■土日は、埼玉に戻ってふらふらしていました。
ラー博とか。

でも年のせいかミニラーメン3つも食べるとモタれるようになる今日この頃。
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■阿見のアウトレットもうろうろしてきました。
もちろん自分には特に買う物がある訳でもなく、
家族サービスなんですよね。
ちなみに、アウトレット商品は少しだけあるにはあって
どういう事かと言えば、新商品→バーゲン→アウトレット
という流れがあって、
『女性物』は大体1-1.5年かけて
出現するタイムラグが魅力らしい。
要はお気に入りがヘタレた頃、それを手に入れるとか
我慢した商品を安く買ったという『心理的満足』がそこにはあって
合理性を求めると話がおかしくなるよと言う所があります。
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■何が言いたいかと言うと、『合理だけではない』と言う事です。
ブログなんかは『合理だけ』でもいいんですけど
実際問題の世の中は、『理と情』が混じり合っているという事でいいかと思います。
極端に言えばどれだけ合理性を高めても
人間は情に流されるという事も言えると思うんです。
それを無理やり合理に結び付けると話がおかしくなるんですよね。
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■理と情が対立した時は、「情」を優先するに限ります。
大抵は非合理的なので、いずれ『理』が力を取り戻す事があるからです。
ただ、「情」に従うという事は取り戻しがつかない選択もある訳で
『取り戻しがつかないよ』と言う事は口を酸っぱくする必要があります。
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■原発も然り
「原発をやめる」事のデメリットを口を酸っぱくしていって
それでもやめたいなら、馬鹿高い電気代と中韓原発万歳を
子子孫孫まで背負わせて悔いて死んでいけばいいんです。
その為に「合理を曲げない」事は大事で
『合理』はしばしば取り返しがつかなくなって初めて見直されます。
そうすると「私も実は合理的だったんですよ」
と言う「後から合理」が死ぬほど湧いてきます。
だから「合理主義者の太鼓持ちは大抵、ろくでもない奴」であって(笑)
『合理主義者が選ぶ取り巻き』は『合理的盲従者』が多いというのも
歴史の必然かもしれません。
そして大抵は『合理的売国」を叫び出します。
「己に合理的」ですからね…
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■結局立場によって『合理』とは異なるものであって
できるだけ立場をずらさない事が必要です。
『合理』とはまた割り切れないものでもあります。
全てを割り切れるものなど殆どが無い訳で
対数、あるいは平方根や虚数も同様です。
円周率すら同様と言えましょう。
割り切れる割り切れないは別として概念は存在しますし
概念上は割り切れるから虚数が存在します。
逆に割り切れない数字は割り切れないが故に
結果や過程が読み切れる場合すらあります。
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■しかるに最近の自民はその辺りを
調整できる能力を失いました。
民主党に割り切れないものが自民党に割り切れる…
訳はありません(笑)
それを分かってないんでしょうね。
そしてそれを埋めるのが統計や確率概念
いわば近似概念であり、データと言う訳です。
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■結局の所、世の中には「馬鹿」に一回任せて、
うまくいかない前提で、リカバリーを試みる場合と
どうやっても強奪してでも、主導権を握って
絶対にうまく生かせなければいけない場合があります。
原発はどちらかというと、「馬鹿」に丸投げして
「金じゃない」という人間を拾い集めて
そいつらの一貫性の無さや、定見の無さ、そして「金じゃ無い」の嘘
を暴くにはいい物ですが、
副作用として技術を失えば国益や軍事バランスにも影響を与える
という事は口を酸っぱくして述べてきました。
(選ぶのは物事を知らない大多数の国民のはず)
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■但しあまり「馬鹿」に任せる事に
時間をかけたり長引かせたりすると、取返しがつかない
(国力低下や領土侵食)を招いてしまいます。
故にこのブログもまた、おままごとめいていると
言えるでしょうし、
「馬鹿」とは「自分の方が優れている」と思いこんでいて
「自信満々」で「火中の栗を拾おう」とする人を言います。
だから『火中の栗』を拾うのは
「馬鹿」と決まっていて、そこに追い込まれた者たちは、
「やむを得ず」や『背水』を表す者=お涙ちょうだい系
『嬉々として士地に赴く』=バカ者認定
に分かれます。
その『火中の栗』を無理ゲーと言います。
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■結局は無理ゲーなんざ作らせずに失敗させて人を育てるのもシステムですし
その為に法があるのですが
「法とシステム」がうまく機能しないと
最終的には「ギャンブル」や『無理ゲー』が発生して
犠牲や生贄を強いることとなります。
■結局は
能力とは必要条件であって
十分条件ではありえ無かったりします。
それを理解しないと、ありもしない『完璧な法』や
万能解決者カリスマさんを求めて、騙され続ける
さすらいの旅が始まるのかと思います^^;
■という訳でアベノミクスは
元々はったり(と集団幻想)に神髄があるのですが
思ったよりも早く、皮が剥がれてます。
■皮肉が過ぎるかもしれませんが、
非常時は結果、平時はプロセスが
求められるのが世の中の世相という物です。
■同じ内容をどの様に書くか、
どのように根回しするか、が平時では重要で
それは大変面倒ではあるのですが、
手を抜いてはいけないし、
そのプロセスを民主主義という以上、
プロセスが致命傷にならない様に、
マスコミの逆を行うというのも大事なのかもしれませんね。
■という訳でバカバカ書いてみましたけど、
馬鹿とは、意外と立場と、そのパフォーマンスにあって
知能とは実は関係ありません。
代表があのルーピーですよね(笑)
演じるバカ、本気のバカ、知能の高い本気の馬鹿ほど
恐ろしいものはないとまさしく教えてくれました(笑)
橋下さんもバカを演じ過ぎです^^;
本質は親韓なのに、
論理に引きずらられていたりして
いずれにしても馬鹿を舐めると危ない事には
変わりないかと思います。
馬鹿は結構怖いんですよ…。
Posted at 2013/06/17 16:04:51 | |
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知情意の話 | 日記