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2013年05月22日

【歴史改ざん?】何だか怪しい春秋左史伝の記録と趙武と士会

今回はただただ趣味のエントリーです^^;

■斉楚秦燕韓魏趙
古代中国、戦国7雄と言われる存在です。

■つまり中国にも『下克上』の時代があり
このうち韓魏趙は三晋と呼ばれています。
紀元前600年以上前、すなわち我が国の「皇紀の始まりとされる年代付近」
すなわち、の文公(春秋五覇)が周と言う王朝の王を奉じて
いわゆる『幕府』を開くのですが
韓魏趙はそれから約100年ほど後に、その晋から独立して
主家を三分割してしまう事になり、その為に
三晋と言われているのです。

説明がめんどくさいのでウィキを貼ってしまいます。^^;

********************
■ちなみに中国は元々こんなエリアだったという訳なんで




三晋=中国でもいい位です(笑)

■元はうちの国だった云々と言いますが
一体いつまで遡れば気が済むのかイマイチ分からないんですよね。
清はそもそも「女真」ですし
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■さてその晋国の名宰相に『趙武』と言う人がいます。
趙トン (遁のしんにゅうなし)の、
孫とされる存在でなかなかドラマチックな人生を送った、と「されています」


■まず関係者の趙一族はこちら



『されています』と書いたのは何だかこの辺りの記述が
凄く怪しいというか、史書によってずれているんです。
要するにドラマチックすぎる上に怪しい…
こちらのサイトが非常に詳しいです。趙氏の興亡

①時期バラバラ、


②生母(君主の娘)密通事件?


************************
■実際はどうであったかは謎なのですが、
趙武の叔父の趙同、趙括、趙嬰斉は同母兄弟です。
で母親の趙荘姫は晋王室の出です。

どうも、趙家を巡っての相続争い、があって
末子相続かつ、叔父が娶る、と言うなんか
北方民族みたいな事をしたんじゃないか、あるいはしようとして
内ゲバが起きて、母親は実家に帰りました、
みたいな話の方が、説得力があります。

****************************
■その辺り、宮城谷文学では美化されているので
どうにも意味不明なのですが、趙武の父を殺したという
屠岸賈と言う人物
がまた怪しさプンプンです。

趙同、趙括の活動終了と
趙武の復讐はほぼ同じ年、西暦前583年です。
そして趙の出自を一部隠したかったという説があります。

(中国語ウィキ)


一応の訳


*************************
■あるいは趙武は趙朔の子ではなく、
趙嬰斉の子、なのかもしれませんし、(可能性は低いですが)
後ろ暗い出自がある可能性もあります。もしくは、趙家の中で
血で血を洗う暗闘があったのかもしれません。

屠岸賈自体は実在性が薄く、
それは趙同、趙括もしくは趙嬰斉であった可能性が高く、

個人的には趙武は趙朔の子であったとしたら
趙荘姫の子ですらなかったはずで、=側室の子
その場合には凄惨な復讐劇を趙武自体が起こした確率が
一番高いのかなと思ったりしています。

(それを韓氏が支援したとすればつじつまが合います
また、特に趙括は公族の官に任命されていますから
恐らくその行為は実質的な王族殺しだった筈です)
**************************






**************************
■ところで、当の趙武の人物評で面白い物があります。
沙中の回廊の主人公にして、『士会』と言う人物がいます。
晋の宰相にもなりましたし彼の子孫は「范」の姓を名乗ります。

中国の歴史で度々登場する、
越王勾践の軍師「范蠡」、項羽の軍師「范増」、秦の宰相「范雎」
等は彼の子孫なのか親戚なのかは謎ですが、
一つの古代の『智』のブランドでもありました。

彼自身は「范武子の法」と言う法を定め
春秋左氏伝に晋代最高の宰相と評される人物です。

*****************************
■意外にも中国語版のウィキでは、『趙武』が士会を高く評していた
という表現が出てきます

1)念徳修法
その功績は:法を定め、君子を教導した

2)光補五君
5人の君主に仕え、法を定め、太傅を務め(一般的には甥を使って)
刑法を整え、民が収まった(孫の言葉)

3)神人とは仙人の事ですが、イマイチ…
楚の屈建が和平会議の時に趙武に『士会の徳』を尋ねました。
趙武は『理を持って国を治め、隠しごとをせず、
意にそわない事があっても誠実に対処したのです』
それを聞いてその君主は『高尚だ、それ故五代もの君主を補佐しえたのだ』

斉の晏子は側近が景公の病気が治らないから、占った奴ぶち殺そうぜと言いましたが、士会の例をあげてそういう事をしちゃいかんとたしなめました。

4)趙武と叔向(叔向は当時の晋の政治家)
二人で死んでる人について話していて、
「死んでる奴が復活して一緒に政治するなら誰がいいかなあ」と言う話を趙武がした。

叔向「陽処父(襄公の先生)だよね、正直で清廉潔白だし」
趙武『潔癖過ぎてぶち殺されたから却下』
叔向「じゃあ、狐偃」
趙武『あいつ、保身結構したし、情実人事してたじゃん』
趙武「自分は士会だと思う。恩は忘れないし、自分の友人をごり押ししないし、王様にヨイショしないし、賢人は勧めて、こびへつらわないし、でもイマイチな人は降格させた」

********************************
■どうも言動からすると
趙武の恩人は士会の様な気もします
その後士氏は、豪族同士の争いの中で滅亡してしまいますが
(族滅ではないので以降も先述の通り、人物は出ます)

ちなみに士会の祖父は士イと言って、同じく法を定め、権謀術数の限りで
粛清をしまくり、そして大司空(大建設大臣)となりますが、主君が色ボケして
王室の内乱によって大変な事になって、隠居した人物です。

一方の趙家に関しての私の想像です。
「趙家の兄弟(叔父)が、趙武の父を攻め殺し、
その後趙荘姫(義母)を誰が相続するかで
三兄弟がもめ、その中で趙嬰斉が抜けがけたものの
士氏の差し金で亡命し
残る2氏を父の敵として趙武が、韓氏の助けを得て、攻め殺した。」

と考えると一番辻褄が合うのですが、
はたまたどうなのか歴史には色んなIFがあるから楽しいのかと思います。

**************************
■尚、士会は、わずか2年で宰相を退きます。
斉国が、郤克の身体障害を笑って、激怒させたため
怒りが国内に向かない様に宰相を任せ、戦争をしてそのうっ憤を晴らさせる
と言う事を余儀なくされたからです。(断道の会)

どうも評判ほどの行動ではない、と後世からは見られがちですが
油断したり妬みを買えば、容易に族滅してしまう
一族皆殺しになるという風潮が当時の中国にはあります。

彼の息子もその薫陶を(引退後も)受けています。


******************************
■自らはすばやく身を引きつつ、社稷之臣として影響を及ぼし続けた
今の日本人から見れば『なんだ当たり前の事じゃないか』と思いがちなのですが
当時は非常に希有な存在だったようです。

尚、郤氏は郤克の次代(BC574)に、晋公によって『族滅』され、
更にその晋公は暗殺され(BC573)、そのご晋の国勢は衰退に向かいます。

■ちなみに士会の登場は晋の文公(春秋五覇)の車右として初めて登場します。
車右とは政治的意味を持つ、戦車における護衛(武力)にして、政治的メッセージでもあります。
すなわち『法』と「秩序」の重視の表現として士会が登場した訳で
当時は単なる士イの孫にして、士家の、指揮官的な意味合いでしょう。

■士会と、その2世代くらい後の斉の晏子や同時代の孔子によって
『社稷之臣』『社稷』の概念が成立します。
その同時代に孔子が現れ、
今の私たちの『日本人的』概念を色濃く作っていったのは
非常に面白い事です。

*************************************
■宮城谷文学には脚色が多く見られますが、(小説としては大好きですが)
彼の取り上げている人物達は
いずれも私たち日本人の考えを色濃く作っている
考えを生みだした人物達
です。

その概念や、拙いながらも古代中国の概念を学ぶ事は
人の恨みや妬みを恐れつつも
それらに呑まれず、自らの道を歩む
この事の大事さを教えてくれているように思います。

但し度が過ぎる場合は、
入念に根回しをして粛清する、
ただ、それは個人の恨みや、私欲に沿った物ではいけない。
この辺りの切替も、また高い評価を得ているという事は
特筆すべきかと思っています。



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************************************
■古代中国の故事が全て正しいとは限りません…が
『精神概念』の成立については、一日の長があります。
そして、それらの研究は逆に中途半端に
『中華』の影響を受けていない分
日本の方が素直にとりいれているように思います。

その根本にあるのは、奇しくも天皇(すめらぎのみこと)の
綿々と続く永続性であり、今上の陛下が、その行いを持って
いわゆる『徳』を積んでいるのを見ると、
いい時代に生まれたのだなあとつくづく思わずにはいられません。

「明治に復古せよ、今の日本は押付だ」という声もありますが
概念を学ぶにつけ、今の国体を維持する事が肝要に思います。
そしてその時代背景は、楚と言う南蛮の国と拮抗した
春秋時代のあり方に深く通じると思うのです。





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Posted at 2013/05/22 21:47:14

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