暴走観光(注、速度違反じゃないよ)
が祟り現実から出家(昼寝)していた
ちょこばです。
還俗致しました。(ねむ…。)
さて、世の中には本当に出家する人たちもいます。
現実から卒業して、
共同幻想の世界に生きていくという
仮想現実への出家と言う奴ですね。
この辺は難しくて、どちらが幸せかとは
余人の知るところでは御座いません。
噂では、シューキョーvsゲーノー界というなかなか
香ばしい戦いのようですが、
東京喰種はどうするんだろう?
と呟いておきます。
好みじゃないからいいけど。
守護霊ビジネスは、
あくまで守護霊(自称)との話らしく、
嘘を言うこともあるそうで(笑)
人の視野は限られることで、逆に
様々な想像を来すものです。
モザイク効果もその一つですね(苦笑)
源光庵の窓も
その一つでしょう。
見えないことで、人は補うものです。
ですがそれは所詮補いうるピース(願望)に過ぎません。
その回りの世界は、見えない方が
都合が良いもの、でもあるんですよね。
極端に言えば、ストーリー展開がしやすいから
源光庵の窓は魅力があり、
その景色は、図形的ではあるけど、
本来はけして、至上ではない、と言うこと
かもしれません。
故に、その美しさの正体なりを
知る必要がありますが、それは奪うためでも
また、その事によって
自己顕示を過度にすることでもなく、
ただ、ありのままを確かめ
受け入れるためでもあるのですが。
確かめてこそ、それを作り上げた人の
頭の宇宙に、思いが及びます。
つまりは、摂理を知りて、
尚穏やかさを保つことが仏道であり、
対して、自らが責を全うするために
立ち向かうのが、神道、とも言えるでしょう。
極楽浄土は、頭のなかにしか存在せず
再現することは出来ますが
仮想にしか過ぎません。
それは素養であり、平常心で
自らが進むために、ちょっとお力を借りるのが、
信仰であり、
来る暇があれば、仕事しなさい
(言われたことが(苦笑))
というのが多分真理です。
それ故に純粋に、伺ったり
或いは何かを報告したくなることを
帰依、とも言います。
自らの責を自ら問えるのであれば
そこに余人を介する必要は全くない、ですからね。
故に、私的には
神は優しく、(道を開くときがあり)
仏は厳しい(道を示すことはない)のですが、
人には色々な神が居ますから、人に迷惑をかけない限りは
邪魔しないでおきましょう。
一言あっても、事が決まれば
そーっと見守るしかなく、そして、また、
自らの道も続いていくものですからね。
人の縁は、変えることも出来ますが
やはり不思議としか言えないものも、
あるんですよね。
Posted at 2017/02/12 18:23:24 | |
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