■昔々、それこそ古事記の時代、
宇の一族と言う物がいたのではないか?という説があります。
■宇治、宇部、宇佐、宇美、宇のつく港町は本当に沢山あります。
え、宇治は違う?とんでもない。
宇治の周りには昔、巨椋池と言う巨大な湖があり、
木津川をへて京都と大阪湾を船で出る事が出来たんです。
■そしてウサギを祭る宇治神社。
この神社は、兄である仁徳天皇に位を譲り
黄泉に旅立ったという、「宇治天皇」を祭る神社でもあります。
その木津川の上流には、宇陀があり、
そしてそこは古代の水銀鉱山。
■更に水銀と言えば朱色。
そう鳥居も赤いですよね。
「宇」の一族が消え去った後、
■宇佐八幡宮は生き残り、
そしてもう一つお稲荷さんの信仰が生まれます。
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■もう一つの謎「前方後方墳」
三角縁神獣鏡との関連がある
不思議な古墳です。
■しかも、その前方後方墳は初期において
卑弥呼の墓とされる箸墓古墳などとの
「相似」が指摘されています。
更に今回その元稲荷古墳が
西求女塚古墳にそっくりである事が分かりました。
■さて、これまで前方後方墳は、前方後円墳に対抗するもの
として誤解されてきた節があります。
誤解の一例
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■前方後円墳の陰に隠れていたとも言えるでしょう。
■
ところが研究が進むにすれ、「初期の前方後方墳」には
「卑弥呼の墓」とも言われる箸墓古墳に共通する特徴が
次々と現れ出します。
それはサイズの相似性です。
そして、三角縁神獣鏡との関連もあるのです。
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■その為一般的には前方後方墳は
箸墓を支えた有力氏族のお墓だと言えます。
■ちなみに吉野ヶ里にも前方後方墳が出ます。

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■ここから導き出される事は、3世紀には機内政権は恐らく
既に力を持っていて、そして機内政権を支えた一族がいた
≒前方後方墳と言う方が合理的だと言えると思います。
そしてそれは国譲りの神話にもちょっと通じるところがあるんですよね。
■前方後方墳と、三角縁神獣鏡と、そして箸墓のミニチュア的寸法。
対峙者ではなく、同盟者であり協力者であった、
これが歴史が積み重ねたどうやら答えと言えそうです。
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そして三角縁神獣鏡が初期の王権との距離をあらわすとすれば
そこに現れるのは毛野国と越国の存在であり後は鹿児島隼人の存在です。
うっすらと分かるのはこれらは鏡をもらう事をせず
独立した勢力であったと言う事です。
その後の前方後方墳を見ると
毛野国が占領され、その占領した勢力の一部は
前方後方墳の一族であったと言う推論が成り立ちます。
■そこに浮かび上がるのは
鹿島神宮と、建御雷神、そして香取神宮と
経津主神(ふつぬしのかみ)ちなみに建御雷神には、諏訪に建御名方神を追い詰めた伝説があり
>これを恐れて逃げ出し、科野国の州羽(すわ)の海(諏訪湖)まで追いつめられた。建御雷神が建御名方神を殺そうとしたとき、
建御名方神は「もうこの地から出ないから殺さないでくれ」と言い、服従した。
そしてその近くの松本には弘法山と言う前方後方墳が出現していたりします。
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■このように
奇妙な事に前方後方墳は「軍神」と極めて
相似の関係にあります。
■そして、神から人に移ると、そこには対になる様に、「日本尊」
そして仲哀天皇、神功皇后の、宇美からの朝鮮遠征の話となり
更には、応神を経て、秦氏の来日があり、
宇治天皇仁徳の、位譲りの物語
更には、雄略等(武?)の、南朝に今度は倭国王の使節が現れ
朝鮮の支配を行っていた事が描かれ出します。
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■ここからは想像です。
(不尊である可能性がありますからね)
前方後方墳が、
もしも人としての軍神
「日本尊」に関るとすれば、熊襲、そして出雲、関東の制覇
に関った事になります。そして一度は政権を取った、のかもしれません。
仲哀天皇はその日本尊の息子です。
神功皇后がその妃、ではなく、神功皇后こそが大和政権で
軍神と、女系の大和政権の合同と捉えると、
九州、そして朝鮮の遠征と、仲哀朝の断絶、応神朝の成立
宇治天皇~仁徳天皇の国譲り
そういった物も特段おかしくはない、のかもしれません。
(神功皇后に朝鮮の血がとかのたまうアホが
いるがその存在は無視する)
後に神功皇后の出とされた息長の血は大変に尊重され
その血がどぎつくインブリードされた存在が
聖徳太子(ウマヤドの王子)、とも言われています。
【追記】↑寝ぼけてる、厨さんは、用明&異母兄弟婚の
超強力蘇我氏インブリード(さらに両名の母親は蘇我氏の姉妹)
息長さんが再び大事になるのは
聖徳太子ではなく天智天武朝においてです
正統派付けに利用されたのかもしれません。
【追記おしまい】
息長と、北陸系の王朝とのかかわりは継体朝の
成立にも大きく関ったともされています。
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■尚、あえて半島の血縁を入れ、その上で支配権を主張する
と言うのは、古代における一つの方法論であって
朝鮮の主張が仮に正しくとも
たかが数分の一で、朝鮮人になる訳ではありません。
どうも古墳時代の初期には、女王の時代が存在した事と
その血が極めて尊重された事、統一に協力した
軍神がいた事
それらはまさに神話であり、国づくりの過程であり、それらは
やがて、欽明朝以降の、日本の確固たる天皇制へと
続いていきます。
つまりは征服王朝、と言う事ではなく、
恐らく女系の王権が初期には存在し
そこに軍神が関わることで、日本の統一が促進した。
その話は不思議と卑弥呼と矛盾する話ではありません。
そしてその流れは推古朝や斉明朝など飛鳥、奈良時代まで
一つの伝統として残っていきます。
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■そして聖徳太子?の日のいづる国で有名な遣隋使によって
日本は中国との対等を確保します。
今後も古墳の研究等が進むことで、
日本の統一国家としての成立が
極めて早かった事が明らかになっていくと思います。
いや応神朝は征服王朝ニダなどと言う声もありますが
文化の圧倒的な変化はこの時代でもありません。
逆に前方後円墳が巨大化し、やがて
時代が下がってから、朝鮮に似た様な古墳が出現します。
大体、古墳時代においても勾玉が廃れなかった、
これだけでも、文化の継続が為された=
征服王朝など妄想だ、と言えると思います。
■ただ、「この時代の」天皇陛下のお血筋は、
必ずしも男系の万世一統である必要はないと思います。
欽明天皇の御代からでも十分に世界最古です。
そしてそれ以前に女系を通じての血の伝承があったとしても
日本の神話に何ら矛盾する所はありません。
日本において最高神は天照大御神であり、国体の安定と
制度の拡充後、男系に移行したとしても
別に何ら困る事も不思議もない、と私は考えます。
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■このように歴史には沢山のIFがありますが
状況証拠を並べていけば、敗北史観の古代史が
如何におかしいか分かります。
さすがに2600年と言われると、ちょっとそれは^^;と思いますが
最低でも1500年以上の、万世一統の血の歴史があり、
それ以前も男系に危うきが生じた時は女系を用いたとしても
何ら恥じる事はない訳で
その皇室をとにかく絶やさないようにする事は
国民の大きな義務だと思います。