123便の墜落から30年がたった。
ボーイング社の修理がイマイチだったせいで発生したんだけど
それを大勲位を始め?隠そうとしたので
最初はパイロットのせいとか、
米軍機の撃墜とかまで言う人もいた。
未だにいるけどね。
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その当時のニュースでの第一報は7時のニュースの終わりだった。
今でもその瞬間を自分は覚えている。
レーダーから機影が消えました、だったかな?
だから7時半か7時20分に一報が報じられたことになる。
その墜落時間は
18時56分
「ドーンと行こうや」とは
目視で不時着する事に或いは…意味があるかもしれない。
(逆に7時を超えると急速に暗くなる…)
もちろんそれは一つの選択肢であって
墜落は意図した不時着ではない、し
山への墜落を避けようと最後まで奮闘している。
(但し本当の最後は言葉は無い…)
浮力は地面が近接した瞬間が
最大になるんだよね。
(だから操縦不能の機体が
右にうっすら旋回する事になる)
その「迷い?」は4人の生存者を呼んだ。
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その兆候は不時着時の
航路を見ると見えてくる。
もちろん失速しながらな訳だけど…
(
そしてもう駄目だと叫んでいるように、
もちろん山で墜落したかったわけではない。
何せ失速状態でも
飛行機は2-300kmは出ている訳で
新幹線で山にぶつかるのは
勘弁だよね…
山にぶつかりたい人はいない訳で…)
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山に着陸すると言うのは意外と
ショックを弱める働きがある。
日本の山の多くはアルプスと違って
木が生えている、からなんだけどね。
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結局はボーイングの商売への気兼ねで
事実が大分隠されて、その影響で
色々と風説が飛び交った訳なんだけど…
その
行動は無駄だった訳じゃない。
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アメリカで類似事故が起きた時
123便のケーススタディに詳しいパイロットが同乗しており
助かったケースもあるのだ。
(アンビリバボーとかでも放送されてたよね)

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失敗事例としてはそれすら…
助かったかもしれないのにと後付けで評されているけど
(よもやま話)
ちなみにその事故では、火だるまになって爆発炎上し
110人が死亡している。(即救助でこれな訳で…)

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尚、
シュミレートの結果は、
即墜落でもおかしくない状況で
状況を知らない中での機長の判断は
実は驚異的だった、とも言われている。
増してや海に着水は不可能だったと言う事が
今になって明かされる様になった。

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つまり、
本来であれば、即墜落で
「生存者はいない」状況だった
可能性が非常に高い。
(その方がボーイングにとっては都合が良かったかもね)
また「
横田基地は受入れ可能」であり
米軍や自衛隊との連携が
より早ければ、「生存者ははるかに多かった」
可能性もないではない。
(但し、それにはもう少し
発生時間が早ければという前提はつくけれど)
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同時に機長が、
街中や横田、羽田を目指さ(せ)ずに
結果として群馬の御巣鷹(というか何もないけど)
に墜落したのは巻添えを産まないと言う意味でも
幸運だった。
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そのデータの多くは結構…捨てられてしまったのだけど
ちなみに機長は自衛隊出身。
恐らくその操縦技術があったからこそ
オールロスの機体を30分維持したし
今の操縦士たちはオールロスへの備えも
訓練される様になった。
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それでも何も知らない人達は
「俺なら出来た筈」と、自信満々だ。
もちろん知ったからと言って何かできる訳じゃなく
冥福を祈るしかできないんだけど、ね。
(そして終戦時もマスコミを始めとして
ウリだったら解決できたニダ、って言うんだろうね。
大事なのは1000年の土下座ニダとかってね。)
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とにかく機長達は、そしてスタッフ達は
出来るだけの事をした。
例えその先には死があろうと
もがくだけもがくのにはそれなりの意味があるし
それは覚悟とはまた別個の物なのだと思う。
時間があれば
日航123便機墜落事故から30年:命を守る必死の努力:胸迫る機長の言葉と「ヘッドダウン、頭を下げて」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20150812-00048420/
には是非目を通して欲しいと思う。
Posted at 2015/08/13 20:21:42 | |
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