2011年12月24日
この国は数字を収束できるか??
■最近面白いなと思うことがあります。
原発の危険を訴える人々が割れてきているのです。
■一言で言えば、本当の目的がそろそろ出てきている
と言うことなのかもしれません。
■「どれくらいのbqまでで食材を」・・・子供 派
「日本は終わった、住めない」・・・破滅 派
「送発電分離を」・・・電力政策 派
破滅派はきっと後々まで日本に祟りを為すでしょう。
祟り神のにおいがします。
また、電力政策派もそろそろ蠢き出すでしょう
正直政治的な活動をこのブログでするつもりは一切ないので
(そんな暇ないよ)
■恐らく原発と言うものは、
今までの価値観をいろんな意味でひっくり返しました。
安全神話を本気で信じていた人が多かったのにびっくりしました。
信じていたフリかもしれませんけど。
私は意外と一過性なのかなと覚めた目で見ているのですが
人の隠れた支配欲を刺激せずには要られないようですね。
■人を支配するためには、一貫性がなくてはいけません。
困ったことに一貫性は間違っていても良くて
過ちを正すことは、往々にして命取り。
だからたまに終末論の宗教で
集団自殺が起きるのは
一貫性を保つために、ではないかと思います。
■理論をパラレルで動かして、そこの相互関係から
収束を図る自分のやり方は
恐らく人の支配には向いていません。
単純化出来てませんからね。
■もっとも自分の場合、相互支配、と言うか影響性はともかく
一方的支配が非常に苦手なので
そういった意味での洗脳的支配に対しては、
非常に腹を立てて噛み付いてしまうざま。
でも世の中の人は洗脳的支配は大好きです。
多分判断せずに責任を洗脳者に押し付けられるから。
相互利用の図式なんですよね。
こいつがこう言ったから、殺したんです。
(本当は殺したかったから渡りに船)
■災害や理不尽に関して、
日本人は半ばあきらめているようにも見えます。
でも心の奥の黒い炎みたいなものは息づいているのではないか?
そんな印象があります。
■そういう、暗黒の炎系の情念は
時には恐ろしい位の勢いを持って、扇動者と共に表に出る
そんな印象があるんです。
そうして好き勝手、己の欲を満たして、
責任を扇動者に押し付けます。
■扇動者と共に生きることを好む人は
やっぱりどうやっても扇動者が大好きです。
つるむのも大好きです。
扇動者がへたれれば、扇動者を血祭りに上げ、
新しい扇動者を、頂点に祭り上げ、
行動を開始します。
■新興宗教もその類、が多いのではないでしょうか?
アレフとかオウムと呼ばれた物もそうであったと思います。
扇動者と共に生きる快感、が自分には幸い理解できません
むしろどう考えてもどちらかと言えば、憎むべきものと思えます。
■心の奥底の、理不尽や不遇が生んだ、「黒い炎」は
他人の手に任せていいんでしょうか??
私は元が、「黒い」ので、貴重なエネルギー源であるとも思います。
残念ながら人は、そんなに清廉潔白だけではいられないはずで
奥底には暗い情念がほぼ必ず棲んでいます。
そことどう向き合って、どのように方向付けを与えられるか
それが出来てない方が増えているのかもしれません。
■そういった情念に飲まれても別に知ったことではないのですが
そういう情念の集合体はしばしば世の中を無茶苦茶にします。
一時の宗教的とも言えた
民主党の支持もそんな流れがあるのかもしれません。
「人は灰色のやや黒に近い存在である、ただ光を志向する」
概念的で申し訳ないのですが、私はそのように思っていたりして
「街灯に群がる蛾」のようにはなりたくないですし、
今後少数なりとも様々な犠牲者が出ることによって
「街灯に群がる蛾」と「街灯」を振りかざして「蛾を支配するもの」
が増えていくことをちょっと気にかけてしまうのでした。
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Posted at
2011/12/24 13:16:30
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