2022年10月31日
「圧死にそうになった」と「圧死」は大違いです
ちらりと続編。
一昔前のラッシュでもそうなんですが…
死にそうになる圧力、というのはあります。
そうなると意識が落ちる人も出ます。
結局はそこで止まるかどうか、
そこで「抵抗がやんだ」と押し込んでしまえば
更に悲惨なことになります。
150人が死ぬまでには
それなりの時間がかかります。
最低20分くらいは(とりあえずの蘇生率が下がるまで)
かかるでしょう。
というか20分経っても脳みそはともかく
心臓は(蘇生を施せば)とりあえず動くケースは多々あります。
要するに密集事故の発生から
「最低」1時間くらいは経って
蘇生が開始されたのでは?と思います。
ぶっちゃけ死んでる状態ですね。
心肺停止といえば語弊がないかと。
その辺は死因の分析が進めば
分かってくるかと思いますけどね。
人ごみの中の下りでの
二酸化炭素は当然下層にたまるので
酸欠が起きていたとすればあんまりよろしい状況ではなかったでしょう。
極論すれば行列ができたとき
押して進んでいけば、圧力上はパスカルの法則よろしく
必ずかかる場所が出来てきます。
事故発生時に逆流の波が出るはずですが
今回の事故ではそれを逆に押し込んだので
これだけの死者が出たという事です。
群衆の中での転倒や圧迫は
発生しうるものですが
死にそうな圧力と死人が出る圧力は違います。
そして事故発生後の対処やかばいあう形は
消されてしまった、というのも
興味深く思います。
巻き込まれた人は運が悪かったとも言えますし
自業自得というわけではありませんが
しかし一方でリスクの算定が
非常に甘かったとも言えます。
勿論日本も20年位前までは
人込みでつぶされても無関心な人が
多かったように思います。
見ざる聞かざる、気づかざる。
記憶から抜け落ちてるだけで、地方の人は東京の人は冷たい
という表現で
その恐ろしさを示していたのではないでしょうか??
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その辺は意識面が変わると国民性も変わっていきます。
つまり以前の日本であれば発生の余地はあったでしょう。
人数は別としてね。
とはいえ、150人が圧死するというのは異常な事態です、が
とはいえ、古代の戦いでは
しばしば圧死で全滅に近い例は良くあるのですが
それは戦争で負けた方です。
300-500名が死亡または負傷していますが
これは「殺し合い」が発生しない限りは
発生しない人数です。(スタジアム崩落的なドミノでない限り)
普通のラッシュや階段での転倒で
それだけの人が死ぬなら毎日ニュースになるはずです。
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たとえ下り坂であろうと
狭い道であろうと
150の息の根を止めるには
それだけのエネルギーが継続的に発生する必要があります。
さすがに詳細の流れ等は
(そのうちビッグデータで分かると思いますが)
何があったかは知りませんが
無慈悲な押し合いがあったと思いますし
事故発生後についても
ダメ押しを念入りに
時間的にも圧力的にも繰り返し圧殺する為に
(殺害の意思がなくとも)集団として実行したことは
恐らく疑う余地がないのです。
その辺りは遺体の損傷が解剖で明らかになって
分かるかと思います。
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しかし「社会心理学上」「数字上」は
あり得る事故ですが
(つまり可能性としては日本でもないわけではない)
まあ殺人者がしばしば気が付いたら死んでいた
そんな積りは全くなかったという話をしますが
今回はそれに近い事件です。
そういえば去年までの秋の紅葉は
数年間行列がすごく楽でした。
今年は押されちゃうかもしれません。
岸田さんが大好きな中韓インバウンド絶頂期、
全国の観光マナーがひどくて
辟易したことがあります。
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極論すれば
生き物としての人間に
日本人が(徐々に)遠くなっているというのが正解です。
メッカ巡礼とか、確かイラクかイランの聖地でもありましたし
カーニバル系では確か圧死での大量殺人も
起きているかと思いますので
まあいろいろと解放されてしまったのでしょう。
映像見るとまともな人もいそうですが、
なんと言うかねぇ。
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Posted at
2022/10/31 23:05:51
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