
■2号機パラメータを見ていますと
確かに11日15時40分、
津波によって電源を喪失します。
津波到達までは約1時間
(どうもその前に第一波が
来ていたようですが
3mほどだったようです)
■到着が相馬よりも少し早いのが不思議です。
福島沖でも津波が起きたのでしょうか
長岡工業大学によると
福島沖でも津波が発生している、と位置づけられています。
しかし、最大波は第2波、距離からしますと、第一波が福島沖だったのではないかと
ひょっとすると水深が大きく関係するのかもしれませんね。
(水深が深いほど津波は早い)。
■裏を取る為に、
神栖市のHPを見ましょう。
やはり第2波が最大波です。そして1時間ほど遅れています。
今回は津波の本体(宮城沖)が一番強力だったとみていいでしょう
鹿島港における津波の発生
3月11日 最大波 午後4時40分頃 3m前後
参考
鹿島海上保安署確認による到達時間 第1波到達時間 午後3時32分頃
第2波到達時間 午後4時40分頃
気象庁発表による近隣における最大波 大洗 午後4時52分 4.2m
銚子 午後5時22分 2.4m
※鹿島港での津波の高さについては,気象庁が設置していた津波観測機器が津波により流されたため不明。
■いずれにしても、津波の宮城沖本体が一番巨大だとすれば
北東に大きく口を開けた
福島第一発電所の津波は巨大化したことは疑いようもありません。

■そのあたりの詳細は、
2011年05月15日
福島第一の津波壊滅と言う運命
をご覧下さい。
さて、話を戻します。
■2号機のパラメータはこちら
チャート図
プロセス計算機データ
■2号機のRCICの起動情況です。
どうも地震の後の緊急停止後、一度RCICは起動しています。
そして手動で恐らくストップした物と思われます。
その午前交流電源ストップに関してRCICは自動に運転を再開して、
危機を回避しています。
■どうも津波が来るまでの間、
のほほんとしていたわけではなさそうです。
むしろ、運転再開をにらんで、様々な準備に奔走していた
と言うのが本当のところでは無いでしょうか?
■で、あれば、立上りを考えれば、余分に冷やす事は
余り賢くありません。
エンジンであれば、アイドリングを保とうとするでしょう。
よって、数字を見ると水温等は280度前後をキープして
運転の再開を待っていたといえるでしょう。
■ところが津波の第2派が巨大な物であり、
全電源を喪失してしまいます。
そうなると、速やかな起動準備が熱量的には裏目に出て
負荷としてのしかかってきます。
RCICの2号機は何とかしのぎますが、しのげなかった1号機は
いち早く離脱してしまいます。
■1号機のICは古くてうまく作動しなかったのでしょうか?
後ほど見てみたいものですね。
(2、と5号機しか出ていませんでした)
■いずれにしても15時40分頃全交流電源が停止してしまい
東京電力をかばうわけではありませんが、
気象庁の津波警報が最初から10M以上であれば、
また対応は異なっていただろうと言う思いは抱きます。
Posted at 2011/05/20 21:04:57 | |
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事故発生当初 | 日記