸三製紙と、そしてその電力需要、森林資源が関わりあっていたようだが
それはちょっと話がずれる事になると思う。
■一言で言えば南相馬の環境半減期は、
ダムでも沢山作って汚泥封印しない限り
数百年の長きに渡ると思われる。
正直行政などに頼らず、
自主避難をお勧めしたい。
飯館村からの水は、
徐々に毒が回るように
南相馬及び原町を、
人が住めない土地に代えていくと思われる。
その手助けを、どうやら地衣類と藍藻が
することになりそうで、
正直新田川沿いを
きちんと調査する必要が
あるのではないかと思われる
うまく見れませんでしたが一応掲載してみます。
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謎の黒い粉 | 日記
Posted at
2012/02/26 22:19:08