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ちょこば(旧chocovanilla)のブログ一覧

2015年05月30日 イイね!

神性は人に宿る、しかして人は神ではない

これは結構簡単な話なんだけど、
人によっては、シューキョーガーとか、
我がウリストのの教えに反するニダー
とか騒ぐかもしれない。

まずよくシューキョーは繋がってるとか言ってる人は
多いんだけど、当たり前のことなんだよね。

だって人としての道は
そんなに方向性が違わないわけで
中には神が言ったニダって嘘をつく
輩も多いけど、その時点で聖典的なものから
外れている場合が多い。

つまり人としてのあり方は
伝統宗教であれば大差はない、
新興宗教だと、信者獲得高得点とか
訳のわからないものがあるけど
あれば、無税ブラック会社だから
またジャンルが違うんだよね(苦笑)

つまりは、信じる神様がいようといまいと
人としてのあり方にはそこまでの差はない

そういう意味では八百万の神様がいて、
どれを信じてもいいけど、人としてのあり方を
重視している神道は
極めて合理的で実は後進的、と見せつつ
高度な統合が為されているんだよね。


というのも、唯一神なんてものに頼らなくても
世の中は様々な法則や、
宇宙を理解できるようになりつつある。

万物の法則ってものだよね。重力や粒子、エネルギー
の理論と、その証拠となる歪みや、自然科学
そういうものを学んでいれば、世の中のことは
ある程度わかるし、
ユダヤやアメリカの陰謀に頼らなくたって
簡単に予測可能だ、それはなにも神仏の力とは
関係ない(苦笑)

じゃあ、昔の神様って何?と言えば、
自然科学や物理や、土木や、水運を
考えて、経験して、研究していた人々
なんだよね。



その時に、やっぱりあれは隣国の陰謀ガー
とか、やはり無抵抗万歳ニダ、とか訳のわからないことを
言う人に惑わされないよう、同じように取り組んでいた人達の
言わば先人の知恵やお告げを借りた、というのが
神道の始まりであったのかもね。


荘厳と静寂は、
何も自然の畏敬を増幅するだけではなくて


孤独な決断者は悩むなかで、やはり悩んだであろう
先人の知恵や決断を聞きたかった、と思うし
そう言うなかでも、前向きで、結果を重視して
時期や方法を提示しなくてはいけない


そうしないと、ウリ神の力を標榜する、
例えばペンの力を標榜して、嘘をつく
マスコミ様みたいな、唯一絶対9条の神
みたいなのに惑わされるアホが、
どうしても発生するんだよね(苦笑)


だからある程度(ここ重要)の信仰がある人は
宗教に関わらず、神性を身に付けている人が多い。
一つの視点があり、人としてのあり方が安定してる。
理知的だけど、無慈悲ではなく、
人は神ではないことを知っていたりする。

一言で言えば他者の祈りを尊重することが出来る。


結局は、神と人の在り方は人それぞれで、
ほとんどの場合、人によって信じる神様は
違う場合が多い。でも人としてのあり方には
そこまでの差はない。



害を及ぼさない範囲で許容し、
害を及ぼすものは、努力はするけど、それでも
ごね続けるなら、勇気をもってお帰りいただく。


そういう姿勢を学ぶには、日本や日本の環境って
すごくいいと思うんだよね。


でも、残念ながら、一定の人は思い込みが思い込みを呼び
そして先鋭化していく。取って変わろう己が神になろう
そういう発想に陥る人も多い。
欲をコントロール出来ない人達って言えるかもしれない。

そういうメンドイ人を統御するために、
唯一絶対神は確立されたのだけど、メンドイ人達は
唯一絶対神を騙って欲望を満たすようになった。

だから、神性は人に宿るけど、人は神じゃない。
そして欲のコントロールと合わさって、
意外にも宗教から完全に逃れることが出来ないのは、

宗教を否定しつつ、宗教的に振る舞ったり
9条をお経のように唱えてみたり、
人を殺したりする、ブサヨさんからも伺い知れるのは
ちょっと滑稽だったりする。

いずれにしろ、信仰のし過ぎと先鋭化は
大抵の場合毒だ。ある意味、
それは暗闇で光る蛍みたいなもので、蛍でこの世を
照すことは敵わないし


集めて明かりにしようと集めれば、やがて蛍は
いなくなってしまう。


増してLEDマンセーになってしまえば、
蛍などゴミ虫にしか過ぎないわけで


何にせよ人はさじ加減なんだろうね。
Posted at 2015/05/30 12:33:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神話ネタと昔話 | 日記
2015年05月17日 イイね!

錦帯橋のライトアップ

用事があって週末はあけてました。
段々馴染みつつあるような…。

というのは冗談ですが、
出掛ける機会が増えているのは事実ですね。




夜はライトアップされているという錦帯橋へ。


思った以上にひっそりしていました。
川霧がいい雰囲気を出していました。


伝統を守るというのも一つの雅です。


そう言えば、橋下氏は発言を守るのでしょうかね?
そもそも、公務員のリストラとかは出来ない筈ですが
第二の桝添を作らないためには、現状維持でいいと思います。

大阪市が財政的に持つのかは
知ったことではありませんが
取敢ずは民意でございますよ♪
Posted at 2015/05/17 23:50:54 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神話ネタと昔話 | 日記
2015年04月29日 イイね!

神様と宗教と絶対神?はそれぞれ別、じゃないかなと

この記事は、とある人物の、許しがたい世界観について。について書いています。

世の中にはいろんな神様がいて、
それぞれの信者があーだコーダ言っている。
それでキリスト教とイスラムみたいに、同じ宗教の筈なのに
見事に殺しあいを太古より行っていて
アホじゃないかと思わなくもない。

しばしば勘違いされるけど、神様と宗教は違う。
崇高な存在と、信仰とは別物なんだよね。
もっと言えば信仰とは幻想であり、宗教とは集団幻想である。

集団幻想とは価値観の創造であり
価値観の創造と組織化こそ、力である。
力の行使として、暴力がある。

と言うのが自分の見解だったりする。
じゃあ、唯一神って何?って聞かれれば
自分は神じゃなく、それは質量であり、重力であり
質量ごとに生じる引力が、一つの神だと捉えている。

要するに意思なんかなく、法則であり
それらが集合して今度は相対性な理論を構築し
更には、ニュートリノ等の見えないエネルギー
(最近拾え出してるけど)が理論構築され、
そして実在しているだろう、なんて考えている。

無神論者に思考は近い。

じゃあ、神様って何よ?って言われれば
基本的には先人なんだよね。
色々な困難や災害を、さまざまな知恵で
乗り越えたり、克服したり、取り組んだ人達
また、自然と一体化し、その自然のリズムをも
伝えるのに成功した人達や、
どういうメカニズムかはしらないけど
意思や情報を伝えうる存在がいるらしい(苦笑)

いるらしい、と言うのは、
自分は預言者じゃないので、伝聞です(笑)
神憑りは才能ないです。

簡単に言えば、知恵や考え方、視点
取り組み方、タイミングそういうものの
ヒントを得にいくようなものかな?

なんにせよ、ヒントを得られたりすれば
自分はちょっと恩返しがしたい。
それには、神社に手を合わせる人が
増えたらいいな、と思っている。

結局は人の脳とその仕組みに
信仰は宿るわけで、信仰そのものが
多くの場合、神様を形作るわけで、
それはそれで構わない、なんて思っていたりします。

皮肉にも信仰と力は結び付きやすく、
信仰による正義と粛正は力となりやすい。

正義なき力は暴虐であり
力なき正義は無力である。

故に正義そのものをコントロールする方法として
宗教、特に一神教は、発達した、ととらえると
分かりやすくて、

宗教の数だけ正義がある、
なんて言えるのかもしれない、
そしてそのコントロールのツールのひとつに
いわゆる経典、すなわち聖書があると
位置付けると分かりやすいかな?

故に定義と正義に小うるさい
社会主義は、より宗教的であり

猜疑の、じゃなくて正義の名の元に
粛清にものすごく熱心である、と捉えていたりする。


その他にも習合なんかの技術もあって、神様と言うモデルが
形作られていたりして、その一部は毛沢東みたいな輩も
いなくはない(苦笑)
人の欲望が具現化すると、あんな神様?が出現する。

極端な話、神様と宗教は信仰する人の写し鏡であって、
どうあろうとするか?が、多分凄く大事なんだよね。
そういう意味では暴力とは定量化できる尺度に過ぎず
いわばお金みたいなもの、とも言える。
仮にルーブルにしておくか。

しかし価値観とは、おかねみたいなもので、
ルーブルでなく元であればまた、
価値観が違うし、買えるものも違うし
その暴力性すら違う。

ここに秦の始皇帝が、なぜ度量衡と通貨を
統一しようとしたかが見てとれる。
皮肉にも軍事は貨幣と極めて近い。
軍隊には燃料と食料の補給が不可欠だから、
決済と価値の統一は
兵站における基本となるからだ。

思想と兵站を結びつける統一が
秦の基本であり、統一されて
始皇帝を失って政権は瓦解した。
何故なら、イデオロギーを失ったから
なんだよね。

と言うわけで、そういうのに反感や矛盾を
感じても、神道の神様と言うのは
かなり自由だから、そういう神様も
いたりする。

人には人の、自分には自分の神様が
いるかもと考えると分かりやすい。

つまり宗教とは価値観の統一であり、
統一することによる組織化と
労働力の低コスト化は、力の発動と行使に
効力を発揮する。

一言で言えば宗教は使い方次第で
力の行使における錬金術になる。

と言うと元も子もないけど
信仰が組織化すると、大抵は神の冒涜なのが
不思議ではあるよね。

とにかく、万物の各法則と向き合う方が
大事でその視点や心掛けを
教えていただく存在に
海を割ったり、嵐を呼ぶのを
期待するのは実はちょっと的はずれだったりする。

Posted at 2015/04/29 20:28:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神話ネタと昔話 | 日記
2015年04月06日 イイね!

【取上げようと思って忘れてた】モーゼの話はあったかもしれない話

この記事は、「イカロス現象」と「戒め」。について書いています。

えっと…ごめんなさい。
これ思い出しちゃった…

※注:トラックバックしていますが
内容的にはあんまりトラックバックしていません。

***********








***********
さあぶっちゃけ編行きますよ。
ユダヤのインボウガーーー
でも今回は推論
ですけど。

ユダヤの上手なのはどうやら
自然現象だと読んだっぽい所

で、古代エジプトと言えば、装備もあるし
戦車なんかもいたりして
潟湖の沼沼を超えられるのかどうか
と言うのがポイントなんだよね。

有明海が、干潟になっても
絶対にかけ抜けられない様な物で
潟湖と言えど通れる場所は非常に限られる。
(基本砂地じゃないと死ぬ)


***********
■推論としては追い掛けたのは馬とか戦車とか
武装した兵士で
(走って追いかければ間に合わないしw)
この事によって、


裸一貫で、痩せこけていたから
逃げれたと仮定すると

何故モーゼが逃げれて
エジプト兵が溺れたかが
考証出来てしまう
(かも)って訳

******************
じゃあ時代考証はと言えば
モーゼはラムセス2世王
(ヒッタイトとの戦車戦が有名)
に近いと言われている



****************
■とするとモーゼの決断は海を割る事ではなく
割れた海を走って逃げるかどうか?
にかかっていたと思うとドキドキしません?

いつまで割れているのか、
海底の足場はどうなのか

むしろ船で逃げる気だったのに
風が強いから船出さないとか言われて
あーなのうーなの言っていて
海が割れた(?!!!!)

と考えると、モーゼは泣きたかった
と推測されます。


そもそも走れるのか?

**************
■実は発想が逆だったと捉えると
ちょっと想像がしやすくなります。

そして対岸に渡った
後追撃が治まったとすると
見えるのがヒッタイトの陰
、ですね。

例えばイスラエルが、
ヒッタイトとエジプト両方に人質を出していたとすると
(とはいってもまだその頃はユダヤの国はなかったとも)


いわばEEZや防空識別網が
エジプトの場合ちょっと後退していた
(和平中)と考えると追手が来なかったのも
うなづけます。


**********
■あとはモーゼがもし海が割れる
としっていた場合何故知っていたのか?

です。モーゼ自身よりも
エジプトに内通者がいたから、と考えると
一番分かりやすい可能性がありますね。

ピラミッドでも分かる様に天文に精通していた
気配がありますから、
その辺りがモーゼに入れ知恵していても
説は成り立つと言う訳です。

*************
「も、モーゼ隊長どうしましょう??!!!」
「う、海割れましたよ」

「(し、知るか!!!!)
か、神の思し召しだとにかく行くぞ!!!」
(もたもたしていたら戦車に追い付かれる)


実際はそんな寸劇があったのかもしれません

***********
少なくとも潟湖と言えば…
天橋立にもある様に
砂州があった可能性もありますね。

とにかく、難プロジェクトを成し遂げたモーゼを
ダシにして、道徳教育を行ったと言うのは
これこそユダヤの陰謀、
だったのかもしれませんよ(笑)


***********
おまけ、潟湖は細長い事が多く
入口が狭い上に、入り出口が少し高い位置にあったりしますね。
それはCGによっても明らかです。



これは砂州が干満時に浮かび上がる
フランスの「パサージュ・デュ・ゴワ」型に、
強風が合わさったのかなと勝手に推測していますけどね。








渡り切る前に水没しちゃう!フランスの巨大砂州「パサージュ・デュ・ゴワ」

**********
だってモンサンミッシェルだって18年ぶりに
「水没」とか言うんですから


ちょっとした気象の変化や
潮の干満で奇跡は起こりえると言うことの表れで
森羅万象もくそもない自然の摂理

とは凄いものなんです。

でも「神が絡まないと」「人は覚えていない」
という冷酷な悲しい現実も
あるのかもしれませんね。


(むしろそれこそがユダヤの陰謀、かもしれませんね)。
************
面白いのが日本の神話との比較です。

いわば天孫降臨に対を為すのが
モーゼの話に近いんです。
だって、そんな何十万人も海渡ってたら
エジプトに捕捉されますって。



ですがモーゼは天孫ではなく
神のあり方も日本とユダヤでは対照的
です。

そんな訳で神道系でも新興宗教系になると
ユダヤ臭(要するに模倣)がするのは面白いですね。

***********
ま、分かんなかったら
悪いのは安倍さんやユダヤやアメリカ、
や一つ目お化けやルーピーでどうぞ。

止める気もありませんしね。




Posted at 2015/04/06 12:31:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | 神話ネタと昔話 | 日記
2015年04月05日 イイね!

【月食】折角なので、奥宮に登った(笑)

生憎の雨予想、
行くのやめようかと思ったんですが、
折角なので、行ってみました。

龍の落としごみたいですけど明らかに雨の前兆です。


とはいっても一度雨も上がってさくさく上ります。
足が地形を覚えるんですよね。何だか空がピカピカしてますが
気にしない(汗)傘もあるし。

ちょっと早く着きすぎました(苦笑)
でも、綺麗じゃないですか?


物好きだな、と思いつつ宮に
手を合わせたりしているうちに


雨がふりだしました。


空は、暗くなりません、登ってくる途中に浮かんだ
地中に天有り
どういう意味なんだろう?なんて思ってました。

皆既の時間も終わって小降りになったので降りることに。
街の光は、雨雲に反射されて
不思議と明るくて、何だか不思議でした。

さて、地中の天かなと思ったものが。
理由は、山にも桜があります。
名前の通り山桜。


小振りな花びらは闇夜で星座を描きます。


暫く降りていて、花の気配
ん?


山ツツジですね。


雨は、その反射で闇夜を照らしてました。
降りてきて、桜に御神籤が。
願いはさくら咲いたのでしょうかね?


先程よりも地面には多くの花びらが。


雨なので人も少ないです。
桜とおみくじのコラボは
初めてですね(笑)


ボンボリの趣味は微妙ですが、雨が上がって
雨が桜を浮き立たせてました。


雨はさくらの色を少し変えるのを思い出しましたよ。


そんなわけで、視点を替えればご褒美は貰えるものです。
ただ奇跡に備えて持っていった一眼の出番は
ついにありませんでしたが、(苦笑)
耳や心を研ぎ澄ませば、いろんな発見ができるものだと、
改めて思うのでした(*^^*)

Posted at 2015/04/05 00:09:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 神話ネタと昔話 | 日記

プロフィール

「サイトカインによる死者続出とか結構共通点があるんだよね。GIGAZINE人類史上最悪の伝染病「1918年インフルエンザ」に関する10の誤解
https://gigazine.net/news/20200330-10-misconceptions-about-1918-flu/
何シテル?   04/01 12:44
chocovanilla改め「ちょこば」です。(短くしただけ) チョコラ+バニラの二匹が発祥だが彼らは登場しません。ドライブブログかなと思っていたのですが、原...
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