2016年12月25日
【耶蘇祀り】視点が変わるだけで世界はなにも変わらない
さて、集団心理に満ち満ちた
性夜が開けました(苦笑)
世界とは認識にすぎず
世の中には、
時間すら、記憶にすぎない、
なんて考え方もあります。
量子は確率に支配され
そして実証されつつありますが
所詮確率の一例をキャッチしたに過ぎません。
環境を愛するやっちゃえ日産は
海の向こうではこんなこともしています(笑)
環境?ハッハッと笑い声が聞こえてきそうです。
日本人がエコの人柱に
名乗り出てくれるから
こういうことが出来るんですね。
世界が危ういと言う変な思い込みです(苦笑)
原理も完全ではないのに、決めつけをする。
人の心を支配をすれば一時は可能ですが、
この世の中は認識は変えられても、ね。
日本人が努力すれば…。アメリカでより沢山の
ピックアップを売る種が出来る。
エコですね(ニッコリ)
世界には…。幾つもの見方があります。
見えようが見えまいが、するべき事も
やるべき事も変わりません。
一つの見方が、宗教とも言えるでしょう。
耶蘇、ムスリム、仏道…、そして神道。
みんからも見てますと、
こんなことがあって世界が変わるとか
奴こそが悪だとか
変えなければとか、拝見しますが?
それも一つの新興宗教とも
言えるでしょう。
信徒を集め、力を持つのは一部の人には
恍惚で快感です。
思えば震災時はその一部が崩れ
人の思想や思込みに一つの隙が生まれました。
ちょっと便乗しましたけど、
そのうねりは、パヨクさんたち
なブーメラン芸を開花させました。
でも、世界はなにも変わらない、んですよね。
ただし思い込みを水平展開すれば
社会規範が変わります。
だから、劇作家やマスコミ様は
その教義を布教に努めています(笑)
さて、平時に戻ると人は思い込みの
ヒエラルキーを作り出します。
社会学的には、宗教の体系化と上下関係の構築
でしょうか?
とは言っても、性夜や、
耶蘇祀り(クリスマス)に反対している訳ではなく
じゃあ代わりに国旗、国旗と
騒ぎたいわけではありません。
簡単なことで、自分は、何に属しているのか
何に属したいのか、何に落ち着けるのか?
そして、何がしたいのか?
相手は何を望むのか?
属するものが、勢いを保ち
滅ぼされないためには、何をすればいいのか?
つまりは…、突き詰めると、
人を支配したいのか、されたいのか
あるいは一人で歩むのか?
または、守りたいものを決めて進む人も。
人の欲望と生き方は面白いものです。
欲望は…色んな物を書換えます。
世界は変わらないからこそ、
認識と、思い込みを変化させて、
己が変わらない事を誇示したりもします。
それが垣間見えて、また
書き換える場として最高故、
耶蘇祀りは少し面白い場でもあります。
沢山の(ミニ)宗教が乱れ飛びます。
そして、力と集団支配に対する
己の見方を
意図する、しないに関わらず
発表します。
さて、自分は
どっちかと言えば傍観者の立場で
眺めていたりします。
そーいうものに囚われすぎずに済むのは
皮肉にも宗教ともされる神社で
色々教えてもらっているから
でもあります。
そういう意味では
自分の認識という世界と
変わらない冷徹な世界は併存しています。
その中で損得や、価値観を考えて
行動を選ぶことこそが
人に許される選択肢でもあるわけです。
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Posted at
2016/12/25 12:47:18
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