神社をうろうろするようになって(参拝ですが)歴史に対する見方が色々変わったりしました。歴史って言うと、ウリが発祥ニダ天皇家は高句麗ニダとか応神帝は朝鮮人ニダ、間男の子だとかそんなのが多いんですが一時期そう言うのに腹が立っていたんですが考古学を「待てばいい」と教えられたことがあります。この度彦根で3世紀頃の遺跡が出土しました。大和朝廷成立時、謎の部族が高い地位を示し続けた事が日本書紀にも記されています。息長という部族です。ここからは敢えて尊称を廃して書きますが代表が、息長足姫 (いわゆる神功皇后)後、桜井の奥の忍坂を有して、雄略帝の母、忍坂大中姫、等も輩出しています。忍坂は尚、敏達帝とも縁深く、大化の改新、そして、天武帝との関わりが指摘されています。尚、この地域、例えば伊勢内宮の元伊勢伝承に関わる、倭姫命も、母系は息長に繋がっていた、という部族で日本武尊はその甥に当たります。日本武尊はその最後、息吹、おっと伊吹の猪を討ちに行って、力尽きることになりますがその血の流れからすると親戚に会いに行ったけど、体調を崩したともとれます。(ただしその時期、大和と対立があった可能性もありますが)そんな訳で、遺跡がないゆえに謎の大族、と呼ばれ続けた息長にちょっとスポットが当たるのかな?とも思いますし、一方で、また…、神話の伝説がチョーセン至上主義に揶揄されるのは、イラつきますが(そもそも、古墳時代にチョーセンはまだ、国の体を成してない、中国&遊牧民蹂躙地域)静かに待ち続けたいとおもいます。