除夜の鐘と不寛容なんて出てましたが、異教徒は不快だしウリスト教徒も不快です。そもそも、不快な人はいつ来たの?つまり声の大きい後から来た奴が利益を半分得る、というのが、少数者の権利、となります。いわば、統計的弱者がダブルスタンダードによって有利となりさらにその実績を既得権や判例として利権化する、というのがゴネ屋のシステムです。また、賛成よりは反対の方が意見は集約しやすいです。その辺は、心理学的な論理でもあり端から見れば矛盾ですけど使える論理です。また、どんなに突飛でも仲介を得た時点で、支持層にかかわらず、その論理は互角と見せかけることができます。二元論化、ですね。あとは、シーソーバランスで、本来の軸ではないところに意見と言うのは集約できます。半島系が、マスコミと組んでよく使う手、です。そもそも、(データ上)人間は冷酷で他人がどうなろうと気にしない生き物です。それを覆す為感情移入のためには、あの手この手で興味やお涙を頂戴しようと、あの人たちは企んでいて、それが金になるわけです。グレタさんなんて小娘さんヨイショを見ているとわかりますよね少年十字軍を彷彿とさせてホッコリします。もっと極論を言えば、信仰こそカネなんです。信じるものは救われる、のはお金がかかるわけです。除夜の鐘を、なんかの信仰や感情移入があるかなしか、と考えると問題は見えやすくなります。家族に行き詰まり、死が見えた人には除夜の鐘は拷問な訳です(苦笑)異教徒ウリスト以下同文という訳で、落語みたいな話になっちゃいましたが、除夜の鐘は打てば響く話で、そういう見方も概念的には可能です。(実際には科学的に言えば周波数と共振の問題もありますけどね)ここの寺院、トラブル前に鐘の位置を動かしたみたいなのでという訳で、梵鐘と快不快の話でした。