RCカー→
F-1→ロードゴーイングカー
と興味が広がった、中学時代(1987~1990)の私。
中学時代に好きだったクルマの話は相当長くなるので、何回かに分けてブログ化する。
S13シルビア、R32スカイラインなどの登場で、日本車が急激に発展した時期であったが、私が当時、一番心奪われていたのはフェラーリであった。
328が現役の時代。
そして、テスタロッサがとにかく人気のあった時代。
F-1の影響もあってのフェラリスタだったのかもしれないが、当時はとにかくフェラーリ好きで、帽子もブルゾンもバスタオルもゴミ箱も皆フェラーリグッズであった。
■288GTO
私が最初にベタ惚れしたのは
フェラーリ 288GTOだったと思う。既に絶版車であったが。
F40の前身であり、伝説の稀少なグループBカー。
308~328と同じ文脈のデザインのようで、顔もあからさまにカッコイイし、前後フェンダーもボリュームがありながらも、ピニンファリーナならではの端正・流麗・引き締まり感の絶妙なライン・面構成となっている。
内装も男臭くてカッコイイ。
「GTO」の名を関しているのも、歴史的背景もグッとくる要因がテンコ盛りなクルマである。
中学時代は、288GTOのカンペンケースを使っていたのだが、その筆箱には288GTOの写真を使いながら、「308」と書かれていた。
で、「308」の部分を塗りつぶし、「288GTO」と上書きしていたのを記憶している。
■F40
1987年に、
F40が登場する。
コーンズもイケイケだったのか、朝日新聞には紙面をまるまる一面使い、F40のサイドビュー全体をドガンと大きく載せた広告を出していた。
私はその白黒の新聞紙を、大事に、長いこと部屋に貼っていたのを覚えている。
F40の、ある意味ピニンらしくない、また、ある意味フェラーリらしくない形状は、嫌いじゃなかったが、当時の私はとてもカーデザインに関心があったので、何故288GTOの延長デザインではダメだったのか?と、そこまでデザイン的には関心を持てなかったのだが・・・・・
実車と接点を持ってしまったことで、ガツンとやられてしまったのである。
当時、実家の近所にはメイテックという会社の社長宅があった。
メイテックという会社は、新入社員を集めるのに、「鈴鹿でフェラーリを運転させてやる」という派手な手法を取っていた。
で、社長宅は、足車が当時発売されたばかりの
メルセデス500SL(R129)と、Z32。
そして車庫には、入れ替わりスーパーカーが・・・・。
ある日、たまたま社長宅前を通ると、ガレージにF40があり、社長の次男と、その友人の方がF40で盛り上がってる最中であった。
フェラリスタな中坊だった私を、快くガレージに誘って頂いて、じっくりとF40を見せて頂いた。
ガツンときた。何もかもに。消火器を積んでいることにも。
運転席に座らせて頂いて、クラッチペダルの強烈な重さに驚いた。
以降、理屈抜きですっかりF40のトリコになってしまったのである。
そのF40は、その一週間後、デート中に炎上した。
定価4500万円ながら2億円で取引されていたF40の炎上は、かなりショッキングなニュースとして、ワイドショーなどで取り上げられまくっていたので、覚えている方も多いのではなかろうか?
車載の消火器は役に立ったワケだ。
結局、炎上したものの、保険で痛手はなかったと聞いた。
F40とともに、鮮烈なデビューを果たしたピレリのP ZEROは、以来20年間、私の憧れとなり、ようやく昨12月に、B4に実装できた(パーツレビュー:
PIRELLI PZero Nero)
おバカな私は、F40を購入するために「中学3年間でXX万円貯金、高校3年間でXX万円貯金、大学でXX万円貯金・・・」など20年分の貯金計画表を作ったりしたもんだった。
■テスタロッサ
テスタロッサ。
「赤い頭」つまり赤いエンジンヘッドを意味する、512BB以来のフェラーリのフラッグシップカー。
田宮のタムテック(1/24RCカー)に採用されたり、次原隆二の「特別交通機動隊 SUPER PATROL」などに登場したり・・・と、中坊の私にもいろんな角度からアピールしてくるクルマだったが、正直、シンプルすぎる顔にピンと来ず(私は中学生時代からリトラがあんまし好きじゃない。288GTOもリトラだけど)、そんなにカッコ良いクルマだとも思っていなかった。
が、これまた、メイテック社長宅で出遭ってしまったのである。
その日のメイテック社長宅は、漆黒のテスタというスーパーカーを置きながら、シャッターは空いたまま無人・・・という無防備っぷりであった。
漆黒のテスタのリアビュー、特に斜め後ろからのアングルは、この世のものとは思えない美しさで、私は2時間ぐらいそこに座って眺めていた(失恋の痛手で凹んでいたところだったのもあって)。
以来、F40とは違った意味で「黒いテスタロッサ」は私の中で特別な位置づけとなった。
メイテック社長はその後も飛ばし続け、
BMWの試作スーパーカー Nazca M12(カッコイイ!!!が、残念ながらお目にかかれなかった)なども購入され、社長は名古屋祭りの大名行列で信長役を務めたり・・・・と話題に事欠かなかったが、クルマと競走馬への投資がエスカレートしすぎて、社内クーデターに遭い失脚されたそうだ。
その後、別に会社を造り、ここでまた成功を収め、今も実家の近所に別の大豪邸を立てて住んでいらっしゃる(豪邸の庭には白い石造が並んでいたけど、車庫内は見えない)。
そんなこんなで、
「上がりのクルマ」としての候補リストに288GTO、F40、テスタロッサの中からF40をノミネート。
以降のフェラーリには全く興味が持てない。
F50のデザインは嫌い。
エンツォは、あれはあれなんだろうが、個人的には何も響かない。
360、430などの内装には萎える。
512TRにはグラリと来たが・・・・。
で、現在は全くフェラリストではない。
そういえば、中学時代は「フェラーリに就職したい」とイタリア語の入門本で簡単な単語を覚えたりもしてたなあ・・・・
・・・・続く。
「上がりのクルマ」連載の目次はこちら
Posted at 2008/02/24 00:26:51 | |
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