
■猛走峠さんの話を伺っていて、面白い事に気づきました。
■あの時、デマに惑わされないようにとか、責任をどう取るんだとか騒いでいましたよね。
データを出せとか、言いよどむなとか。
危険の可能性すら許してくれない空気でした。
発言に責任取れるのかとか、
いくつか気づいた事を書いてしまいます。
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安全派
■逃げたいけど用意が出来ていない人
■先に逃げるなんて許さない。
■情報について危ないと書いているものをとにかくつぶす。
危険派
■逃げれる人は逃げたら~?
■逃げる用意はほとんど出来たけど逃げてない人
■確率で考える。
■とりあえず全部の情報を聞いて判断する。
パニック派(コッソリ派)
■とにかく逃げた
■情報は出さない
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■あの時の安全派は、安全だからの安全派じゃない気がする。
結局は誰も安全なんて信じてなかった。
むしろパニック派と安全派が近かった気がする。
■安全派が、ひとたび危険を感じると
見事なくらいパニック派になるのだと思う。
だから不安になる情報をつぶして回っていたと言うのが正しいのだと思う。
多分危険派が持つ何となくの余裕も憎まれていたのではないだろうか。
■何が言いたいかというと、
危険の可能性を叫ぶ人は「余裕があった」のだと思う。
危険を叫んで逃げない人は「相当の余裕があった」のだと思う。
災害備蓄があり、災害用の道具の備えがあり
仕事が止まっていて暇があった。
更に情報を吟味する余裕まであった。
■
危険を危険といえるかどうかが、
余裕なのだろうと思うのだ。
■逆に安全を叫ぶ人は自分が後になる事が嫌だったのだと思う。
結局は津波と同じ、津波てんでんこ
でも今回の津波は大きすぎて、危険派は危険を合理的に認識したが故に
中途半端な避難で波に飲まれたと思う。
安全派はもたついてもっと死んだ。
■逆にパニック派が助かったのだ
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■もしかすると、安全を呼びかけて回ると言う行為自体が
こういう非常時はありえない訳で、
危険を認識した上で合理的な判断をすることが基本的には一番無難なのだと思う。
とか言っている私は生粋の「危険派」だ
■そう考えれば、今回の震災はまさしく集団心理のルツボであった。
■失礼な言い方だが、あの沢山いた安全派は、こう訴えたかったのだ。
「俺達をおいて逃げるなんて許さない」
「誰だ、危ないなんて情報を流すのは、俺達が逃げれなくなるじゃあないか!!!」
■私は危険派だったから冷たく言い放った。
危ないんだし
「逃げたい人は逃げたらいい」
「逃げることにもリスクはあるよ」
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■安全派 は常に多数を模索する派
=協調性がある=多数が力
■危険派 は自分の価値判断を第一にする派
=協調性は無い=優先順位をつける
■パニック派
=流される=浅はかだが、本当の非常時は助かる
こう考えると、それぞれそれなりの「戦略性」
を持っていることが伺えます。
原発危機と言う生命の危機に対し、
■数値化、具体化を持って相対化しようとした危険派
■安全と言う多数派を形成する事で集団を保とうとした安全派
■とにかく逃げるという手段で生き延びようとするパニック派
それぞれが利己的戦略を最大限発揮したことが伺えます。
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■要するに安全派といいますか。
多数横並び葉が多い事が、日本の強みであり、弱みであると言えるでしょう。
今回は危険派が結果的に勝利し、安全派は、「やっぱり危険だった」と潜り込みを開始しました。
災害時には理性的な危険派が以下に多数を握るか、それが鍵を握る気がします。
パニック派や、間違った危険派に主導権を取らすと、本当のパニックが生じてしまいます。
タダチーニはその逆を取り、安全派に危険派を襲わせようと
危険はないを繰り返しました。
危険派は、圧殺の危機を感じて、相互に結びつきだしたと言えるでしょう。
■集団内での戦い、そう考えると中々面白い動きが今回の震災では見えたのだなあと思います。
また日本と言う国は、なかなかに難しい国なのだとも思うのでした。
Posted at 2011/05/17 07:32:26 | |
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事故発生当初 | 日記