今日のエントリーのきっかけはこれ。

たった数百億で売るとはねえ。
(休眠中は続きます)
■「知識」は「経験」をしなければ「知恵」にはならない。
そんな話がありましたので載せておきます。
■自分はブログで、「知識」を「知恵」に変える試みを幾つかしてきました。
その辺りを馬鹿正直に教えるつもりは微妙にないので
ちょっとボカしたりしています。
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■正直知識だけの人って多いです。
もちろん自分も知識だけなら、まあまあかもしれませんね。
それをどのように知恵に変えていくのか、と言うのは経験をするのも
一つの方法ですが、何でもかんでも経験は出来ないので
「ポイント」をつかんでいく事が必要になります。
でもポイントをつかむだけではだめで
ポイントをつかむのが上手な人間が素晴らしい
なんて影響を受けた人も散見された、のかもしれません。
■自分は頭は残念ながらイマイチですが
ブログのテーマはそれなりのノウハウや「知恵化」に
繋がる様にいくつかの手を打っています。
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■そういう意味では突き詰めた知識と理論を、
自分は体得する立場ではなく
体得しても持ち腐れになってしまいますね。
本当に体得が必要ならこんなブログを書く1秒もおしい筈です。
そう、プロフェッショナルにならなくてはいけない。
知識だけで優劣を叫ぶと言うのは、と
感ずるものがありました。
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■と言う訳で私は知性に満ち溢れてはいませんが。
ちょっと見極めたい物はあるのです。
それが見えつつあるから体系化するために
ブログを書いていた部分もない訳ではありません。
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■世の中には高学歴な方が沢山いらっしゃいます。
○○理論、××理論。
それこそ沢山の立志伝な人物(自称)が
沢山いて、今日も明日も、揚げ足と…いや何でもない。
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■結局は知識は邪魔ではなく
経験の中で知恵とのバランスが取れれば非常に強い物です。
ただ、知識が強過ぎれば経験を歪めたり
頭でっかちになりますし
知識がなければ経験から知恵を取り出せませんね。
つまりある程度の知識が貯まれば、余り快適な思いはできませんが
経験の中で修正や、歪みを体得していかなくてはいけない
と言う事が言えるのかもしれません。
その中での過程は決して楽しい物ではないのですが
自分は大事にしたいなと思いますし、
今できる経験を最適化するには、それなりの仮説と反論を
併せ持たなければなりません。
(一方的な美しい理論は、危険な場合も多いのです。)
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■ですので自分のエリアを荒らす物には
それなりの態度を取らなければなりませんし
そのエリアの外については無理をしても仕方がなく
ましてや人の意志や知識を揶揄する事は避けるべきだ
と言うのが個人的な意見です。
実際の実践面では難しいのですが、そのバランス感覚は
意外と現実の判断や、人格性、或いは
国際的に言えば防衛論等などに、反映されるのは
興味深い事なのかもしれませんね。
と言う訳で、今後もブログに割ける時間は
減っていかざるを得ないと推察しています
Posted at 2014/07/16 20:47:39 | |
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