■かの有名な秦の始皇帝
実際秦は、出自もイマイチ謎なのですが
妻が死ねば兄弟が頂く、末子相続の様な部分もあるなど
遊牧民の性格を色濃く残した国家でした。
実際場所見ると、既にほぼ遊牧民の陣地だったりします^^;
■そして首都の咸陽は、長安と名を変えて
(実際には近くだったようですが)
今はシーアンとなって残っている訳です。
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■で、その北にあるのがオルドス市
今は「ゴーストタウン」で有名ですが
敦煌やシルクロードに繋がる重要な地域であり
そしてこの地域は長城の北でもあるんですよね。
どっちかと言えばモンゴルなんですけどね^^;
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■何でそんなややこしい事になるのかと言えば
黄河が北に大きく流れを変えているからです。
ともかくも秦は西の怪しい国家が発祥と言う訳です。
■ちなみにオルドスには青銅器文化があって
日本にも青銅器文化があったのは周知のとおりです。
で、始皇帝の後、秦は滅びてしまうのは、
皆様ご存知かと思います。
■秦亡き(BC200)あと移民はどこに行ったのでしょう。
その内の一つが秦韓(辰韓)と言われる物が
お隣の国にあったと言われています。
秦の移民だったとも、王は韓の人間だったとも。
ただ、ろくな扱いを受けなかったみたいで…
日本に移住してくる集団が現れます。
■それが、ユダヤだーなんて言われたりする
秦氏です。
広隆寺とか、太秦映画村なんかで有名な
聖徳太子での側近とか、平安京造営にもかかわった一族です。
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■この辺は、お隣が起源を主張するので、
嫌なんですが(笑)
秦の配下の遊牧系が(交易系)
万里の長城に沿って移動した、
で、それらが、日本に亡命して大和政権に手を貸した
と考えるのが自然だと思います。
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■実際、仲哀天皇8年に帰化したとされる、功満王
(仲哀天皇は9年で死去します)
とか応神期には弓月君が帰化して(子供とされてますが…)
で仁徳他 倭の五王時代へと進んでいきます。
(いわゆる広開土王碑時代ですよね)
その後も、中国では北方系の前秦や後秦が、興亡しますので
「秦」つながりで彼らを引き取った、とすれば、
彼らはあからさまな遊牧系ですから
ユダヤ系もいたでしょうし、原始キリスト系もいたでしょうし
日本は神様増やし放題ですので、
増やしてみた、と言う事は十分あり得ると思います。
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■当時の朝鮮(3、4世紀)は、高句麗(満州系)に圧迫されてますから
婚姻同盟を結び、相互に助け合ったと考えると
これまた「つじつま」が合います。
■後の時代の渤海(これも満州族)
では、日本海各地及び日本海の政権由来地に
色々とたどり着いていますので

仲哀天皇の奥様である、神功皇后が息長一族で
敦賀に由来をもっていると言うのも、意外と順当な路線で
妻のツテをたどって、福岡の方で援軍を待っていたら
或いは、渡海の目的が秦氏の救援であった。
だが何らかのアクシデントで、命を落とされた、
で、応神天皇を奉じて、統一活動が起きた
と言う可能性はあると思います。
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■でも百歩譲って応神天皇が、朝鮮から来たと仮定したとて
どうも応神朝、あと雄略朝辺りは、断絶してる
何よりも
仲哀天皇の御子として応神天皇がいる限り
「正統」はあくまで日本武尊の一族である。
(仲哀天皇は日本武尊の第二子)
■朝鮮のその頃の王朝は存続すらしていない。
そもそもその頃の朝鮮の勢力は中国から流れてきた
更に戎っぽい、(以外にも長城を迂回してくる仕組)
増してや秦氏の言うとおり秦の始皇帝の子孫であれば
日本には秦の始皇帝(の子孫)が配下≒秦氏と言う事で
何にも問題はない
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■つまりどう転んでも日本の正統は揺るがない
「仕掛け」が古事記や日本書紀には施してある。
その後
母系で姻族となった日本は、
逆に朝鮮に進出する
それが宋書に歴史として残されてます。(加羅、百済への援助)
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■この辺りに秦氏が、
聖徳太子(上宮王)の側近とすれば、
サクッと隋と対等条約が結べれば
権威付は、中国の王朝に匹敵すると言う
論理が生まれる訳です。
■ちなみに日本書紀や古事記の時代は
白村江の影響で
唐の脅威があった訳で、正直この時期
進駐に留まらず(どうも進駐はあった模様)
あからさまに中国に併合されていれば、
日本の「正統性」は大いに揺らいだと思われます。
で、何でそんなに日本が狙われたかと言えば
聖徳太子が「隋」と対等条約を結んだせいであり
後継の「唐」としては我慢がならなかったから
(もちろん百済の後援で日本が新羅と対立した)
とすると、分かりやすいかと思います。
(無理やりですが、そう読めると言うのがポイントですね。)
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■実際には新羅と唐が対立に及び、
日本は危機を脱する訳ですが、
奈良時代の自衛隊こと「防人」が
悲しげな歌を万葉集で呼んでたりします…
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■
歴史と言う物や史書は
「正統性」の為に書くものであり
別に正しい歴史とやらの為に書く物ではありません。
但し、
古代中国や朝鮮を尊ぶと
自然と日本の権威と正統性は
その現在の破壊されつくした
両国を簡単にしのぐのです。
飛鳥、奈良時代の宝物たちはその事を
私達に訴えかけます。
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■極論を言えばどんなねつ造をかまされようとも
先人の知恵は、その浅はかなねつ造を跳ね返す
巧みさが既にあると言う事です。
朝鮮が全ての起源(誤)
朝鮮を「通って」全ては日本へと消えていった(正)
バケツリレー要因であって、
それが発祥になる訳はない、と言う事ですね。
そして起源の主張の元は
既に日本へと渡ってしまった。
おかしいなあ(笑)
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■同時に古事記や日本書紀の時代に、
お隣と手が切れた事は、とても素晴らしい事でもありました。
彼らが「昔は素晴らしかった」と言えば言うほど
その昔を伝えているのは日本だけだね^^と
簡単に答えられる話、と言う訳です。
つまり日本の連続性、天皇系の正統と言うのは
えらが張った朝青龍みたいな「顔の」人達が
母系をモンゴルとかにレイプされてつないできた血統とは
訳が違うと言う訳です。
しかも実際の正統性はともかくとして、
ロジックとして、中国の史書も含めて
両国に優越する仕組みを、1000年以上前に
作られていたと言うのは感嘆の限り、ですね。
■その歴史をつなぐ為にも、私達は力を溜め
独立を守り続ける必要があります。
それだけの仕掛けが用意されているのに現代の私たちは
中韓の嘘のいいなりです。
結構…恥ずかしいです…。
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Posted at
2012/11/19 18:15:39