この人の意見が一番わかりやすいよね。
小山田圭吾氏の辞任劇に際して考えたこと
ポイント
・いじめと呼ぶには度が過ぎる。
・奇しくも、7月26日は「津久井やまゆり園」の事件から、ちょうど5年の節目である。あのような凄惨な殺人事件を二度と起こさないためにも、程度の違いはあっても、同じ「思想」が見え隠れする行為を見過ごすわけにはいかない。
・反省とは
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さて、とはいえ、
才能の発露とはリミッターの破壊と
非常に近いものがあります。
共感性とは、
大事なものですがそれに左右されるという事です。
つまり共感性があるがゆえに集団行動として
残虐なことを為す場合がある
というのが人間という生き物なのです。
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また芸人がたくさん
いじめがなんだと言っていましたが
芸人はそういう世界でネタを盗みあって
蹴落としあって生きているわけで
それを社会性という「社会から望まれる」
いわば「殻」で覆う事によって
テレビに向かって「演じて」「見せている」
にすぎません。
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そもそも
「笑い」というのは
そう言う暗い部分や粗さがしに
依拠しているということの
証明なんですよね。
でも、笑わなければ人は壊れてしまう。
そのバランスの中で
優しさというのは培わなくてはならないものです。
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さて、自分を含め
いじめていない人にとっては
当時は「許されていた」 という世界がよくわかりませんが
マスコミや芸能界では肉体接待が
半島を含め今も昔もありますから
如何にひどい事をしたか
という自慢話は
偉い人に取り入るには必要で
それを一緒に笑い、暗い経験を共有することが
「欠かせない事であった」
と仮定づけることができます。
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そういう習慣性を持つ芸能界やマスコミ様が
五輪をたたき
今また五輪を礼讃し
また終わったら叩くわけです。
パラリンピックも所詮はその為のネタ作り。
その中で「たくさんのお金を抜く」のが彼らの仕事です。
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そのための手段として
脅迫や肉体接待は彼らの中では自然で
常識なのでしょう。
そんな彼らがオリンピックやパラリンピックの理念のもと
「迫害」されました。
パヨクやマスコミさんは
オリンピックが終わり次第
DISりまくると思います。
コロナコロナコロナコロナと煽るでしょう。
幸い
コロナの制圧に関してはめどが立ちましたので
彼らの火病を潰すには
絶好のチャンスではあります。
その辺りはおいおいと。
Posted at 2021/07/28 12:20:32 | |
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オリンピック | 日記