ここ数年宇宙物理学は大きく進歩した。ブラックホールと重力波の検出なんかは人が神の存在(実在)を証明したに等しい偉業でもある。絶対神とは、質量であり重力である。でも、この事を自分は事前にチラと聞いていたりした。具体的にはこんなエントリーで書いたりしてる。でもその時は証明されていなくて、去年証明された。個人的には凄く印象的なニュースだったし、一つの世界観の水平を開拓する話だったと思う。この発見は実は大変な意味を持つ。宇宙物理学の優位と、天体物理学の後退だ。アインシュタインは100年後もその理論の優位を証明したことになる。そしてそれは、2015年は未だ仮説にすぎなかった。勿論、確実な宿題ではあったのだけど。エネルギーは物質に変換される。そして質量は重力を産み、重力は時間や空間を歪めてしまう。その事は謎を未だ孕むけど、でも、宇宙と神との関わりを明示した、とも言えたりする。同時に、自然と八百万の神々との間にも科学の目は有効だ。それは太古の昔から、神道を通じて、日本人が見つめて来たことでもある。また、最近は量子力学や確率論からも、それらは一般性相対性理論と対立しないことが判ってきた。頑迷や迷信、妄想、そう言ったものの線引きは難しいけれど取り除く事は、日本古来の信仰と意外にも相反するものではない、(但し大衆化の中で多くは大陸産の迷信が入り込んでいたりする)勿論、普段の生活は、人の集団意識の中で、意識付けをするのは当然のことだけどそれは一つの見方に過ぎない。ただ、見てると、古来の信仰や自然への畏敬は失われつつある。寧ろ信仰面では、西洋化が進み、集団心理学を生かした、エセ宗教こそが幅を利かせつつある。(代表がエコとか、温暖化詐欺イルカ万能主義、特定不労民優遇主義)所謂人民が愚かであれば、科学の進歩は却って天動説のようなキテレツ妄想、を産み、さらに集団心理やゲッペルスバリの宣伝戦略で、妄想こそを正とすることは集団力学上極めて簡単なことでもある。と言うのが、民主主義が衆愚主義を防ぎづらい一因でもある。実際、学問が進んでも、ベースの人は実はあまり変わっていない。大衆化とは堕落の言換えの面は多少否めない。でも、学問の進んでいない昔に、そこに無理やりなこじつけをつけず科学的に、でも謙虚に向かい合った痕跡を、神道の一部?!に感じられるのは、有り難いことだし、科学が進んだ今だからこそ、見えるものもあれば、盲信、過信する罠も有るわけで何が正解とか、間違ってるニダ、とかは言う気がないけど、そー言う、メンドクサイ物に染まらずに不満を感じられることも、また、有り難い事だったりする。(現実はニコニコしながら、受け流せばいいだけだしね(苦笑))