■夏は山登りは…しない。
天気が危ないからだ。するなら秋と春に限る。
天候とは何か、いつどのように変わるのかは山に教えてもらった。
■逆を言えば山に触れていれば、昨今の気象は温暖化ではなく
もっと厄介な問題だという事も分かる。
■山とは、環境破壊である。
ガソリンを焚いて山に近づき、そして山をある程度登り
靴に下界の物質をつけて貴重な生態系を破壊する事だ。
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■つまり山が本当に好きならば…山には頻繁に入れない。
むしろそれでも見たい景色や静寂を求めて
己のエゴの為に山の神様に入れてもらう
いわば「罪深い」行為と言えるのかもしれない。
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■韓国人のせいで入山税の検討も為されるだろう。
要するに全ては金になる。
装備が甘い≒ショップに金をおとせ
山に入る=入山税
そうして山は高齢化が進み年金受給者のレジャーと化し
規制と保険と老醜のエゴに満ち溢れた
そしてそれをボランティアで若者が救う気持ち悪い社会が出現する。
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■今現在気が向かなければ山に入る事はない。
老人クラブとの戯れをするほど、休日は元気ではないからだ。
だから最高ではないけれど、人のいない自然の中で
ただひたすら感覚を研いで、五感を研ぎ澄まし
出来るだけ何も持ちこまず残さず変える事を心がけている。
それにしてもガソリンを燃やす訳だから
まあ『原罪派』とやらにぶち殺される可能性はない訳ではない。
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■山は危ないから楽しい。
危険があるから、面白いのだ。
安全な山登りならしない方がまし。
とは言え、危険に首を突っ込む必要はないし
そのギリギリですり抜けるのは意外と楽しい。
勘違いしないで欲しいのはそれらの分析は自分でやってる話で
別に気象庁が危険と言えば危険な訳ではない。
津波だって外す気象庁が、今日は晴れですよ^^と言った所で
何の保証もない。
良く遭難者が気象庁が回復傾向と言っていたからとかほざく。
そんなもんは山において何の助けにもならない時が多いのに。
もちろん気象庁の方が正しい時だって多い訳で
それこそが確率の醍醐味だ。
能力だけじゃ勝負はつかないって事。
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■結局は、人のせいにするなら、
山などに入らずニートでもしてろってこと。
ただ入るのは自由だ、のぐそするのも自由と言えば自由だ。
勝手にすればいい。
但し
個別のマナーが乱れれば、
いずれ全体統制が始まる。
そしてそこには利権が生まれる
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■車もそうだと思う。
個別のマナーでトラブルが起きて
そしてカッコよく裁こうとする人達がいる。
マナーが悪い方も悪い方なんだけど…
だからと言って、常識を持ちだして、
許さない謝れ、或いは人の数でワーワー書く。
思わず何とも言えない気分になるが
好き勝手正義を振りかざせばいいと思う。
その内その利権に注目したお上が
「わかった、たばこみたいにどんどん税金を増やそう」
『改造を取り締まろう、認めて欲しくば袖の下に天下り』
みたいになるし、なってる。
結果としては見事に、騒いだ人達も首が締まる訳だ(苦笑)
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■故に、個別や家庭での教育が大事な訳で
それが緩まれば、法で縛るしかないというのは自明の理だ。
「自己を律する」事と人を「勝手に裁く事」は違う。
その点自分は、『自己を律する』事は好きだが
法でもない赤の他人に「裁かれる」事は大っきらいだ。
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■「民主主義を尊重しない訳ではないが、喧騒ではいけない」
という麻生さんの言葉を読まずして
ナチだナチだと騒ぐ人達がいると、
ナチスの意味が分かっていないなあと思う。
「法の不備や非合理を己が裁こうとした自意識の塊
こそがナチの原動力」であって
それを具現するのにヒトラーという、お神輿というか狂人を
必要にしただけだったりする。
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■気の狂った馬鹿鳩を首相にした国が
原発の際に、火病を起こした売国首相を選んだ国民が
(投票したしないは別にして)
何をエラそうにと言えなくもない(汗)
ま、その為に日本人の自意識を想起される事が
アカサヨにとっては最も怖いだけの話。
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経験に関らず、己は偉い、賢い、凄いと天狗になり
人を見下すだけで人は容易にナチズムに陥りうる。
実はそれは主義主張でなく
人の心の持つ、ちょっとした仕組みの話ではあるのだけど
だからナチズムとは誰の心にも潜んでいるとも言えるし
逆に言えば、正義や博愛、平和を叫ぶ
もっともらしい人間の自尊心が暴走すれば
すぐに人を罵倒したり、殺意を抱いてみたり
信者に囲まれることに快感を覚えるカリスマになってみたり
自分もバカだからついそれを、邪魔しに行って逆切れされたり
(悪い癖だわ)
そういう事は人がいる限り、続くのだと思う。
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■結局は
ナチズムを否定している限り、
大した事は出来ない訳であって
あれは方向性を根本的に間違えただけで
別に無駄な手法ではない。
もちろん「麻薬」だから、その感情や自尊心の暴走を
自分や、あるいは近くの他人に制御してもらわなきゃいけない。
その手綱にこそ、多分人の縁があるのだと思う。
そしてその麻薬を使わないでいいように
自らを磨く事はもっと大事なことである事は言うまでもない。
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■自分は正も邪ももなく
たったそれだけの事じゃないかと思ってます。
原発問題も、お隣の国の問題も似たようなもんでしょう。
ちなみに「方向性は間違えている」と書いているので
ナチズムの所業を容認している訳じゃないのであしからず。
麻生さんみたいに、『あいつはナチズムだニダ』
『謝罪と賠償を要求する、ミンカラーとして』
「罪深き原罪ヤローだ」
って言われても困りますからね。
最終的には自律と多律のバランスで
世の中のバランスも保たれている、と思います。
でも、
たまに余計な手を出しちゃうんだよなー
その余計の最たるものがこのブログ、でもあるんですけど^^;
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トムラウシ事件、長城事件 | 日記
Posted at
2013/08/08 09:39:19