2024年01月31日
さて、今日は曖昧なことを書きます。
そういえば忖度で死んだのはアベガーとか
いってたマスコミが
原作者の死にはなんの責任もなかったニダ
ジャニー愛は世界を救うニダ!
とか笑えます。
さてさて、砂時計と言う
漫画について少し書きますが、
この漫画はある意味
男性が知っている少女漫画
(メディアミックス含む)の
最たるモノだったりします。
本人が、というよりは
人の価値観を認める、という行為として
受け入れていることが多いかなと思うのです。
この中で、自殺がテーマとして
出てくるんですよね!
子供はそこに抗する情熱があります。
老人はそこに対抗する思い込みがあり
また自殺への力が足りません。
つまり自殺とは、
終わらせる強さと、
折れ曲がった弱さと
見えない光があるのです。
実際には闇ですが…。
さて、宗教とは関係なく
暗闇の光を信仰と呼びます。
暗闇の光こそ、人を導くものなのです。
地獄に仏ではありませんが、
その存在こそ、神と呼ばれるものだったりします。
ですが、そのような経験をしたとして、
その神を人に告げようと
するでしょうか?
しませんよね?
つまり信仰とは孤独で
また、独善でもあるのです。
クリエーターというのは、
そういった薄い光をしばしば
描こうとすると思います。
言わば信仰に近いものですね、
だからこそ踏みにじり、マウンティングを
する価値がしばしば、特にマスコミ様とか
今回の攻撃しまくった 本屋さんとかには
あるわけです。
まぁ剛力書店とか作る人なのでお察しですが。
攻撃の協定、なんてものが
己の内面にあればいいのですが、
人というのは、内側や内面に弱点を抱えます。
一言でも人を殺すには十分なこともあるのです。
(夏目漱石のこころ、ですね。)
死の影とは、払っていても
忍び寄ってくるものです。
死ほど静寂で動かないものはない。
ですが時間は止まりませんから
物質的に腐敗し、内容物が溢れだし
実際には、生ける人にとっては、
死は静寂ではないのです
つまり、光を書くことは
闇を描くことです。
それは平凡なリア充表現では
当たり前ですがかききえます。
それを表現することで、闇体験しちゃった
ヒャッハー!!というのも
マスコミ様がよく使う
改編要素です。
昔は宮崎駿監督も
よく使っていたような気もしますけどね。
どんな闇も、恋愛脳で
ラリれば世の中ハッピー
その入り口はマスコミ様で、
というのが、
マスコミが常に繰り広げているエンターテイメント、
ですからね。
勿論、終わり方としては、
そういうのもありですが、
それなら原作を使わずに、
オリジナルで書けばいいわけですが、
そんな能力がある人は、
オリジナルレイプ出来なかったニダニダ
なんて恥ずかしくて言えないはずです。
ちなみにそういう悪意こそ、
創造には邪魔物なんですよね。
しかし、その闇夜を味わったなら
そこで完遂できずに、
(死なずに)戻ってきてくださったら
また、違うものが描けたのではないか?
と、私は残酷なことをつい考えます。
しかし、戻りにくいように、
精神的には
組織ぐるみで手を回した、様に見えますが、
しかしそれは、一介の原作者ではなく
一度は闇を照らす作品を書き上げた
メディアミックスの成功を受け入れた方な訳です。
その社会的損失たるや、
例えばマスコミ様の原作レイプ常習犯の
方たちとは比べ物にならないと
思いますが、
そんなことはないと言うなら、
マスコミ様は時系列をごまかすなんて
政治家みたいなことをせずに
それを表に出すべきですね(苦笑)
生きている人にこそチャンスを与え
犯罪者にこそチャンスがあり
殺された人は残念、
そんなマスコミ史観が今回も
繰り返して終わりと、マスコミ様は
タカをくくっているようですが
闇に希望を灯すことは
信仰に近いものですから
それを踏みにじることは…
とてもとても恐ろしいものです。
そしてそれは本人が望まないものであるはずですが
本人はすでに存在せず、
最大のストッパーが失われているわけです。
浮かばれないなら、攻撃をした方がよくて
死んでしまえば傷つくことはありません。
それがストッパーを失うと言う事です、
と言うのを、最初っから理解する
リスペクトのあるマスコミ様ご一行なら
こんなことにはなりません。
まぁ、そこに怒りを感じた方々は、
564と認識するでしょうし
そこに理を説いても、油を注ぐようなもの。
宗教が悪い、神な悪ニダと
よく無宗教気取りの、共産党擬きな事を
叫ぶ人がいますが、そー言う論理ではないのです。
まぁそんなこともわからない組織が
愛は地球を巣食うとか
うそぶいて、じゃにいの仲間たちと
金集めに勤しんでいるのですが
神がいようがいまいが、
人は信仰とは無縁ではいられません。
そしてその信仰は、わかる必要はなく
しかして認める必要のあるものです。
それを踏みにじった時に
終わりのない憎悪が始まるわけで、
つまり愛は地球を救うとか絵空事で
金を集める団体は、そういうことには
敏感でなければなりません。
それが人として弔意を示し
寄り添うという行為です。
まぁ寄り添うつもりではなく、564が目的なら
それはそれで、正直な方がまだましですが、
彼らは何故か忖度され護られ、
攻撃をしてはならないそうで
勿論それも、
そいつらをいざとなったら差し出して
攻撃をそらすために
やっていたりします(苦笑)
という訳で、今後については、
なるようになりますが、
まぁ社会的信用はすごく落ちると思います。
ですが喪ったものは大きく、
勿体ないことをしてしまいましたが…
しかしそれはマスコミ様の忖度は
日本国民は岸田さま並みに
敬うべきなのでしょう。
一方で、本人が闇に消えた
(ある意味消されて追い込まれた)事で
余韻は増しているのも、また事実です。
攻撃した方は、やっベー
死んじゃったよなんだよ。迷惑なんだよ
なんてうそぶきながら、静かにしているかもですが
折角見直すチャンスにもなったので、
自分なりの闇をともす光の作り方を
忘れないようにしておこうと思います。
ま、表向きは、マスコミ様の言うとおりって
嘯くのも大事ですけどね。
しかし、人を救う手は
自らにしかありません。
身近な人が、マスコミ様や愛と正義を叫ぶ
権力者のような存在に潰されかけたときには
光にはなれなくても、
黙って引き上げられる
存在でいたいなぁ、と思います。
嘘と金まみれの愛と正義とやらを
信じる人の方が実際には
多数派ですからね。
という曖昧な話でした。
Posted at 2024/01/31 19:26:03 | |
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