2015年12月06日
人間と言うのは習性があります。
家族や近くの人なら何となくわかる、
とも思いますけど(苦笑)、
特に世界観なんかは
面白いなぁと思います。
自分の写真なんかにもよく出ています。
構図や、焦点の当て方、
構図の切り取り方。
その中で人は、互いに洗脳仕合ながら
パーソナリティーを形作っているに過ぎません。
人は全てを捨てて解脱することは
基本不可能で、だから修行があるわけです。
やり方を変えたら全てが解決する
と言うのは大嘘です、
そこにはたくさんの変数と、
方程式と確率論があり
所詮はデリバティブのように
近似式に逃げているにすぎません。
ですから、きれいな理論に
洗脳するされるは、
慢性化すると世界が狂い
非常に有害である、と言うのは
カルトをはじめとして明らかだったりします。
世のすべては基本理で説けなくてはなりません。
もちろん、理で解けない物はたくさんあるのですが
実際あろうとなかろうと
体験者も詐欺師も、証明できない以上
経験のない人には同列です。
皮肉にも、経験のない人が無闇に靡けば
それは詐欺師に対しても容易に洗脳される
可能性を高く有する、とも言えるわけです。
その辺りは引用に対する、無限か、有限での
受入れがひとつの目安となるでしょうね。
そして、世の中の人の多くは、
そのバランスが偏っていたり、或いは
カモフラージュだったりします。
そうでない人は、思込みを現実にも反映しようと
する傾向が強いですね。
私などは、
理による論拠が表にあって
法による支配と、
隠れた恣意が裏にいます。
というよりは世の中の標準スタイル
なんですけどね。
その奥に自分だけの庭(世界)
と、いくつかのペルソナを有した
己がいるわけです。
もちろん思い込みの視点からの視界も、
必要なときもありますし、
時にはそこから切り込むこともあります。
ただそれはケースバイケースな上に
タイミングが重要です。
コンピューターの急速な進化は
世の中を変えていますし、
これからも変えるでしょう。
共生しつつ、時には利用し、
時には真っ正面からぶち破るには
多分人間の不確実性を生かすのが
大事で、それができなければ
やがては淘汰される運命にあります。
その時残るのは、皮肉にも
カルトの世界と、個の世界です。
あとは、神社のような多神教の世界でしょうか?
こうして、この世には、
宗教的なものが醸成され、
一つのシェルターや目眩ましに
なっています。
或いは逆に影響されて、
盲目や犯罪に走る輩もいます。
そしてそれを否定する宗教が
共産主義や、人権派など、
理想論を装って存在します。
愚民を扇動すればと逆説的に認められた
民主主義がコントロールや予測がしづらくなった
現在、色々な新しい規則や
規範が作られつつあります。
その多くは、ISOや内部統制、
実例ではVWのように極めて、個に責任を
押し付けるシステムですけどね(苦笑)、
組織とヒエラルキー、と民主主義は
実は相容れませんし(妥協は可能ですが)
ただそれを割り切ろうとすると、
害悪が発生します。
逆を言えば、力を得たいときには
一時的に自らを洗脳して、
時限的に割り切れば
ということもあるんですが
取敢ずは独り言、
ということにしておいて下さいませ。
何分その時の事を忘れたり、記憶を書き換えるのも
また人間の不思議なところですからね(苦笑)、
Posted at 2015/12/06 12:23:37 | |
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