2015年04月02日
【当り前の情報の大切さ】面倒なので同じ話
■さっきの話は思いっきりとりとめなく書きましたけど
今回は要旨を削って書きます。
■震災から4年がたちました。
4年と言うのは中学や高校よりも長く
記憶が焦るのに十分な年数です。
■遺族代表の朗読内容が「怪しかった事」を始め
時と言うのは悲しみをいやす過程の中で
記憶の改ざんなどを要求するものです。
■震災時、正確な情報が少なく苦労しました。
デマが飛べば物が無くなる。
上水の浄化は間に合っていない。
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■原発事故もそういう意味では追い打ちをかけましたね。
危ない危ないと言う人達は具体的数値を上げません。
そして具体的数値についても
どのような条件下で計測されたか、非常に渋っていました。
■FPに密着させた線量を空間線量の様に
言う人もちらほらいました。
■混乱した情報の中では、情報強者と情報弱者との間に
何故か人としての格差が出来ます。
限られた情報の中で解析をするので情報の誤差も大きくなります。
■そこで情報を限定する事でカリスマが一部生まれましたが
幸いふくしまでは沢山の「奇跡」が起きて
彼らの力のバブルはあっという間に弾けました。
■物事には必ず当たり前のセオリーと言うのがあります。
リスクを回避し、確率が高い方に舵を切る。
リスクマネジメントの考え方は
平時の考え方とはちょっと異なります。
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■そのような時には対応力、情報力
そしてリスク時における行動の即応化がカギを握ります
ですがそういう時こそ確率論に基づいて
行動することが肝心です。
但し最悪の事態を「考慮する」
「考慮」する事によりより一層の思慮と覚悟を生む
この事が大事ですね。
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■それとアイサイトではないですが、
ステレオ的(複層的)な視点を持つ事も重要になります。
メインの方法が渋滞するなら裏道を素早く通る、
詰まってからでは遅すぎる、からなんですよね。
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■つまりは現実を一つ一つつぶす中で
リスクを一つ一つ洗って分化させていく
その過程において、人が出来る事
運に天を任すこと、天と人が力を合わせられる事
これを見分けて行く事が大事なんだと思います。
ところが運や天と言う物を意識した人間は
何故かそれらを神格化しつつ
自らそれらに「なろうなり変わろう」とする事が多いです。
いわば「カリスマが神になり済まそう」と言う
「イカロス現象」です。
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■自分自身は協力したり
背中を預けたり、あるいは任せたりする存在を
凌駕しようと言う欲がないのか
或いは出来る事だけをしようとする
怠け者なのかは分かりませんが
■ピンチの時こそ基本に立ち返って積み上げる
と言う事を繰り返す事が大事だと思います。
いわば訓練の重要性であり
それは近代的な軍隊等の経連でも明らかです。
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■いわば人事を尽くしてこそ
天命を全うできるのですが
皮肉にも天命を人が声高に叫んだり
或いは噂話の天命を広めたりすると
世の中はうまく回らなくなります。
■これらは概念論と言うよりは
歴史的な経験論ではあるのですが
なかなか理解されず、
特に逼迫した状況が災害などで起きると
それを「特定の存在」に任せ
責任回避をする動きがありますね。
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■そういう意味では事前の知識等の蓄積と
如何に当たり前の行動や言動を
非常時にも行うのかと言うのは
一つのカギとなります。
そして経験と言う物があれば
より早くの判断が可能です。
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■震災においても突拍子もない巨大な話ではなく
地道な出来る事を出来るだけ行う
と言う当り前の事を実施する事が
将来の未来の防災を握るのかもしれません。
非常時だから特別、ではなく
非常時だからこそ最適行動を取るべきだと言う考えも重要です。
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■震災時に一番感じた事は
備えと訓練によって、それらの行動の迅速性や
人的被害も多くは防げると言う事でした。
そういう意味では平時における情報量ダダ流しよりも
基本に忠実かつ、いざという時には臨機応変な
対応は非常に重要なように感じます。
つまりはそれらのバランスを整えないと
結局は最善に近い結果は得られないのではないかと言うのが
導き出されますし
その事が多数の美談でよく分からなくなっているのは
少し残念な事のように思いますね。
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福島第一事故における検証 | 日記
Posted at
2015/04/02 21:10:54
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