テラスハウス、とか言うリアルを謳う演出番組でヒトがなくなったらしいけどなんと言うのか、マスコミがいじめを演出したわけで今までもその辺のメンタルで傷ついて、消えていった人は多いと思う、亡くなった方は、弱かったのではなく、(ある意味)強かったのが災いした、というのが推察。死ぬには、精神的な力がいるのでそれを完遂できてしまった、というところが問題だったりする、共演者(一部は共犯者)がなんか 告白するように、フォローをしているけど人の本質と言うのは、ある意味見せてはいけないものでそれをむき出しにする、という演出はあの年代では特に危険をはらむ。いわゆる自己受容の年代な訳でそこで心を引き裂くような演出を繰り返してしまうと、往々にして隠れていた自我が顔を出すことが多く、今回亡くなった、プロレスラーの人なんかはその自我が深夜に本人の意識を上回ってしまった、というところが恐らくは真相なんだけど、利用しようとする人が出るわ出るわ。かといって、あの手の自我の萌芽には力も隠れていたりするので例えばカウンセリングとかをしてしまえば、その力も失われてしまったりする。という訳で、和田アキ子の台詞をのせておこうと思ったり。演出で色々力を振るっている人間側の台詞な気がするんだけど、いじめでも良くあるけど、遊びなの演出なの、この中で、そういう理由があると残虐性がかなり噴出する。そしてその中で強引に演じることで隠されていた自我や傷が露出すると人の心はしばしば致命傷を負ったりする。でも周りは単純化する。あいつがー、私がーというドラマをみんな作るんだけど。そして本質が忘れられていく。その辺りの傷のチェックをきちんとしないと、今後もこういう死者の出方は普通にすると思う。うまーく大人になった人にはなに言ってんだか、わからないエントリーだと思いますけど力を失っても、生きていてほしい、なんて人は実はあんまりいないことが多いのでそういった意味では、亡くなった方は実は詰んでいた、とも言えなくはなくて、そこは運としても実は恵まれていなかった、なんて言えるけどそこの隙を見てネットハンマーたちがよってたかって、叩いてきたりもする。人の本質は元々、残虐で愚かな猿にすぎない。ただ、人の精神には違うものも宿るのでその辺りの不完全さが魅力でもあり、欠点でもある。どっちにしろ、それを売り物にする番組に出て心をいじられると、かなりの確率でよくない影響がある、のは当たり前でそれを売りにしているマスコミを野放しにしているのも、実は多分問題なんだよね。心理操作の結果、心が壊れて(矛盾が露出して)人が死んだ、と言うのは、マスコミの番組の(潜在的な本来の)意義的には多分 大成功な筈。あとは、犯人探しが始まるだけです。(そして、この話題は本質を大きく逸脱していくと思うけど一方で、犠牲者になった方のご冥福をお祈りします。)