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ちょこば(旧chocovanilla)のブログ一覧

2012年10月25日 イイね!

【洞爺丸の真実?】絵を貼り付けてドラマを再現すれば【前篇】

■さあ、洞爺丸台風の分析は如何でしたか?
自分は洞爺丸船長も「無理ゲー」の人だと思います。

今回は天気図の落書き(自分が書いてる)を付け足します
文章は「はいじまさん」のこちらのサイト
青函連絡船と津軽海峡から
第5章
を引用します。

いつもの様に※ちょこばの独り言※です

********************************
青函連絡船各船もこの台風の情報を収集していた。だが、台風は北上するほど勢力が弱まり、新潟付近から東北地方を横断して太平洋に抜けるのが通例である。


 台風は反時計回りの渦を巻いている。台風が北へ動くと台風の渦と進行速度の相乗効果により、台風の目の東南側で風浪が激しくなる。逆に台風の目の西側は渦と進行方向が相殺されて、風浪が弱まる。
※その通りです(下図参照)※


台風が太平洋に抜ければ、津軽海峡は台風の目の西側になって大きな被害を与えることは考えられなくなる。稀に日本海を北上する台風もあったが、津軽海峡付近に到達する頃には前線の影響を受けにくくなって速度が上がり、さらに海水温が下がるために台風そのものも勢力を弱まってしまう。そのために津軽海峡は台風で大きな被害を受けた経験は皆無であった。

 しかし、「マリー」は今までの台風と少し違っていた。まずは異常な速度である。時速約100キロの猛スピードで九州・中国地方を横断して、速度との相乗効果で台風の東側にあたる四国地方で被害を出した。これは台風としては異常な部類に入る。
※加速と減速の激しさが特徴ですよね※


26日午前9時、台風は米子の沖合の日本海に達し、そのスピードを維持したまま北西に進むと予報された。21時の到達予報圏として、米子沖と岩手県宮古市のはるか南の海上と、稚内の東方海上とを結ぶ三角形が描かれ、17時頃には宮古から寿都の範囲内に到達すると予報された。その予報圏の中心は津軽海峡の西でも東でもない、ど真ん中である。青函連絡船各船はこの予報に緊張し、気象情報に耳をそばだてた。

※気象庁の予報は、一般的な予報でした
実は洞爺丸船長の予報よりも、気象庁の予報の方が
よほど外れてる事は津波同様無視されてます^^;
もちろん気象庁が悪い訳じゃないんですよ。※



 9月26日、いつも通りの朝が津軽海峡に訪れていた。雨は降っていたものの台風はまだはるか南、広島のあたりにあり、まだ気を引く存在ではなかった。なおこの日、「第七青函丸」は函館ドックで、「摩周丸」は神奈川県の浦賀船渠で、それぞれ工事をしており、定期便としての運用には入ってなかった。

 6時30分に3便として「洞爺丸」が青森を出港し、8時15分に「羊蹄丸」が函館を出港していた。
 「洞爺丸」には25日午後からB組110名の乗組員が乗り組んだ。ただ、船長はB組船長(専属船長)ではなく予備の船長であった。予備船長とは各船の2人の船長が揃って休日になった場合に乗り組む船長である。いろいろなくせの違う船に乗るために熟練の船長が予備船長として待機することになっており、この船長は無事故を誇るベテランの船長であった。
 船員達も普段のB組とは違う内容だった。スポーツの秋である、船員たちの行事として船員対抗の野球大会が計画されていた。この野球大会は船ごとにチームが組まれ、26日の日曜日に洞爺丸チーム対羊蹄丸チームの試合が予定されていた。B組からこの野球大会に選手として参加する船員が、A組と同一役職の船員と交代して、普段と違う船員編成になっていたという。
※臨時の【ベテラン船長】+普段と違う船員
大川小学校も校長不在でしたよね。
責任者の揺らぎは極限時に、リーダーシップ異常を起こし
決断を遅らせるのかもしれませんね。※


****************************************
 「洞爺丸」は無線を通じて台風の情報を集めていた。台風の速度は異常に速いため、この日の夕方には津軽海峡を襲うはずである。「洞爺丸」だけでなくこの日運用されている全部の船がそうであった。連絡船は鉄道との連絡という使命から、ギリギリまで運航を続け、嵐が去ったらすぐに運航を再開しなければならない。そのタイミングを見計らうために、台風や大型低気圧の接近には気象情報は欠かせないものであった。

 台風は正午には佐渡島(新潟県)の西の沖合100キロまで進んだと発表された。暴風圏の半径は約300キロ。台風からはるか離れた東京でも暴風となり、当時の観測史上二番目の記録になった強風が吹き荒れた
 気象台はなおも速度を落とさずに北海道から東北南部へ向かうと予想した。この時点での予報でも台風の進路予報円は津軽海峡を中心に描かれており、津軽海峡への直撃も予想された。気象台は東北地方を横断して太平洋へと抜ける予報を捨てていなかった。予報通りなら、台風最接近直後に東~北東~北西と向きを変えながら風が吹くが、台風の進行方向と相殺されて、幾分風が弱まって吹くことになる。


 最悪の事態は台風が海峡の西を通ることである。台風の眼の東側に入れば、台風最接近直後に危険域に入り、吹き返しと呼ばれる猛烈な風が南西~西~北西へと向きを変えながら吹くことになる。その風は台風の進行との相乗効果でとてつもない突風になることが多い。ただ日本海側の方が海水温などの関係で台風が弱まることが多いのも事実であった。
※↑間違いです。対馬暖流のせいで台風は弱まりません。※


※実際そうなった訳で、後付だから分かる話。※


 青函航路にとって重要な事柄だが、当時の気象観測体制は現在とは格段に違い、日本海には海上の定点観測点がひとつもなかった。よって予報外れが多く、青函航路の船長たちは発表された気圧配置から自分で天候を予測する術を身につけていた。だが、「正午に佐渡島100キロ沖合」というこの観測結果そのものが、既に外れていると判断できる者も誰ひとりとしていなかった。
※↑別に外れてない※

 「洞爺丸」と「羊蹄丸」の後を追うように、両港から何隻かの貨物便が出港していた。「洞爺丸」が函館岸壁に着岸する直前の11時、青森から進駐軍専用1201便「石狩丸」が、函館から62便「渡島丸」が出港した。これと前後して海峡は時化模様になった。突如として東から20メートルを超える強風が吹き出したのだ。付近に強い低気圧が現れたときに起きる現象であるが、この時点では台風はまだはるか彼方、新潟沖にも達していない。全く予想外の時化であった。
※物凄図体がでかい台風だった訳です。※


 「渡島丸」はこの時化に難儀することになる、動揺は20度を超えて大波にたたき上げられた。
「風速東25メートル、波8、うねり6、動揺22度、進路南東で本船難航中」
 「渡島丸」船長の肉声による無線電話が青函連絡船全船に流れた。「難航中」というのは余程のことである。船乗りにとって時化で難儀するのは通常の範囲であり、「難航中」というのはとてもじゃないが航行できない状況にあることをいう、端的にいえばこの無線電話は僚船に欠航を勧めるものであった。
 「渡島丸」の後続便になる連絡船が出港の準備を続けており、12時30分に貨物便として「第六青函丸」が出港。続けて13時20分に進駐軍専用便「第十一青函丸」が出港した。「第六青函丸」は函館湾を出たあたり、「第十一青函丸」は函館山に差し掛かったところで「渡島丸」からの通報を耳にして運航中止を決断、函館に引き返すことになった。双方とも戦時標準船で、時化の中の航行に不安を感じたのだ。
 一方、下り便は「石狩丸」の他、31便「日高丸」(青森11時20分出港)が続いており、「石狩丸」の前には10時青森出港の5便「大雪丸」があった。どの船も函館への強行を決意し、そのまま時化の海峡へ突っ込んだ。東風の場合は航路が東よりの上り便より、西に大きく偏った下り便の方が影響が少ないためである。「渡島丸」は難儀していたが、下りの3船はすこし揺られたものの大したことなく海峡を乗り切った。これに青森14時20分出港の53便「十勝丸」が続く。

 11時に函館に3便として着岸した「洞爺丸」は4便として14時40分に出港というダイヤであった。14時までに上り便はすべて欠航が決まっていたが、「洞爺丸」は定時出港の予定を変えていなかった。理由は戦時標準船より性能がよいこと、台風の津軽海峡接近時刻は17時頃と予測し、「定時出港」なら「洞爺丸」の性能があれば台風接近までに陸奥湾に逃げ込めるという判断である
※全くの正解です。さすが「天気図」船長
但し普通の台風、だったなら、ね※


14時8分、函館駅ホームに札幌からの急行「まりも」が入線した。4便への接続列車である。道内各地から本州を目指す人が「洞爺丸」に乗り込む。その中に国鉄北海道総局支配人、札幌・旭川・釧路・青函の各鉄道管理局長という国鉄重役陣がいた。国鉄本社での管理局長会議に出席するためで、青函局長だけは所用のため翌日の便を利用するために別行動し、他の管理局長は「洞爺丸」一等特別室に落ち着いた。

 「洞爺丸」の船長が4便出港のため船橋に立ったのは定時出港10分前だった。他の船員たちも出港の準備に走り回っている。しかし、「洞爺丸」の行く手を「第十一青函丸」が塞いでいた。海峡の時化のために函館山まで行って帰ってきたところだった。乗っている進駐軍関係の乗客を「洞爺丸」に移乗させることが決まっていて、「第十一青函丸」着岸まで「洞爺丸」は動けないことになった。船長は台風の接近のことを考えると、出港を1分でも遅らせたくなかった。定刻の出港予定時刻が過ぎた、「第十一青函丸」は4便定時出港時刻を過ぎた14時48分に着岸した。だが、すぐには出られない、乗客の移乗があるのだ。乗客の移乗が終わって15時、船長の心に焦りが生じていただろう。
 乗客の移乗が終わった、タラップも外されて出港準備はすべて整ったはずだった。桟橋から出港可能を示すブザーが鳴らない、船長の焦りがピークに達したとき、桟橋助役が船橋に現れた。「どうしたんだ?」と船長が厳しい口調で聞くと、進駐軍用の荷物車と寝台車を積み込んでいるとの事だった。荷物車は既に可動橋に差し掛かっていた。
「この急いでいるときに荷物車はともかく、寝台車の積み込みはできない。船尾の二等航海士に寝台車積み込みはしないと伝えてくれ」
 船長は大声で言ったという。桟橋助役も渋々引き揚げ、桟橋職員に「寝台車積み込み中止」を伝えた。ちょうど荷物車を積み込んだ機関車を切り離したところだったので、中止は楽だった。
 「洞爺丸」の係留索が外され、出港の汽笛が鳴った。船首を牽引する補助汽船の準備もできた。しかし、荷物車を積み込んだばかりの可動橋が上がらない。たまりかねて船尾で指揮を取っていた二等航海士が怒鳴った。すると停電で可動橋が動かないと言う。
 時計を見ると15時10分、4便定刻を30分過ぎていた。その間に台風は50キロも海峡に接近し、「洞爺丸」が陸奥湾に逃げ込めるかどうか微妙な時刻になっている。停電が長引くならここで台風をやり過ごした方が良い。
「出港準備解除、本船はテケミする。」

 船長が静かに言った。テケミとは「天候警戒運航見合わせ」の頭文字を取ったものである。テケミの指示が船内から桟橋へと広がった頃、可動橋は音をたてて上がった。この日、函館市内は断続的な停電に見舞われ、この停電もそのひとつで僅か2分で復旧したのだ。結果的にはこの2分が「洞爺丸」の運命を決めた。可動橋が上がっても、テケミの指示は取り消されることがなかった。
 そして、船長の予想どおり、函館は昼だというのに薄暗くなり、強い雨を伴った東からの強風が吹き荒れた。
***************************************

 15時現在の台風の観測結果が発表された。青森県の西方沖100キロの海上にあり、中心示度は968ミリバール。依然として北東へ時速100キロで進行中。17時頃に北海道南部に上陸して深夜までに北海道を横断するという予報であった。
 予報が海峡から少し西にずれた。予報円の東端を通っても函館直撃で、海峡の東へ抜ける見込みはなくなった。
※この時点では台風は減速していません、船長の読み通り
自前の天気図(気象通報)を見ながら予想進路を書いてたんじゃないかと
想像してます。※


************************************
函館の混雑

 函館港内は複雑な状況になった。まもなく5便「大雪丸」が函館港内に到着する予定である。函館駅の岸壁はふたつ、第一岸壁に「洞爺丸」、第二岸壁に「第十一青函丸」が着岸のままテケミとなっている。本来なら「洞爺丸」が4便として出港して入れ替わり第一岸壁に「大雪丸」が着岸して夕方に6便として折り返しの予定であった。さらに第二岸壁も「第十一青函丸」がいなければそのまま「石狩丸」が着岸の予定である。ところが両岸壁がテケミ船で埋まったため、「大雪丸」「石狩丸」ともに着岸すべき岸壁がなくて、沖で錨を降ろして停泊するしかなかった。「大雪丸」には一般旅客が、「石狩丸」には進駐軍旅客がいる、このまま沖でテケミさせる訳にはいかない。本来なら「洞爺丸」の乗客を降ろして沖に出すべきだが、「洞爺丸」は天候回復後すぐに出港の予定でいる上、千人近い旅客が乗っているので混乱を避けるためにも岸壁から動かせない状況だった。

 そこで、「第十一青函丸」を沖に出し、まず5便「大雪丸」が第二岸壁に着岸して旅客と貨車を降ろし、すぐに「大雪丸」を沖に出して「石狩丸」を第二岸壁につけてそのまま着岸テケミとした。貨物便で客がおらず、函館(貨物専用の有川桟橋)へ向かっている貨物便の「日高丸」「十勝丸」は沖でテケミとすることになる。
 15時17分、94便として「北見丸」が函館を出港、港外に出たところでそのまま錨を入れてテケミとなった。前後して5便「大雪丸」が函館港外に到着、続いて「石狩丸」が港外に到着した。その数十分後には「日高丸」も函館港外に到着、「日高丸」は港外で岸壁が空くのを待っている「石狩丸」を追い抜いて、16時半に港内の安全な場所に錨を入れて停泊した。
 ますます風は強くなり、港内は避難船や停泊船で混乱が始まっていた。港内では約8000トンの死船となった貨物船「アーネスト」がブイに固定していた係留索が切れて漂流し始めた。この船はイタリア船籍で、メキシコから石炭を積んで室蘭へ向かう途中に室蘭港外で座礁事故を起こし、修理のために函館に来ていた。船主は廃船を決めて鉄屑としての買い主を捜すため、函館港内のブイに繋いで停泊させていた。船員は8人のみで、機関に火を入れることすらできなかった。この自分の意志では動けない大船が風で勝手に動き出したのである。停泊船は機関を暖めてはいたが、避難船がひしめくなか動くことができない。タグボートの出動を依頼する無線が飛び交った。その中で第二岸壁では「第十一青函丸」と「大雪丸」の入れ替えが行われていた。
 「洞爺丸」の船内には千人近い乗客がそのまま残っていた。港外からのうねりがとどくたびに「洞爺丸」は大きく揺れて岸壁に船体を擦った。船酔いする客も出て下船を主張する客もいたが、給士(ボーイ)は乗客が降りることを認めなかった。それでも業を煮やした乗客の何人かが、桟橋職員用のタラップや船尾の可動橋から勝手に下船していった。乗船名簿に名前を残しながら下船した乗客は60人にも及んだ。この後の地獄から逃れた幸運な人たちである。

 その頃、青森港では16時20分に「渡島丸」が到着、そのまま着岸テケミとなった。隣の桟橋では「羊蹄丸」が9便として定時の16時半に出港するかどうかで悩んでいた。青森では風はそれ程でもなく、雨も降っていなかった。だが気圧が下がり続けて981ミリバールを示し、台風の接近を示していた。しかし、風は出港時刻が近付くに連れて弱まる一方で、16時すぎには殆ど吹いてなかった。「羊蹄丸」船長が首を傾げると、外が明るくなった。見ると青空が広がって風が止まっている。誰もが「台風の眼」だと直感した。ただそれまでの台風情報に比べると気圧が高い、それは他の台風と同様、津軽海峡に達するまでに衰弱したと誰もが想像した。今出れば台風を追いかけることになるから、船長は台風通過後の吹き返しを見極めるまではテケミと決意した。300キロの暴風圏を持つ台風が時速100キロで動いているという情報から、暴風圏が去るまでの3時間だけ海峡の様子を見極めてから出港させることにしたのだ。

※青森の疑似眼通過は16時過ぎだった訳です。
データ上も合致しますよね。(疑似眼は青森にあります)

船長たちは「気象庁が現在位置を外した」
そう思った可能性が高いと思います。※



 函館港でも「洞爺丸」の船長が気圧計と睨めっこをしていた。台風がいつ、何処を通過するのか、それを見極めようとしていた。雨はますます強くなり、バケツをひっくり返したような勢いである。17時13分、旭川から急行「あかしや」が大雨をついて到着。本来は後続の6便の接続列車であるが、席に余裕がある限り急ぎの旅客を4便に乗せることになった。桟橋では「あかしや」から降りてきた客に等級ごとの番号札が配られ、空席数を調べて先着順に「洞爺丸」に新たな客を乗せた。「洞爺丸」の船内はほぼ満席となった。
 その頃、船長はある変化に気づいた。気圧が982.8ミリバールで底を打って上がり始めたのだ。船長は信じがたいものを見た気持ちに襲われただろう。だが17時に函館付近通過という予報を思い出し、台風の中心が最接近したと判断した。気圧が高いのだからかなり離れた処を台風が通過したと最初は判断しただろう。観測結果から推測すると台風は海峡の西にあり、これから南から西へ向きを変えながら吹き返しがあるはずだ。しかし、船は台風の進行方向と逆に向かうのだから、後は吹き返しの風向きと様子を判断すればすぐ出港できる。そう考えた。

※皮肉にも青函の気圧の比較と台風の眼の認識が
「津軽海峡」での台風の眼を予測させてしまいます。
洞爺丸と青森側のやり取りが、さらなる誤解を招いた訳ですよね…


実際に通過したのは疑似眼が青森上空を経て
函館上空を通過した訳です。
疑似眼の青森上級通過はほとんど触れられていないんですよね。



******************************************
 急に外が明るくなった。船長は驚いて外を見た。雨が止んで青空が広がっていたのだ。雲は茜色に染まり、綺麗な夕焼けを彩った。東の空には虹が出ていたのではないかと思う。
 台風の眼だ…誰もがそう思った。船長もその判断に自信があった。ただ気圧が思ったより高いのが気になったが、船長は他の台風と同様、北上するに連れて衰弱したと考えた。どうってことのない低気圧に台風が変わってしまった、そう思ったに違いない。足の速さは衰弱しても変わっていないようだから、吹き返しを見定めるのに1時間、あとは出ても台風の進行方向と逆へ向かうのだから、風浪はすぐ弱まるはずである。船長は一等航海士を船長室に呼びだし、静かに告げた。
「遅れ4便として18時半に出港する。18時スタンバイ。」
「遅れ4便として18時スタンバイ、了解しました。」
 一等航海士が復唱し、「洞爺丸」の18時半出港は決定した。

※この認識は正しいんです。
どうってことのない低気圧≒疑似眼が通過した訳で…

16時における疑似眼の青森通過
17時における疑似眼の函館通過


コレは距離的にも
つじつまが綺麗に合いますし、気象庁の情報と組み合わせても
おかしくないんです。


ポイントは青森の疑似眼ではないかと思います。
後は下り(台風と同じ方向)か上り(台風に向かって動く)
の違いですよね。函館に滞留してしまった
連絡船達…。ダイヤを考えれば、青森の羊蹄丸は
港が余ってますが、函館側は一杯です。
猛走峠さんの推測通り、列車ホテルならぬ連絡船ホテル
として、人を降ろせなかった…
それはあるんじゃないのかなあ…



Posted at 2012/10/25 13:15:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 洞爺丸台風と再発達 | 日記
2012年10月25日 イイね!

【出航すべき】ちょこば版、洞爺丸台風の真実?【ギャンブラー】

この記事は、テケミ@函館桟橋 衝撃的な説:「出港しない決断」をしても、結局、沈没 したのでは?説について書いています。


2012年10月23日
【洞爺丸台風】風の特異点と、時速100km、気象図の関係

の続きですが…

まず…以下について、回答をば^^
ええっと・・・トラバ元記事の末尾の文句は・・・褒め殺しにする気でしょうか・・・^^;

A:いいえ、違います。 ある意味もっと腹黒いです…

********************************
■このブログは、実はこの4つが加わって
一つの方向性が出る様にできています。

1.ちょこば(私)の強い偏向姿勢
2.猛走峠さんサイドのポイントをついた本質性
3.弘(2型)さんの冷静な意見
4.渦様の突込み


深い意味はないのですがそうなってます…
**************************************

2012年10月23日
【洞爺丸台風】風の特異点と、時速100km、気象図の関係

の中で本音が出だしているのは分かるでしょうか?

その1
「天気図」と呼ばれる艦長の
「裏の裏の裏をかく」この要素が

出航できない青函連絡船の船長を
「危険な賭け」
に駆り出させました。

その2
>ここは猛走峠さんも指摘した点ですが、
洞爺丸を過信していたなら
実は湾内に停泊せずに、青森を目指した筈です。
そうすれば沈没しない可能性があった。


洞爺丸船長は、
洞爺丸を過信すべきでした
過信せずに、台風の通過を見込んで、
待機したのが命取りでした…

****************************************
一言でいえば
人の理(リスクマネジメント)を無視すれば、
洞爺丸はより早く出航すべきだった


■歴史の真実は、
何故出航したかではなく
何故出航し無かったかを、
海難審判で問うべきであった。


裏1:想定より遅くなった
裏2:想定より強くなった
裏3:想定より西にそれた+疑似眼が通過した為見抜けなかった。

それを裏付ける気象衛星は存在しなかった…。
それらの証明は残されている。



■その為にはこの船を過信して、出航する必要があり
実はウィキにその証拠が書かれています。

11時05分、午前中青森からの下り3便として運航を行っていた洞爺丸は函館の鉄道桟橋第1岸(函館駅参照)に到着し、折り返し14時40分出航の上り4便となる予定であった[1]。近藤平市船長[注 2]は台風接近前に陸奥湾に入り、青森に到着する見通しを立てていた。

12時40分頃、青森へ向かっていた渡島丸(貨物専用船)より海峡中央から「風速25メートル、波8、うねり6、動揺22度[注 3]、針路南東で難航中」との通報が入る。危険を感じた後続の第六青函丸・第十一青函丸は海峡にさしかかったところで運航を中止して引き返した。このうち第十一青函丸の乗客(米軍軍人・軍属が主)・車両を洞爺丸へ移乗させることとなったが、着岸・移乗作業に時間がかかり、またこの日函館市内で断続的に発生していた停電のために船尾の可動橋(車両を載せるために船体後部にかけられる橋)が上がらず、洞爺丸も15時10分に台風接近を恐れて運航を中止した。この停電はわずか2分間のことで、停電がなく可動橋が上がっていたら無事に青森に到着していたであろうといわれている[注 4][2]。


******************************************
何故出航しなかったか??
何故出航できなかったのか
?(停電)
何故青函船は小さいのか?(喫水が浅く超大型フェリーには不利)



本質はそこでした

*******************************************
■結局気象技術の未熟や周囲の段取りの悪さ
それらを無視する為に、
船長に全責任を押し付ける為に


「何故出航したか」に話をすり替えた
その事の証明?には、
函館にいる限り沈んだんじゃないの?

猛走峠さん…テケミだと多分沈んだ。
弘(2型)さん…鉄道積んでたんだから、無理ゲー?では


************************************
■そう、ギャンブルの残酷さは、最後2択になると言う残酷さです。
賭けに負けりゃ何がどうであろうとも

「馬鹿船長」(洞爺丸)
「馬鹿先生」(大川小学校)
「馬鹿スタッフ」(福島第一)



後出しな私達素人にボロカス言われて
中国の尖閣デモの様にボロクソにされてしまいます。
唯一偉いのは毛沢東でありスターリンと言う訳ですね^^;

2012年09月23日
【10m津波から5分】津波警報的無理ゲー【気象庁の責任】


結局は死人に口なし
ではあるのですが、私はそれは嫌だなあと思います。
但し、マスコミの論調を見ていると
日本は、現場を知らない、
ニート(的)生活保護、最強な様に
責任システムができてる訳です


その現実の一つを浮き彫りに出来ていればいいなと思います。
*************************************
■ところで、とほ宿と…

何と懐かしい…^^;

あしたの城(サロベツ)
あるめりあの??(宗谷)
サクルー荘
ゆわんと村
美瑛の…ああ、忘れた!!

チャリンコ、北海道半周を思い出しますね。
年取ったなあ…^^;
Posted at 2012/10/25 10:05:27 | コメント(1) | トラックバック(1) | 洞爺丸台風と再発達 | 日記
2012年10月24日 イイね!

タラレバ恐怖症と原発問題とエネルギーと温暖化?

■原発については手を下すまでもないと思ってます。
むしろ使う中で、いずれ減っていく以上、
イデオロギー的に騒ぐ意味はないからです。

そして多分・・・核廃棄物は輸出なんか出来ません。
そんなもん輸出したらマスコミが騒ぎ立てて
謝罪と賠償10万年
をプレゼントしてくれるでしょう^^;

*******
そういえば…
■福一同様の事故のシュミレーションに、
恐怖している人達がいますが、
今まで、何の疑問も感じずに何十年も生きてきたことの方が「偉大」です。

■今すぐ日本を脱出して、
中韓に住めばきっと全ては解決すると思います^^
中韓の原発や放射脳はきっと体にいいんですから(皮肉)

■そしてそんな報道ステーションのゲストは、
あのユニクロの柳井でした(笑)
もうただの売国奴です(苦笑)
まあ張り紙はどうでもいいんですけどね^^;

中国インドが、中産階級になるとか言ってますが、
10億人がエネルギーを消費し出せば、素晴らしいことになるでしょうね^^
温暖化を謡う、古館が10億人のエネルギー消費を是認する。
もうただの笑い事ですよね。

********
■温暖化を促進するのは温暖化そのものであるということが既に
分かりつつあります。
何が原因であろうと、温暖化が進めば温暖化が起きます。

あえて言えば、人間の活動そのものがエネルギー消費であり
人が温暖化に影響を与えているとすれば
資源だろうが、リサイクルだろうが、太陽光だろうが
エネルギーに変換された時点で「熱源」な訳です。

■マスコミの言うことが本当で、
人の活動が温暖化の主原因であれば、
エコかどうかは関係なくて、反射されているエネルギーが
吸収されれば、地球単位では、熱収支は黒字、
熱がたまることになるわけです。


ところが地球全体の熱収支なんて、
今の科学では分かってません。
増してや人の住むわずかな範囲の熱収支すら謎
です。

家計簿すらつけられないのに、
スーパーのレジ袋を気にしているのが、
今のエコやマスコミの考えです。

2012年08月28日
【頑張っても良くならないから詐欺が有効】温暖化詐欺と、エネルギーの話【共同幻想】
で書いたとおり

■でも、海水に、淡水の温水を注げば
あっという間に対流を妨げる、熱水の層を作る事が可能です。
つまり、海洋表面温暖化は
実に容易に実現できる訳です。

2012年06月01日
【温度差】大事なのはΔt(デルタティ)【異常気象が今後頻発?】
お風呂のお湯が上だけ熱い、というあれですよ。

だから原発を作ってお湯の表層を大量に作って
CO2詐欺をしかけるなんて芸当が簡単にできます。
だって温水膜作って、CO2のせいだといえば
永遠に温暖化詐欺が可能ですからね(笑)

エネルギー問題というのは、
資源問題や、自然エネルギーの
問題というよりはむしろ
熱量と滞留、あと光の反射と、
断熱層の位置および
その相関関係の問題です


グリーンランドなどの氷床の問題で言えば
氷の温度が0度近くになれば、勝手に藻が湧いて、
吸収率が上がって氷が溶けるということも
最近分かってきました。

CO2は原因でなく結果にしか過ぎないというわけです

■その逆がスノーボールアースという訳です。
2011年09月22日
スノーボールアース?!!


人類の活動が本当に温暖化を起こすのかどうかは
まださっぱり分かりません。
温暖化した現代よりも、
巨大な台風が戦後来襲していた事実もあります。


■結論的には未だ熱収支はよくわかりません。
一方でCO2詐欺は、
人の熱量や温水、淡水利用が
温暖化に影響を及ぼすと仮定した
「タラレバ」に基づく熱量規制と、
擬似通貨を狙ったものだったと推測します。


■中印の発展はすなわち、
温暖化の賽の目が既に振られたことを意味します。
日本人が我慢しようがしまいが
結果が変わらない以上
我慢することが即ち敗北です。


■一言で言えば、人の手で温暖化が始まっていたとすれば、
もう手遅れです^^;温暖化が温暖化を促進する訳ですからね。

そして言える事は
人が活動することによる淡水利用と
水を通じた熱交換が、CO2なんかよりもよほどやばいということです。

(大)アラル海の消滅」なんかが代表例ですよね。

そういう意味では、日本人は十分に
自らを律している訳であり、これ以上
マスコミの馬鹿話に載って萎縮していても
百害あって一利もないわけです。


カッコつけて衰退するのに
何のメリットもありませんが、衰退したいという意思を国民の
大部分が持つのであれば、
それを実現するのが民主主義であり
実際そうなってるような気がします。

衰退敗北奴隷主義は
思ったより日本を包み込んでいるのかもしれませんね
Posted at 2012/10/24 23:30:27 | コメント(0) | トラックバック(1) | 温暖化 | 日記
2012年10月24日 イイね!

洞爺丸台風の異常性【最盛期=洞爺丸撃沈時】

■洞爺丸台風はやはり異常な台風ではあります。
速度もさることながら、
最盛期はまさに洞爺丸を撃沈した折の気圧なんですよね。

■急減速のグラフがこれ


■経路と最低気圧がこれ


最低気圧は956ヘクトパスカル






■厳密にいえば洞爺丸台風は再発達ではなく
「発達」したんです

こんな台風はいまだそれ以降、
知る限りでは存在すらしていません。

■日本近海で発達し、日本海でさらに発達
マスコミ的論法でいえば、
CO2増加に伴う温暖化の弊害が
約60年前に発生していた事
になります。

■温暖化「詐欺」のせいで過去に見られた
強力な台風災害が無視されて、
毎年一個クラスが50年に一度と言われて
「地球は暖まって台風が巨大化」
「こんな台風は初めて」

と頭の悪い話が繰り返されてますが、
いい加減過去を見直して、未来の災害に
備えるべき時が来ています。

ま、様々な要因があって
(人為以上に自然も)それなりに温暖化問題は頭が痛い問題に
なりかねないのですが、

少なくとも、
台風の巨大化や異常化には
直接はあまり関係ない事は、
過去の巨大台風や
洞爺丸台風の異常性は
いい証拠となると思います


CO2を減らして全て解決するなら
人が活動しなきゃいい話で
殺人鬼はノーベル地球賞をもらえちゃうわけです。


その辺のからくりは、
最近大分明らかになりつつありますが、また、後日^^

■但し、最近偏西風の蛇行が目立ちますから
かつての様に巨大台風が来る可能性は高まってます。
温暖化とは別の要素でね。

洞爺丸台風は、その危険性を示してくれている様な気がします。
Posted at 2012/10/24 14:19:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 洞爺丸台風と再発達 | 日記
2012年10月23日 イイね!

【洞爺丸台風】風の特異点と、時速100km、気象図の関係

【追記】ちなみに次回予告は、
「異常台風としての洞爺丸台風」です。
洞爺丸台風の「一生」を探るとその異常性が際立ちます。【追記終】

気付くと…コメントしか返答してないです。
最近ズボらでごめんなさい^^;

****************************************
■洞爺丸台風は本当に面白い…。
いや、怪しい笑いが止まりません。

この芸術的な妖しさこそが、洞爺丸台風の魅力であり、魔力であり
洞爺丸を沈めた「本当の正体」です。

「天気図」と呼ばれる艦長の
「裏の裏の裏をかく」この要素が

出航できない青函連絡船の船長を
「危険な賭け」に
駆り出させました。

■そういう意味では、呼び水を頂いた
猛走峠さんには本当に感謝で、
PDCA、PDAC………
どーでもいいや、と酔っ払ったのがうまく作用したのかどうか。
(あのエントリーは微妙に際どい事を書いてる?様な…)

***********************************************
■もちろん先のエントリーの連絡船の大きさも関係するのですが


■洞爺丸台風の場合には偶然がいくつも重なったために起きた

「複合災害」です。
多分もう二度と起きないと思います


■その秘密は、弘(2型)さんのコメント
110kmと言う速度が異常ですよね」
ここにあります。

*******************************************
■何故110キロまで加速したのか?
(普通60~70kmぐらいが限界)
それは高気圧が台風を取り囲んで
ただ1点を除いて

偏西風の出口が無くなった
ことが要因です。

■台風17号の時を思い出して下さい。

2012年09月28日
【秋台風の不思議】秋が導く台風の道【気象の不思議なメカニズム】

はるか南方から、エネルギーの巨大な流路が出現し、
台風が加速しましたよね?





**********************************************
■では、洞爺丸台風の場合どうだったのか??
何故台風は加速出来たのか?

たった1枚の天気図はこれだけの事を物語っています。


台風17号(今年)と同じ
偏西風の大蛇行があった訳です
掃除機のパイプの様に加速した訳です。


***********************************
■洞爺丸台風の実際の経路を見てみましょう

天気図の通り台風は行動しています。

■一方今回の台風17号は?
ほうらそっくり9/27前後ですよね。
やっぱり洞爺丸台風はCO2のせいだよね?(ウソ)

古舘に報告だ!!!



*********************************************
■次に台風の進路と風速の関係。
台風は反時計回りです。スピードが上がると
地上から見ると、進行方向によって
風の強さが変わります。


■洞爺丸艦長は、北西で風が弱まったと言う事は


今回の台風17号の様な針路をとった、
という判断をしてしまいます。
微妙に15時以降東に進路をとった、と判断した訳です。
(誤差の範囲内です)。

****************************************************
■しかし実際に通過したのは
…疑似眼でした
…。



■その南西域には
「超暴風域」を伴った疑似眼です
出口が狭くなった事で
風力発電で話題の、
風のレンズ「集風」が発生しました。




(参考:九州台集風レンズの論文)



***************************************
■ここにもう一つのからくりがあります。
恐らく午後4時の気象通報で、
船長は天気図を書いた筈です。
その折の気圧は、午後0時のデータとなります。


NHKのラジオ第2放送では1日3回、6時、12時、18時(日本時間。以下、全て24時間表記)の天気を放送する
NHKラジオ第2放送で放送されている。
9:10 - 9:30(6時発表分)
16:00 - 16:20(12時発表分)
22:00 - 22:20(18時発表分)
 


その時には新潟沖にいたデータでの判断です。


私達は後追いだから、経路を知ってます。
でも、普通に自然に偏西風の影響を考えると、常識的にはこうなる筈です。


【追記いわゆる台風の代表経路】

【追記終】

今みたいに「雨雲レーダーや衛星写真」が
インターネットで見れる訳はないのです。


2012年10月22日
洞爺丸台風におけるベクトル変化と閉そく低気圧


>洞爺丸船長は、上記の台風の急速北上と突然の減速とを理解できなかったことに加えて、 午後5時過ぎに現れた函館市近傍の無風晴天と気圧の変動状態から、 台風の目が通過したと考えた。実際、目的地の青森の天候も比較的穏やかであった。 しかし、函館港の中では南南西の10m/s程の弱い風であったが、 防波堤の出側では、20m/sを超える突風が吹いていた。 船長は、台風の目が東側に去ったのだから、今度は風向きが陸から吹く風に変わり、 また風も弱まり航海に支障がなくなるはずである、という判断のもとに、 午後6時39分に1,220人の乗客、111人の乗組員、41人の公務職員、計1,331名を乗せて、 桟橋を出航した。


この表現に
恐ろしい誤解が隠されています。
唯一の異常は、南南西の風です


時速110kmが、台風の吹き戻しを相殺した、という
誤解が艦長の判断を狂わせます。


実際に迫っていたのは「超暴風域」でした。


**************************************
■しかも…閉塞低気圧化に伴う
台風の再発達が始まっていて
速度は大きく低下していました…
偏西風の蛇行によって
進路は西に大きくそれていました。
進路が曲がったのは最新の情報がない
13時から15時の間です。




*******************************************
■さあ、悪魔の条件が固まりました

疑似眼の通過(風向きの変化)
微妙な針路の変更
集風効果による、「超暴風域」の形成


■そして函館は唯一南西には何も
遮るものがないのです。



■風の特異点が、いきなり、洞爺丸を襲います。


円弧状の暴風が吹き荒れます。


■しかし12時以降の詳細気象情報は、午後9時の気象通報まで入りません。
かくなる上は停船して様子を見るべきでしょう。
ところが、台風は減速して再発達中です。


ここは猛走峠さんも指摘した点ですが、
洞爺丸を過信していたなら
実は湾内に停泊せずに、青森を目指した筈です。
そうすれば沈没しない可能性があった。

洞爺丸船長は、
洞爺丸を過信すべきでした
過信せずに、台風の通過を見込んで、
待機したのが命取りでした…


台風は船長の経験と、慎重と、技量を
「全て」逆手にとって、洞爺丸を沈めてしまった訳
です。


*********************************************
■結局は大川小の津波と同じで
2012年09月23日
【10m津波から5分】津波警報的無理ゲー【気象庁の責任】


そこにあったのは人知を超える事態と
偶然*偶然の恐ろしさです。
当時の情報量や気象技術を考えれば
洞爺丸船長の判断は、至極真っ当であり、
注目はされたものの
そのメカニズムの解明には、50年近くの歳月を要し
洞爺丸船長は「己を過信した馬鹿船長」
とみなされている事実があると言えると思います。


■山を通じて、気象を知っていて、
気象図を書いた経験があり、
そういう条件があるから
私は幸いに理解ができます。

ですが理解できない人の方が多い訳で、
洞爺丸船長は、
台風の眼を勘違いした馬鹿ヤローにされてしまいました。

馬鹿野郎は実際には船長を馬鹿にしている私達
と言う訳です。


その不自然さを、見事に見抜いた猛走峠さんは
正直凄いなと思うのでした。
Posted at 2012/10/23 19:45:44 | コメント(0) | トラックバック(1) | 気象を科学しよう | 日記

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「サイトカインによる死者続出とか結構共通点があるんだよね。GIGAZINE人類史上最悪の伝染病「1918年インフルエンザ」に関する10の誤解
https://gigazine.net/news/20200330-10-misconceptions-about-1918-flu/
何シテル?   04/01 12:44
chocovanilla改め「ちょこば」です。(短くしただけ) チョコラ+バニラの二匹が発祥だが彼らは登場しません。ドライブブログかなと思っていたのですが、原...
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