【追記】難しいのは、このエントリーはとりあえず
神道を正(と言ってもどれを正とするかなあ)
みたいなスタンスなんだけど、
他宗教にとっては、異宗教は必ず異端であり、
基本的に…邪教なんだよね、
無関心であればいいんですけど、
だからウリスト教徒にとっては靖国
(あれが神道の神社と言えるのかはすこし微妙)は
邪教の巣窟だし
宗教って言うのは突き詰めるとそう言う物だったりする。
だから「よそはよそ、内は内」
って豆まきみたいな事で
線を引くのが大事なんだとおもったりする。
宗教に限らず異教徒状態の人が語り合っても
大抵解決しないのは隣国との関係でも
何となく分かると思うけどね。
【追記終】
■人の目にはレンズがあり
そして眼球の裏に感光の素子があり
更にそれを脳で補正してみている。
ステレオカメラの原理を生かし、
ダブルで測距してピントして、
立体的に画像を合成したりもする。
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■脳の働きは凄い、
そして眼球が球形に歪んでいる以上
視神経のついている場所に
盲点が存在し、その画像は少し歪んで映っている。
故に見たままの世界が他人の視界とは限らない。
天才の視界とはいかなるものか?
人によってはそれこそ4Kテレビもびっくりな
高精細な画像を得ている人もいる
陰影が際立っている人もいる
彩度が異なっている人もいる。
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■要するに世界はひとつであるがその
「見ている世界は一つ」とは限らない
なのに人は同じものを見たで
無理やり脳からつながろうとする。
それはかなりおぞましい事なのに。
無理やりつなげた時に生じる矛盾を
共通悪として、時に人は残虐性を放出する。
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言える事は
「一つの視界」には必ず
矛盾点が存在する。
基地外の視点は基地外なりの視点であり
鳩山ルピオがその実例だろう
歪みの補正を少し促進させれば
或いは補正内容にウイルスを混ぜれば
人の世界は更に奇妙な狂気を帯びる。
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■脳は高度なコンピュータに過ぎない。
記憶を書き換える事も
置き換える事も消す事も
矯正する事も可能で
それをロジックで行う事を洗脳と言い
そして今それを電気的に処理しようと言う
なかなか恐ろしい試みが為されている。

個人的には面白いけど。
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■要するに人は歪んだ存在だからこそ
歪んだレンズをかけ合わせることで
「見えるもの」もある。
一方科学は、紙面上に表された
完全二次元のデータである。
3次元とは二次元の上での計算モデルであり
それを物質化するにおいて
三次元データに置き換えたに過ぎない。
逆もまたしかり。
3→2次元、2→3次元を何度も行うことで
データは見事に損なわれ異形が出現する。
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■科学的に見れば人間とはハードとソフト
そしてCPUを持った、不完全な肉の器にしか過ぎず
それを機械に置き換える事は
近未来的には可能である。
不安定である事
未完成である事、変質しうること
それらは美点でもあり欠点でもある。
であるがそれもまた、
未来予測の一端、断面に過ぎない。
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■変な言い方
人間とは
「淘汰されながら生き延びてきた」
ダーウィン的集合知を潜在的に所有する
動物に過ぎない。
それを固定点で見ようとするキリスト教徒は
進化論を否定する。
「神が作った」という視点で切り取って
平面化やプロット化しているからだ。
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■…であればすべての物は割り切れるのか?と言えば
面白い事にこの世の中は割り切れない。
例えば
人の心理や記憶や心を紐解いた時に
ユングなどは「集合的無意識」があると説いた。
対してジークムンドフロイトは
衝動、即ちリピドーや性欲を持って
全てを尺度化しようと説いた。
森田療法はとにかく行動する事で
誤魔化しながら全体性をキープする事を説き
ゲシュタルト療法は全体性を意識し
内なる対話を持ってっ歪んだ全体性を回復させる。
エリス派は強烈な催眠を持って
人を誘導する。
何故これだけの流派があるか
これだけの見方があるのか
割り切れない不定型の塊があるから
***********
■さて、
どれが正解であってどれが不正解であるか?
実は答えは無くて、どの視点でどの様に切り取ったか
に左右される。
何を許容し何を許容せず何を矛盾として残すかに
左右される。
しかしバックボーンは必要である。
バックボーン、経験、意思、家族
これがないと人は、内面をはぎ取られた時に
容易に崩落する。
****************
■
しかしてそれははぎ取った後に
何が出てくるかの危険なかけであり、
自分でやった挙句
何も出て来ず「崩壊した」人間を何人か見た。
またはぎ取る中で
「完全な法」に惑わされ
終わることなきメビウスの輪の中で
ハムスターの様に駆け回る人間もいれば、
その「完全な法」に惑わされ
「完全な法」の忠実な犬となる人も多い。
ロボットでも金づるでもいいのだけど。
**********
■法とは、一面に切り取ったルールである。
同時にそれは恣意と限りなく近い
なので法律は公正と裁きを持って
一定の存在(社会における神に少し近い存在である)
となっている。
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■さて、完全な法は存在するだろうか?
答えは存在しない。
多くの人間が「集合的無意識」
(群れで生活する精神的縛りに近いが…)
のみならず
その事による完全な社会や世界
を求め、無理やりにそれを作り上げる事は勝手だが
それは虚像である。
それゆえに完全な法を掲げた宗教は崩壊し
その完全を終末に由来させ、
終末の未来の自己実現の為犯罪に手を染める。
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仏教、キリスト、イスラム、みな終末思想を持つのは
恐らくそのような精神的な影響を
安全装置にしているからだと思われる
(放っておくと
勝手に集合的知を形成しようとして
短絡的に暴走し終末に走る為)
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■と言う訳で、既に「概念的」には
科学と宗教と認知学は繋がりつつある。
そこには「集合知」と言う厄介な問題がある。
(スタートレックのボーグとかはその辺りをよくあらわしてるかもよ)。
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■で、有れば人間とは「替えの効く物なのか」
と言えば、効く人もいるし効かない人もいる
、いる人もいればいらない人もいるし
中には疫病神もいる(苦笑)
疫病神に至っては何故疫病神かを
自覚しないから疫病神なんだけど。
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■
完璧な法や
完全なる世界を求める人には
実は幸せになれる方法がある。
ウリストシステムに加入する事だ。
最終的な悪は日本人が引き受けるので
全ての計算が成り立つ事になる。
最初の根源はウリさんが引き受けるので
ウリジナルで説明がつく。
左翼やルピオ、売国系の日本人は
これに加入する事によって幸せが得られるし
実際幸せそうだ。
この世の矛盾に悩んだらウリストに加入すると
言う流れはかなり厄介で
似た様な物にオウムさんがいる。
後は
法律を恣意的に作れば
「日本人は悪ニダ法」
「都合が悪い事は日本法」
「目的の為なら何してもいい主体思想」
(三歳児と変わらないけど)
全ては説明がつくのだ。
**********
■
紋切り型で検証のない
経典の垂れ流しに未来はない。
矛盾のない文章がいつまでも通用するなら
世の中に苦労はない。
それは確率の存在しない絶対振り分けの世界
って事だからね。
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■ただ、
完全な法を求める人間は実に都合が良い
洗脳して型に嵌めてあげれば、
相手もエヘエヘと幸せで、利用する方も都合良く使える。
ところがエヘエヘ信者が
年功序列で出世すると、経典を振りかざし
自らの地位を固定しようとする。
そうなると、
順位の固定が必要だから
正義と悪が量産されるのは免れない。
量産型悪人、量産型異教徒
ニュータイプと専用モビルスーツ?を
一生懸命分けることになる。
そこにあるのは共食いなのだが
殺す方も利用する方も気付かない。
**************
宗教指導者が堕落すれば
狂信者は容易に生まれ、
ウリストシステム(アメリカガーでもいいが)
が作動すれば、自制能力を失う。
自省能力もなくなる。
その根拠は、集合的無意識を用いた
集団心理的な、「全体性(ゲシュタルト)幸福感」にあり
その方法と仕組は今後
科学における認知研究
によって明かされていく。
*********
■それが
善か悪かは誰も分からないけど
幸い多くの人は「記憶の書き換え」を
心配しなくてもやっているから
そんなに悩まなくてもいい。
変な言い方、科学的であったりする事と
宗教的であったりする事の垣根は
かなり低くなってきているから
そういう方向性が見えている今
必要なのは意志であり、行動であり
祈りである事は、
各国の宗教的指導者の行動からも垣間見える。
そして彼らは許合いと容認を叫ぶ。
一方で
狂信者は殺し合いと純化を叫ぶ。
*************
■結局のところ
人間の大多数は「迷える肉食羊」な訳で
放っておけば共食いしてスクレイピーになる。
或いは「完璧な法」を求めてさまよいあるき
カルトやウリストに捕獲されて
幸せな家畜人生を送る。
その中の一つに、神道というものもある。
自分はデムパ他で繋がりたくないので、
神道に「はぐれ者」として関わっている
(と言いつつお参りが好きなだけ)のだけど
精神的支柱を無くせば、誰だって
それこそ「こういう輩」の思い通りになってしまう
可能性がない訳ではない
*********
■まあこういうのをのっけると
また、だから廃太子とかの不敬冒涜の輩が湧くので
難しいのだけど、(「正義の革命勢力」とでもしとく
共産党とでも共闘願う。)
結局
、「人を支配する、される」方法は
麻薬であり、劇薬である様な気がする。
自分は、それらを知ることで、
それらに影響されづらくなっただけで
あまり変わらなかったのだけど、
意外と多くの人は変わる。
それに「支配しようとする人ほど支配されたがったり」
「支配されたがる人ほど支配しようとする」からメンドクサイ。
「自立論者」は妙に、完全独立生命体みたいになりたがるし
自立型支配者とか訳分からん。
************
■この様に視点をずらし思索をずらすと
直径はともかく円やら線を「歪んだ球的」に描きながら
思索はぐるぐる回ることになる。
人としてのスキルや単純化能力も
もちろん大事だし
同時に思索を広げて
浮遊したり俯瞰したりする事も
時間があれば十分に面白い。
逆を言えば意志を籠めて視界を持った時
視界は歪む。
不完全で矛盾に満ちた様に見えて
摂理と道理と、諸法則が左右している世の中は
面白くもあるし、
その中で人を支配したり支配されたり
完全な法の元で羊の様に暮らすのが理想なら
ウリスト教の扉を叩けばいい。
日本人のお前が悪いニダ、
で全てを済ませる事が出来る^^
**********
■実は集団学上、そう言う「信徒」的集団は
一定数必要らしい。「潮の満ち干のようにゆっくり粘りを持って
力やら重力やらが伝わっていく」のは、
集団が生き延びていくのに重要な要素だったらしい。
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■、ふう、話は広範に広げれば広げるほど
ちょっとした綻びが出る。
もし綻びが出ない世界が望みなら
或いは綻びが許せないのなら
そういう世界はある。
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自分はわがままだから、家族や国益が大事で
自分の理想郷にはあまり興味はない。
もし理想郷が、国益より大事で家族より大事なら
「天皇霊」を教祖に注入した
自称「神道系宗教」で、家族と家財を差し出せば
きっと安寧が約束されると思う。
勧められても自分はお断りだけど(苦笑)
まあそれの「できそこない」が
「ナンチャラの科学」って言うのが面白いけど
例えばその科学はどうも、
そういう上記の支配体系や考え方に基づいていて
一定の電波層にはウケが良いらしい。
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一言で言えば
科学が神に近づいた結果
神もどきは科学ににじり寄った。
だからこそ当たり前を学び精通し
時には「魔法」を使える大人になれれば
将来の子供にはいい教育になるかもね
それに
神もどきに惑わされるのは
自分は勘弁かな。
もちろん信教は自由で
自分は否定する気もないんだけどね。
*******
ただ、数多くの教会がウリスト教に乗っ取られたのは
不快だけど、まだよそごとなのでいいが
今後、神社も
「神もどき」や「ウリ神」に乗っ取られるケースも出てるし
出てくる。
神主が神がかっているかと言えば
必ずしもそんな事はない訳で、ただ神社や地方の寺は
今や財政基盤がぜい弱だから、
カトーコーイチみたいに村ごとを
乗っ取らせるおバカもいる。
アメリカのせいや、ユダヤの陰謀にしておけば
丸く収まるのかもしれないけどね(苦笑)
■いや本当に冗談じゃなくって
意外と田舎の神祐地が怪しい神もどきに
買収されて変な施設が出来るケースって多いんだよね。
**********
取り合えず載せておこうかな。
全治万能のウリスト神をとりあえずお勧めしておく。
アカヒもあがめてるらしいしさ。
Posted at 2015/04/03 17:21:40 | |
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