■余計な嘘がいかに良くないか。
まじめにありのままを語れば分かってもらえるのに
余計な嘘をついたせいで、物凄い誤解を抱いた
そのケースが石巻市の大川小だと思います。
■生徒の半分以上と、先生は一人を残して全滅
初動が遅かった、という事で叩かれ続けてましたが
本当に0点の対応だったのか?
■きちんと調べると津波が、
思わぬ方向から襲ってきたという
ありえない事態が分かります。
マスコミが語るように先生が無能だったのか?
必ずしも周囲の被害状況を見るとそうは言えないのです。
■安心の陰の油断、
この事をまざまざと見せつける結果が
被害や地形から浮かび上がってきます。
しかしそれも全ては後追い…
調べてみる物です…
悲しくも恐ろしい、地震の結末…
ご冥福を祈るのみです。
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「避難途中に大津波」はウソだった?
石巻市教委の矛盾で明らかになる“大川小の真実”
>学校管理下にあった児童74人、教師10人が、東日本大震災の大津波にのまれて死亡、行方不明になるという、世界でも例を見ない大川小学校の「惨事」。この日、会見場となった仙台弁護士会館の大会議室には、意を決した大川小学校の児童の遺族、8家族11人それぞれが、メディアの前で壇上に並んだ。
「学校管理下で、多くの子どもたち、先生方が犠牲になるという前例のない事態で、毎日、我々も迷いながら、今日まで来ました」
>私たちが今年5月18日に入手した情報開示文書によると、昨年3月16日の7時50分、当時の柏葉照幸校長が、
震災5日後に初めて市教委を訪れ、大沼博指導主事による聞き取り記録の中で「校庭避難 引き渡し中に津波」をはじめ、「屋根を超えて津波」「油断」などと証言していたことがわかったのだ。
一方で、当日、避難先として児童たちが目指していたとされる「三角地帯」(小学校から歩いて3分ほどの新北上大橋のたもとにある、小高い場所)という記述はどこにも見当たらない。つまり、これらの記録からは、「児童を保護者に引き渡しているうちに、屋根を超えて津波が来た」という事実が読み取れて、これまで市教委が、公文書の記述や遺族に対する説明会の中で「三角地帯に向かって避難している途中に津波に襲われた」などと報告してきたことが、根底から覆ることになるのである。
5P目
(「
校庭避難 引き渡し中に津波」などの)「聴き取り書」記載の事実は、震災当時、小学校に不在だった柏葉校長が現認しうる事実ではなく、また、当時、他の教諭たちも死亡している状況下では男性教諭以外に同事実を語れる者がいないことからして、遅くとも同3月15日の時点で、同校長が男性教諭から事実を聴きとっていた事実が読み取れる>
佐藤さんは、こう続ける。
「3月15日の時点で、この男性教諭は“校庭に待機中、津波が来た”と、ほぼ事実を話されていると思います。三角地帯へ避難途中とか、裏山に倒木があったなどと記されていない。だとすれば、先生は、昨年4月9日の説明会で、突然、三角地帯へ避難途中とか裏山に倒木があったなどという話を言わなければいけなかった。どんなつらい思いで、私たちの前に出て話をしてくれたのかなと思っています」
そして、下記の市教委への質問書に対しては、19日までの書面による回答を求めた。
<市教委は、これまで、どのような根拠をもって、私たちに「三角地帯へ避難を開始した」などと説明してきたのか。そして、「三角地帯への避難開始という事実」と「引き渡し中に津波が来た事実」とをどのような整合性をもって解釈し、私たちに説明してきたのか>
佐藤さんは、こう訴える。
「安心、安全であるはずの学校で、大好きな学校で、元気に“行ってきます”と登校して行った学校で、多くの子どもたちが亡くなってしまったという事実を正面から受け止めて、本当のことを話してほしいと考えてます」
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■何故油断があり、
何故校庭に集まったのか…
その証拠は今もグーグルアースに色濃く残っています…
もちろん逃げる人は山に逃げた訳で、それ自体はおかしくありません。
まず、大川小学校は北上川河口付近にあります。
河口からは上流2キロ、付近には山もあり
何故逃げなかったか分からない、と思うかもしれません。
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■
しかしもし
津波が川から上がってきてないとしたら?
何
寝ぼけた事をお思いでしょう。
で、地図をひっくり返して、グーグルアースと比較します。
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■何と大川小学校の下流1キロまでは
地盤沈下と津波による破壊で「海」になってしまっているのです…。
つまり津波は川を乗り越えてきたのではなく、
堤防と山の間を、そのまま乗り越えてやってきた
というとんでもない事が分かります。
その結果、明らかに左側の岸【大川小学校側】の破壊が激しいのが
見て取ることができます。
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■しかし、何でそんな事が起きたのでしょう?
実は北上川河口は大川小学校側の岸沿いに深い谷が海底にあります。
海底のリアス式海岸と言える物です。
プラス激しい地盤沈下があったのでしょう。
よりによって大川小学校の下流は川になってしまったと言う事です。
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■更に地形の悲劇が襲います。
大川小のやや下流側には、山があります。
地表を突き進む津波は、この山が邪魔をして
校舎からは見る事ができません。
■つまり、津波はいきなり、山陰から襲ってきたという
とんでもない事が分かるかと思います。
■更に…大川小学校は防災力の強力な
まさに津波対応の学校でした…
川から駆けあがる津波を防げるような円弧の校舎
■在りし日の写真を見ると、学校自体がやや高台にある事が分かります。
■そして↑この写真が、学校のそばの崖が
かなり急なものであったことを示しています
■ところがこのグーグルアースで出現している崖
震災前は草木に覆われて存在しない【見えない】のです
つまり津波をかぶって草木が枯れた可能性を示唆します。
冬という可能性もありますけどね

■このがれきの量が、川ではなく陸を津波が駆け上がった何よりの証拠だと思います。
北上川の堤防は、川からの津波を防ぐだけでなく
プールの様に陸上の津波を逃げないようにした…
直前の山によって津波の勢いと水位が一気に増し
濁流となって一気に学校めがけて駆け上がった…
■
学校は防災能力が高く、むしろ学校こそが避難場所と考え
校舎を背に山に向かいいざという時に対応を可能とした。
しかし津波の勢いは、想像を絶するものであり
引き渡し等をしている状況では、逃げようがなかった。
裏山に上るのであれば、早期に登らなければ
こんな恐ろしい津波を避けうるものではありません。
果たして周囲には何も残りませんでした…
■それを出張中の校長が動揺の余り嘘をついた…
どうもこれが大川小学校の悲劇の正体です。
何故早く逃げなかったのかという人は必ずいます。
でも大津波警報は3mだったんです。
ワンセグ大会で見ていたので知っていますが…
ある瞬間に「10mの津波が「各地に達している」」と警報が変わりました。
6mの記憶すらありません
しかもそれは…宮城県、南岸や名取方面の津波来襲と同時でした。
学校であればラジオ位あります。
3mの津波警報、高台の学校、川に向いて建った校舎
逃げる理由はありません。
■実はもう一つの皮肉があり、
大川小の裏山は津波を食い止めます。
約1キロ上流まで逃げれば、被害はこなかった。
この事が、なおのこと避難についての
遅れを指摘される原因だったと思います。
しかし最大3mの大津波警報で、
子供を引率して逃げる津波に飲まれる確率を考えれば
学校待機は最善と言えます。
逃げるには、川沿いまで降りないといけない訳で
ここが一番リスクがあるのは誰だって分かります。
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■あまりの悲惨な結果に、校長が
「逃げる途中だった」と余計な嘘をついたおかげで
先生が何もせずに、のうのうと点呼を取り
中途半端な非難が行われた印象を与えてしまいました。
しかし事実は、陸前高田などの避難場所の学校と同じで
学校に避難をした物と考えられます。
大人の致死率が極めて高く、子供も多く命を落としたため
結果マスコミの美味しい餌となり格好の美味しいネタを提供してしまいました。
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■つまり大川小学が川に面した低地にあれば、
真っ先に避難した訳で、
おそらく助かったとも言えるでしょう
地震による停電は、東北全域で3,4日続いた事を考えると
気象庁のせいとは言いませんが、3mの津波来襲であれば
大川小の先生たちは動揺せず、正しい点呼と待機をした
と褒められていたかもしれません。
北上川という大河の堤防が、彼らの油断を更に高めた訳ですが
彼らが決して怠けていたり、優柔不断で待機したのではない
という事だけは確かな事だと感じています…