が故に神はいる。
と言うか日本人的無宗教でいることが
多かった自分にとっては、
信仰を叫んで己の欲を果たそうとする
テロ集団を見ても何も気持ちを動かされない。
テロリストの言う
アラーアクバル(神は偉大なり)が本当であれば
あんな馬鹿なことはしないしさせない。
つまりは、彼らのアラーは偽物であり
模造神であり、イスラムの神でもないことは明らかである。
行動原理は、十字軍の神、みたいだけどね。
ちなみにキリスト教もIslamも、そしてユダヤも
神は同じだったりする。
と言うか…。原初神は喋らない。
何億も相手にする原初神がいようはずもない。
閻魔様じゃないんだし、
あ、お前地獄行き、とか
じゃあ、神や天啓は何ぞやっとか言うけど
それは助けて貰った人にしか、解らないし、
判ったとして言う気はないよね?
つまりは、多くの人は模造神を崇め奉る
迷える子羊とやらで、神様がいようといまいと
この世の中はあんまり変わらない、
から釈迦は、この世を捨てた(解脱)した。
えっと思うかもしれないけど、宗教はここで停滞する。
あとは、預言者とやらが、より良い模造神を
この世に宗教として体現し、
安定した組織を形態させる事に成功した。
これは組織論上、また人を動かす
グループダイナミクス上、有意義で革命的な
出来事であったって言えるかもしれない。
さて、ここまで言うと、無神論者として
偉大なる神の信徒に糾弾されそうだけど
(或いは天照の教えに反するニダとかね)
結論から言うと、模造神は必要だ。
それもより良い模造神がね。
組織学的に人をまとめ、
より多くの人を養うのになによりも適している。
共産主義が個人崇拝と宗教化に頼らないと
いけない現状が、
それを実証しているとも言える。
実際、見えたり聞けたり、伺えたりする
人が模造神であることを受入れ、
自ら振る舞うことは物凄く困難で
大変なことだ。
そのほぼ全てが
その中途で力を喪失し堕落する。
日本にはたまたま苦しみ抜いた
方もいてその経験はやがて後代において
天皇制を確立するに至ることになる。
結局、模造神として振る舞いながら
何とかその事を伝えようとした方もいて
それを守り続けられた集団は生き延びられる
チャンスがより増えることになる。
その信認は、今も多くの国家と社会、
そして経済を形成していて
多くの安定的な宗教で、一定の観点が共通するのは
集団力学のバランス要素が大きい。
と、ここまでにしておこうかな?
模造を否定すれば世は崩れてしまうからね。
Posted at 2016/07/23 08:43:11 | |
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