2015年03月01日
鼎の軽重を未だ問うべからず
アカヒ天声人語流で書いてみた
■先ずは日記
日曜は忙しい割に色んな電話がやって来る。
途中で切ったらかけそびれてしまった。
申し訳ない、
■最近の日本(人)は極端から極端に振れる。
それはありがたいことでもあり、
めんどくさい事でもある。
即ち扇動しやすいけど、戻って来れなかったり、
突き抜けてか逆側に行ったりする。
そのうちまた一周してくるだろうか?
気長に待つことにしよう。
■さて、秋篠宮殿下と、佳子様が
大原美術館を訪問したらしい。
皇太子殿下は、国賓のウィリアム王子の相手があったから
スルッと盲点をついた。
公務より娘。殿下らしいし、それでいいと思う。
この時期でしかできない親子の会話をされるとは
世の父親を羨ませただろう。
どう考えても皇族は束縛の割には自由が効かない。
今のうちに、とお考えだったのかはわからないけど。
■家庭をとても大事にした
天皇陛下がかつていらっしゃった。
大正天皇である。
一夫一妻を実質はじめて導入した。
四人の皇子に恵まれ、子煩悩だったと伝わる。
病で公務に支障を生じ、心ない人からは
暗愚とまで言われたが、
子孫を残し、家庭を大事にする皇室は
大正天皇から生まれた。
■天皇陛下の職務は公務やだけではない。
病とはいえ、問題があろうとも日本の政局には
影響が出ないよう、当然現行憲法ですら
規定されている。
皇太子殿下の資質は平均以上で
にも拘らず、その事に異を唱えることに
自分は違和感を感じる。
兄には兄の、弟には弟のと言うのも憚られるが
数少ない男系皇族には、各々が
千金どころか万金の価値がある。
優劣の問題ではない。
■この様な、公務に支障を来しても
問題ないように制度がなされていたのは
伊藤博文が、明治天皇を説得し、
大日本帝国憲法と皇室典範(旧)で、ある程度
政治的責任から皇室を切り離したから、である。
実は明治憲法下でも、天皇とは、
政治的責任から除外されるよう
憲法に規定してあった。
■それを敢えて破ったのは、昭和天皇で
その手腕は終戦時に発揮された。
即ちポツダム宣言の受諾である。
国体護持の条件のみで、首相の鈴木貫太郎と
陸軍クーデターをギリギリで避けつつ
無条件降伏とはいえ、和平を実現させる。
■その聖断のイメージが強く、また、226の際に
断固たる態度を示した為、
旧の日本はあたかも天皇の絶対的権威があった
(戦争責任は天皇にある)
というミスリードが為されているが
実態は違う。
寧ろ、朝香宮を始め皇族は、
軍人の説得にまわっており、絶対的権威ではなく
社稷の上官なり、政治家、OB
が暴発を必死に止めた現実がある
■また、終戦の折、反抗的な陸軍強硬派を
押さえ込んだのは阿南陸相であった。
(異説もある)
鈴木貫太郎も軍人上がりだが、
彼らは軍人は政治に口を出すべきではない、
という信念があり、
出身母体の代表を装いつつ必死になって
昭和天皇の意に沿うべく努力した。
■忠義と口出しは意味が違う。
国の為に、不可侵を侵せば世の中の習いや
価値観に崩れが生じる。
クーデターや、革命のあった国を見れば一目瞭然で
それをもとに戻すために、恐怖政治や独裁が発生する。
価値観の破壊は即ち権力集中には実は好都合で
その為、毛沢東は破壊と創造を推奨し、
結果として自らのカリスマと引換えに
国民性を破壊的に育て上げた。
■日本には幸い守るべき価値観の一つに皇室がある。
正直、自分は皇室への尊崇が篤くはないが
価値観としての皇室には、世界でも類を見ない
高い価値があると思う。
その点には、右も左も異論はあるまい。
■その価値を貶めたバカな国民、と言われないように
国際地位を向上しつつ、
愚かな土下座要求はいなし、
妥協すべきは妥協して、平和な日本を維持する。
同時に皇室の伝統的な価値を
維持向上する必要がある。
ありもしない、あるいは誇張して
御家騒動を騒ぎ立てることなどあってはならない。
■また、平和の維持は、
土下座と賠償と丸裸ではなく
適度な軍事バランスと歯止め、
そして、最低限の覚悟を示し、侵略紛争で遅れをとらない
政治体制と、防衛力の強化であることに
疑問はない。
■その一環として、
憲法の適用と、場合によっては
不具合点の改正が必要なことも、
また疑いようがない。
そして、それを裏打ちする経済力も重要だ。
■書くは易しいが実際にはなかなか困難だ
しかし、国民の一人として日々の仕事を
地道に取組むことは
無駄とはいいきれない。
■同様に、明治、大正、昭和、
そして今上の、天皇陛下は、
それぞれの価値観やメッセージを発信し
御皇族と、皇のみことの価値を高めてきた、と言える。
■少なくとも今いる男系皇族は、
重大な欠陥を抱えているとは傍目にも思わないし、
仮に抱えていても、
日本の国体に影響を及ぼすものではなく、
その理由は、憲法と典範に依拠している。
■その為にも男系皇族の数が増えることが望ましく、
プレッシャーに弱い一男性としては(苦笑)、
今いらっしゃる男系皇族から複数の皇子が
お生まれになれば有り難いなあ、なんて思っている。
■その為にも折角の男系皇族の兄弟に
何故か長幼の序を無視して、資質がとか
人格が、とか言うべきではない、
と個人的には考えている。
■理想の王よりも、公室の安寧を考える臣は
やはり皇紀が始まったとされる、約2600年前の
中国において、高い評価をされていたし、
それは即ち皇室が最初は、
大夫達に推戴されていたことを暗示している。
■古代中国では公子を推戴して殺しあった。
或いは争いあい、公族の尊崇を下げていった。
日本はそれを途中で止め、
権力を剥ぎ取っても血を守っていったから、
皇室が残った。
天命未だ改まず、
鼎の価値は軽重ではない。
鼎の軽重を問うべからず。
約2600年前の話である。
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容認の勧め | 日記
Posted at
2015/03/01 23:18:54
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