宗教は論理学と密接にか変わっていて普通は論理的でもある、一方で少しすっ飛んでいるところもあって、基本的にはそこにお金の種が詰まっていたりする、何故か?宗教的な生活は無産なのでお金がかかる。つまり宗教的な生活は実は矛盾していて破綻している。だからこそ、富の移動が必要でそこにお布施と言うものがあるのです。その辺は幸せを代わりに祈りますとか死んだら天国に行けるもその一つですね。その辺は程度なのです(笑)それが主客転倒するとお金もうけに走ります。因みに宗教を上手く利用するには…それは別の話にしましょうか?因みに否定しようとするのも無宗教と言う名の一つの宗教だったりします。