■とある車が事故を起こしました。
壁に激突し、→地震
さらに水にドボンとはまり、→津波
ボンネットはつぶれ、タイヤはもげ、
ドアの1枚くらい取れて停止しました。
バッテリーはショートしてしまいました。→電源喪失、発電機使えず
ところがエンジンがアイドリングのまま止まりません。→崩壊熱
ラジエーター(2次冷却)も壊れたので→二次冷却喪失
やがてエンジンのオイルが沸騰して、
一気筒ずつ、穴が開いたりはじけたり、→各号機損傷
しまいには燃料タンクのガスが爆発したり→燃料プール
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■原発事故はこんな感じです。
実は地震で車が壊れていた・・・
いや、壊れるでしょう?
損傷が大か小かは別として、
いわきのプラントは皆止まって修理しましたから
想定内です。
別にエンジンが停止すれば、設計理念は守れます。
エンジンが空冷エンジン機能、もしくは油冷機能を
持っていれば、(オイルクーラー=RCIC)
ちょっと赤くなるだけで、燃料が尽きれば停止します。
エンジンはアイドリングの熱だけなのに、→崩壊熱
溶けるは吹くは、→メルトダウン、怪しげな白煙
ボンネット飛ぶは →水素爆発
で、政府と東電と、メーカーは言うわけです、。
アイドリングストップが基本なので
アイドリングは想定していませんでした。テヘっ
そんな車あなたは乗りますか?
ちなみに
アイドリングストップを冷温停止と言います。
「アイドリングして停車する事」は、
私の家でしかアイドリングストップとは言いません。
(ちなみにアイドリングストップは
意図的エンストと勝手に呼んでいます)
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いろいろと研究することはいいことです^^
例えば、
■車が壊れていたことを北欧の国が発見した・・・
とか、14日午後のプルームとか(15日の間違い)
質の悪いスタッフたちが
「外国と言えば正しいわん」って飛びつきます。
考えて判断しなくては、
結局はドジョウ総理と同じ「ポチ族」です
北欧と言えばスウェーデンのボルボ。
交通事故には強いですが
例え車が「ボルボ」でも、→外側が硬くても
もしもエンジンが止まらなければ結果は一緒です。
全てが間違いではないですが、
そろそろずれた事ばかりで
固めないことが重要かとおもいます。
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確かに日本&GEの原発は(プールでも同じこと)
爆発しましたが・・・車に続けてたとえていくと
日本車は駄目だ、アメ車は駄目だ、
なんて簡単な問題ではないのです。
外国は「うちの原発は大丈夫、だって日本の原発ボロだもん」
と言うのは当たり前です。
仮に対馬沖地震で韓国の原発が壊滅したら
日本だってそういった流れになったでしょう。
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■あと、最近は被爆絡みで言っていませんけど・・・
結局は崩壊熱は計算できるエネルギーです。
(最初におっしゃったのは弘(2型)さんだったと思います。)
核分裂(臨界)なんかよりずっと計算できます。
ある一定の確率で核が崩壊を起こして熱を生み出す
熱ですから、独立除熱系は、考えられるはず・・・だと思うのです。
もちろん、想定していれば、の話です。
考える気がないなら、原発は終わりです。
事故を起こすたびに2,3日で破裂するエンジン(確率100%)
はいつかきっと爆発する飛行船と変わらない、のですからね。
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アレバ&三菱のコアキャッチャーも
思いっきりコアが漏洩することに変わりはありません。
今回の原発事故で問われているのは
アイドリングで、そのエンジン穴が開くんですか?
そのことです。
↓こんなのはどうでもいい事です。
エンジンに横からもっと早く水入れれば、冷えたかもしれない
アイドリングエンジンの確認がいまいちだったよね
連絡を密にするためには・・・
・・・連絡が途絶えれば分かると
言うスーパー決死隊ですね。
「助けてください、格納容器内、A・・・ぐわっ」
「・・・・・」
「連絡途絶えました!!」
「第三次異常発生!!、フォーメーションBだ!!」
そういう事なんですね・・・
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参考
フクイチは地震で壊れていた! 北欧研究チームが解明!
引用分
http://ikeda102.blog40.fc2.com/blog-entry-283.html
フクイチは地震で壊れていた! 北欧研究チームが解明! チェルノブイリ超えのキセノン133 地震直後から放出!
フクイチは地震で壊れていた! 北欧研究チームが解明! チェルノブイリ超えのキセノン133 地震直後から放出! ● セシウム137放出 4号機プールの使用済み核燃料が重要な役割 放出量 日本政府「発表」のほぼ2倍
権威ある科学誌「ネイチャー」(電子版)に、ノルウェー大気研究所のアンドリアス・ストール(Andreas Stohl)氏率いる研究チームによる「フクシマ事故」の解析結果を紹介する記事が掲載された。→ http://www.nature.com/news/2011/251011/full/478435a.html
ストール氏やスウェーデン国立防衛研究所のラール・エリク・デ・ギーア氏(Lars-Erik De Geer)らが「大気化学物理学」誌に、ピーアレビューのためオンラインで発表した論文を紹介した。
それによると、「フクイチ」からのセシウム137の放出量は、日本政府の公式発表のほぼ倍にあたる、3.5 × 10・16 (10の16乗)Bqに 達していた。これはチェルノビリのセシウム137放出の半分に相当する。
The new model shows that Fukushima released 3.5 × 10・16 Bq caesium-137, roughly twice the official government figure, and half the release from Chernobyl.
ストール氏の研究チームはまた、セシウム137の主要な放出源として、4号機の使用済み核燃プールを挙げ、ここから大量のセシウム137が環境に放出されたことを突き止めた。
日本政府はプールからはほとんど出ていないとの主張を続けている。
研究チームは、4号機プールの海水の注水後、放出量が激減したことも指摘している。これは、より早く注水が行われていたら、セシウム汚染のかなりの部分を未然に防ぐことができたかもしれない、ことを意味する。
The new analysis also claims that the spent fuel being stored in the unit 4 pool emitted copious quantities of caesium-137. Japanese officials have maintained that virtually no radioactivity leaked from the pool. Yet Stohl's model clearly shows that dousing the pool with water caused the plant's caesium-137 emissions to drop markedly (see 'Radiation crisis'). The finding implies that much of the fallout could have been prevented by flooding the pool earlier.
ストール氏らはまた、希ガスのキセノン133について、フクイチから 、ほぼ1.7 × 10・19 Bqもが放出されたと算出した。 これはチェルノブイリの1.4 × 10・19 Bq を大きく上回る。
フクイチ発のキセノン133は地震発生直後から環境に放出されていたことも確認された。これは津波がなくても、地震だけで原発を損傷されるのに十分だったことを意味する。
The new study challenges those numbers. On the basis of its reconstructions, the team claims that the accident released around 1.7 × 10・19 Bq of xenon-133, greater than the estimated total radioactive release of 1.4 × 10・19 Bq from Chernobyl. The fact that three reactors exploded in the Fukushima accident accounts for the huge xenon tally, says De Geer.
The latest analysis also presents evidence that xenon-133 began to vent from Fukushima Daiichi immediately after the quake, and before the tsunami swamped the area. This implies that even without the devastating flood, the earthquake alone was sufficient to cause damage at the plant.
ストール氏らのチームはさらに、高濃度のセシウム雲が3月14日午後、東京を通過したが、「その時は雨に降っていなかった。もし降っていたら、もっとひどい状態になっていただろう」(ストール氏)との見方を示した。
The model also shows that the accident could easily have had a much more devastating impact on the people of Tokyo. In the first days after the accident the wind was blowing out to sea, but on the afternoon of 14 March it turned back towards shore, bringing clouds of radioactive caesium-137 over a huge swathe of the country . Where precipitation fell, along the country's central mountain ranges and to the northwest of the plant, higher levels of radioactivity were later recorded in the soil; thankfully, the capital and other densely populated areas had dry weather. "There was a period when quite a high concentration went over Tokyo, but it didn't rain," says Stohl. "It could have been much worse."
日本政府の発表と違う結果が出たことについてストール氏は、日本政府の算定がモニタリングポストの測定値に依拠し、太平洋へ拡散したものを考慮に入れていないことなどを挙げている。