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ちょこば(旧chocovanilla)のブログ一覧

2012年03月29日 イイね!

チェルノブイリフォーラムのページを特集するその3【3.5. 水相系における放射性核種 】

■水系における沈澱を利用せよ、という意見は
私が大声で叫ばずとも、
既にIAEAによっても取り上げられていた事が分かる。

問題は、知っているはずの人間たちが何も
口を開かない事にある。
短期的な水道での汚染の上昇、
コロイドなどを通じた沈殿物の有害性と移動


またキエフ貯水池における汚染と沈澱がやはり予想通り記載されている。
また沈澱過程を経ずに直接太平洋を汚染した訳で、
チェルノブイリでは影響がほとんどなかった(淡水系の影響が大きかった)
その辺りを比較すると、、太平洋への海水汚染は、
それ自体は恐ろしい事でもあるが、太平洋であったが故に希釈され
底生魚を除いては比較的早く回復することを示す







*****************************

ただ一つの懸念は
>小さな集水域では[3.67, 3.112, 3.113]、高い有機土壌(特に飽和した泥炭土壌)が、一部の鉱物土壌と比較して、最大1桁多くの放射性セシウムを方面水に放出する。したがって、集水域に広い湿潤な有機土壌の地域を持つフィンランドの河川は、集水域で鉱物土壌が多い河川よりも(放射能沈降の単位ごとに)高い放射能濃度を示している

日本の短く有機に飛んだ湿潤な水系は、
やや高い放射能濃度を反映するだろうという事である
特に水源におけるセシウム除去に失敗し、
その多くが腐葉土に含まれたため、ダムの少ない水系では
セシウムにおける環境半減期が大きく延長されると予測される。

■しかしこれらの未来はチェルノブイリのフォーラムで
すでに有識者によって討議されていた事である事が大きい。
こう言った当たり前の知識や情報が
マスコミによって報道されなかった事は、
事故の実態の隠蔽よりも罪深いことだと思う。

■あえて言えば、すでに短期崩壊核種は崩壊済みである。
3月15~21日、そして影響が出た、
3月~4月いっぱいにかけての
呼吸管理、飲水管理、食事管理、ここが肝であったと思われる。
「この時期に無防備だった人間」については
残念ながら今更気をつけてもという感は否めない。

また、放射性物質の崩壊はラジカルを生むから
ラジカル関係でアレルギーを起こした人間は
他の人からはほとんど理解されない、
体調不良に苦しむ事になると予想される。


以上私見です。
では以下引用部、重要部太字
***************************************
3.5.1 序論
 チェルノブイリからの放射性物質はヨーロッパの多くの地域で表面水系に影響を及ぼした。しかしながら、放射能降下の大部分はPripyat川の集水域に沈降した。この集水域は、ヨーロッパ最大の表面水系の一つであるドニエプル河貯水系の重要な構成要素をなす[3.13]。このため、事故後、黒海に至るおよそ1000kmの距離をカバーする貯水池のドニエプルカスケードに沿った地域での、上水道の汚染についての特別な懸念が生じた(図3.6-3.9を見よ)。ライン川やダニューブ河といったヨーロッパの他の大水系もまたフォールアウトの影響を被ったが、こうした河川での汚染レベルは放射線学的に重大な物ではなかった[3.5, 3.6]。
 ベラルーシ、ロシア連邦、およびウクライナの一部における河川水の当初の放射性核種濃度は、他のヨーロッパの河川、および飲料水中の放射性核種に関する安全基準双方と比較して有意に高かった。汚染は河川表面への直接の降下と集水域からの汚染の流出とに起因するものであった。事故後最初の数週間に、短寿命同位体の物理的崩壊と集水域土壌や水底沈殿物への放射性核種の吸収によって、河川水中の放射能濃度は急速に低下した。より長期間について見ると、長寿命の137Csや90Srが水相生態系の汚染の主要成分となった。河川中のこれら放射性核種のレベルは当初のピーク以後は低いものであったにも関わらず、Pripyat川の氾濫の際の放射能濃度の一時的上昇がドニエプルカスケードからの水を利用する地域で深刻な懸念を招いた。

 池や貯水池は水表面への降下と周辺集水地域からの放射性核種の移行とによって汚染された。水中の放射能濃度は、水の大量の流入や流出を伴う貯水池や湖(開放湖系)では速やかに低下した。しかしながら、中には、集水域の有機土壌からの流入のために放射性セシウムの活量濃度が相対的に高いままとどまったものもあった。これに加え、閉湖系(すなわち、ほとんど水の流入や流出がない湖)における放射性セシウムの内部循環によって、その水や水中生命相に、開湖や河川に通常見られるよりも非常に高い放射能濃度が生じた。

 放射性核種(特に放射性セシウム)の魚類中への生物濃縮によって、ケースによっては、消費許可レベルより相当高い放射能濃度が(最大被害地域および西ヨーロッパで)引き起こされた[3.89-3.94]。ベラルーシ、ロシア連邦およびウクライナのいくつかの湖では、こうした問題が現在まで継続しており、また予測可能な将来まで継続するかもしれない。汚染地域の多くの住民にとって淡水魚は重要な食料源であった。ウクライナのドニエプルカスケードにおいては、商業的水産業が年20,000トン以上の魚を収穫する。西ヨーロッパのいくつかの地域、特にスカンジナビアの一部では、魚類中の放射性セシウム活量濃度がいまだに相対的に高い[3.95]。

 チェルノブイリにもっとも近い海洋システムは黒海とバルト海で--双方とも現場から数百キロ離れている。これらの海の水および魚中の放射能はチェルノブイリ事故後集中的に調査された。こうした海への平均沈降量は相対的に低い物であったため、そして海洋システム中での大きな希釈によって、放射能濃度は淡水システムにおけるよりかなり低かった。

3.5.2 表面水中の放射性核種


3.5.2.1. 溶解相と粒子相間での放射性核種の分布

 集水土壌や河川および湖の堆積物による放射性核種沈降物の保持がその後の水相系への移行を決定するのに重要な役割を果たした。浮遊粒子に吸収された放射性核種の割合(表面水によって相当変化する)がその輸送と生物濃縮とに強い影響を与えた。ほとんどの90Srが溶解相で存在する(0.05-5%が固体相)が、近隣区域ではストロンチウム降下の大きな割合が燃料粒子の形態であった。CEZの土壌は90Srにによって重度に汚染されており(図7.7を見よ)、その一部は、低地エリアが浸水した洪水発生中に洗い出された。

 Pripyat川では、事故後最初の10年間におよそ40-60%の放射性セシウムが粒子相で[3.97]あったが、他のシステムでの推計[3.98]では、浮遊粒子の構成や濃度および水の化学的性質に応じて、4%から80%まで変化した。密粘土や沈泥粒子は、他のより大きく、反応性の小さい砂粒子より、効率的に放射性セシウムを吸収する。原子炉近くでさえ、砂状の河床は相対的にあまり汚染されなかったが、密粒子は放射性セシウムを相対的に長い距離輸送した。キエフ貯水池の深部への密粒子の沈下によって、湖底沈殿物の高レベルの汚染が生じた

 Pripyat川の水における溶解相と粒子層との間の放射性核種の配分の測定によって、浮遊粒子への吸収の強度が90Sr、137Cs、超ウラン元素(239, 240Pu, 241Am)の順に増加することが示された[3.100]。自然の有機コロイドが表面水中の、そして汚染土壌からの移送される際の、超ウラン元素の安定性を決定する。こうしたコロイドは、137Csと比べると、90Srに対して効果が小さい[3.101]。

 一般的に海洋システムでは、低い粒子吸収能と高い競合イオン濃度(すなわち高塩分濃度)によって、淡水中と比較した場合、放射性核種の粒子吸収があまり重要ではないものとなる。チェルノブイリ事故後のバルト海では、粒子に結合していた137Csは10%以下で、吸収された粒子の平均割合はおよび1%であった[3.102, 3.103]。黒海では137Csの粒子結合割合は3%以下であった[3.96]。

3.5.2.2. 河川中の放射能

 チェルノブイリ付近の河川(Pripyat, Teterev, IrpenおよびDrieper川)における当初の放射能濃度は主に河川表面への放射能の直接の沈降によるものであった。放射性核種の最高濃度はチェルノブイリのPripyat川で観測されたが、そこでは131I放射能濃度は4440Bq/Lまで達した(表3.7)。あらゆる水塊で、放射能レベルは、短寿命同位体の崩壊と核種の集水域土壌や河床堆積物への吸収によって、最初の数週間で急速に低下した

 フォールアウトが生じて以後より長い期間にかけては、集水域の土壌中に貯留された長寿命の90Srと137Csが、土壌粒子の浸食や土壌からの脱着によって河川の水にゆっくりと移行する。移行率は土壌浸食の程度、集水域土壌への放射性核種の結合強度、そして土柱への下降に左右される。チェルノブイリ近くのPripyat川の水における90Srおよび137Cs放射能濃度の時系列の一例を図3.45に示す。

 チェルノブイリ事故後、立ち入り禁止区域内および主要河川沿いに、放射能濃度とそのトータルの流量を割り出すために、水の監視所が設置された。こうした監視所での測定結果によって、90Srや137CsのCEZ内への流量やCEZから外への流量の推測が可能になった。137Csの移動は時間とともに目立って低下し、CEZの上流から下流に至るまで相対的に非常に小さな変化しか見られていない(図3.46(a)を見よ)。

 これと対照的に、90Srの境界を越えての移動は、Pripyat川堤防沿いの年間洪水量に依存して、年ごとに大きく変動した。CEZからの大きな流量も存在し--区域から下流への流量の方が、上流への流量よりも非常に大きかった。しかしながら、河川システムによる放射性核種のウォッシュアウトの量は、集水域地域に含まれる総量全体においては非常に小さいパーセンテージに過ぎないものであることに注意しておこう

 90Srおよび137Csの放射能濃度の低下は、チェルノブイリ近隣の様々な河川および西ヨーロッパの河川において、同じような速さで生じた[3.108]。様々なヨーロッパの河川での137Cs放射能測定結果は(図3.47)、降下物の差違が考慮されたとしても、およそ30倍の範囲を示している。小さな集水域では[3.67, 3.112, 3.113]、高い有機土壌(特に飽和した泥炭土壌)が、一部の鉱物土壌と比較して、最大1桁多くの放射性セシウムを方面水に放出する。したがって、集水域に広い湿潤な有機土壌の地域を持つフィンランドの河川は、集水域で鉱物土壌が多い河川よりも(放射能沈降の単位ごとに)高い放射能濃度を示している[3.109, 3.111]。




3.5.2.3. 湖および貯水池における放射能


 ベラルーシ、ロシア連邦およびウクライナの被害地域において、多数の湖が放射性核種によって著しく汚染された。多くの湖で放射性核種はフォールアウトが発生した後最初の数日から数週の間に湖水全般に混和された。しかしながら、チューリッヒ湖(平均水深143m)のような深い湖では、垂直方向の完全な混和が生じるのに数ヶ月かかった[3.114]。北ヨーロッパにおけるいくつかの地域では、湖は事故当時氷に覆われており、湖水中の最大放射能濃度は氷が融解した後に観測された。

 湖あるいは貯水池に沈降した放射性核種は、水の流出を通じてやや河床堆積物への移行によって除去された。河川においてと同様に、湖の放射性セシウム活量濃度は、フォールアウト後最初の数週から数ヶ月の間に相対的には急速に低下した。これにつづいて、放射性セシウムが集水域土壌や湖の堆積物により強く吸収され、そして土壌や堆積物中のより深い層に移動するにともなって、数年にわたるより遅い低下が生じた。図3.48は、ドイツの浅い湖であるVorses湖からの測定結果を用いた、137Cs放射能濃度の経時的な変化を示している。

 湖への流入は、汚染された集水土壌からの放射性核種の移行からも生じる。より長期間(第二相)でいうと、Vorsee湖の137Cs放射能濃度は、集水域の有機土壌からの137Csの流入や河床堆積物からの再移動のために、Vorsee湖の137Cs放射能濃度は他の多くの湖よりもかなり高いものにとどまった。Devoke湖(英国)では、有機集水土壌から流入する放射性セシウムによって、湖水中の放射能濃度が、鉱物集水域の近隣の湖とよりおよそ1桁高い値を維持した[3.112]。いくつかのケースでは、西ヨーロッパの有機的集水域をもつ湖における水および魚中の放射能濃度が、ベラルーシおよびウクライナのより高度に汚染された湖と近い値を示した

 長期的な汚染は河床堆積物からの放射性核種の再移動によっても生じうる[3.115]。水の大きな表面流入も流出も持たないいくつかの浅い湖では、河床堆積物が水中の放射性核種活量濃度を制御するのに主要な役割を果たした。こうした湖は「閉」湖と呼ばれてきた[3.105, 3.116]。チェルノブイリ被害地域においてさらに高度に汚染された水塊はCEZ内のPripyat氾濫原のいくつかの閉湖であった。1991年の間にこれらn湖における137Cs放射能濃度は最大74Bq/L(Glubokoye湖)であり、90Sr放射能濃度は、調査された17の水塊のうちの6つで100から370Bq/Lの間であった[3.105]。事故17年経過したが、CEZ内[3.117]でも原子炉から非常に離れた場所でも、閉湖においてはいまだに相対的に高い放射能濃度が見られる。例えば、1996年、ロシア連邦のBryansk地域にあるKozhanovskoe湖およびSvyatoe湖(チェルノブイリからおよそ200km)は、0.6-1.5Bq/Lの90Srおよび10-20Bq/Lの137Csを含んでいた(図3.49)。これら閉湖における堆積物からの再移動のせいで、水中の放射能濃度はチェルノブイリに近い多くの湖よりも高い[3.116]。137Csで11Bq/Lというロシアの介入レベルが比較のため示されている。

(a) チェルノブイリ冷却池

 チェルノブイリ冷却池はおよそ23km2の範囲を覆い、およそ149x106m3の水を含んでいる。この池は級チェルノブイリ原子力発電所とPripyat川の間に位置する。池中の放射性核種の総量は200TBq (訳80%が137Cs、10%が90Sr、10%が241Puで、238Pu、239Pu、240Puおよび241Amがそれぞれ0.5%以下)を超えており、深部の堆積物に放射能の大部分が含まれている。貯水池から地下水を通じてのPripyat川への90Srの年間の流入量は最近の研究で0.37TBq [3.120]と推定されている。これは近年のPripyat川への90Srの年間総流入量の、10-300倍小さいものである。したがって、冷却池はPripyat川の90Sr汚染の重大な源ではない。冷却池の水中の放射性核種活量濃度(図3.50)は現在低く、1-2Bq/Lである。137Cs濃度の季節性の変化は藻や植物性プランクトンの生物量によって生じる[3.121]。

(b) ドニエプルカスケードの貯水池

 貯水池のドニエプルカスケードは、大気からの降下物と汚染地域からの河川による流入とによって強く汚染された(図3.6を見よ)。137Csと90Srとの浮遊物質への親和性の差違が、ドニエプルシステムを通じたそれらの輸送を左右した。セシウム-137は粘土堆積物上に固定される傾向があり、それが、特にキエフ貯水池(図3.51)で、貯水池のより深い区域に沈降した。このプロセスのせいで、貯水池カスケードを通り抜けて137Csが流れることはほとんどなく、その結果黒海に流入する現在の濃度は背景レベルと区別できない。

 しかし、90Srの放射能濃度は放出源からの距離に応じて減少する(主に希釈によって)とはいえ、約40-60%がカスケードを通り抜け、黒海に届く。図3.52は事故以来のドニエプル貯水池における90Sr放射能濃度の年平均の動向を示している。137Csは貯水池システムの堆積物にトラップされているため、システムのより下流地域(Novaya Kakhovka)における放射能濃度は、キエフの貯水池(Vishgorod)におけるものより数桁低い。これと対照的に、90Srは堆積物よって強くは結合されず、河川-貯水池システムの下流における放射能濃度は、キエフの貯水池において測定された物と同じようなものである。

 ドニエプルカスケードの貯水池における90Sr放射能濃度の最大値(図3.52)は、CEZのもっとも汚染された氾濫原の洪水によって引き起こされた。例えば、1990-1991年の冬に川が凍りでせき止められたことで生じたPripyat川の洪水は、このシステムの90Srの重大な一時的増加を招いたが、137Csレベルには大きく影響しなかった。川水中の90Sr放射能濃度は8から10日間にわたって1から8Bq/Lに増加した[3.105]。同様の出来事が1994年冬の構図の間、1993年7月の夏の降雨の間、そして1999年の春の大きな洪水の間にに生じた[3.122]。

(c) 集水域土壌からの放射性各種流出

 少量の放射性核種が土壌から浸食され河川、湖、そして最後には海洋システムに移行した。こうした移行は表面土壌粒子の浸食や溶解状態での流出によって生じた。核実験やチェルノブイリの河川中90Srの調査[3.109、3.110、3.123、3.124]は、河川の陸上環境からは約1-2%/年あるいはそれ以下の長期的な喪失率を示唆している。したがって、長期的に見ると、放射性核種の流出は河川および湖系の(低レベルの)持続的汚染を招くものの、他方でその流出が陸上システムの放射能の量を有意に低下させることはない。

3.5.2.4. 淡水堆積物中の放射性核種

 河床堆積物は放射性核種の重要な長期的貯蔵庫である。放射性核種は湖中の浮遊粒子に付着しうるが、それがその後降下し河床堆積物に定着する。湖水中の放射性核種はまた河床堆積物まで拡散しうる。湖水からの放射性核種除去のこうしたプロセスは、湖あるいは貯水池の「セルフクリーニング」と呼ばれてきた。

 チェルノブイリ冷却池において事故のおよそ一ヶ月後にはほとんどの放射性核種が湖底堆積物中に見出された[3.91, 3.97]。長期的には、湖中の放射性セシウムのおよそ99%が、通常は湖底堆積物中に見出された。Svyatoe湖(ベラルーシのKostiukovichy地区)での1997年の測定では、3 x 109Bqの137Csが水中にあり、2.5 x 1011Bqが堆積物中にあった[3.125]。ロシア連邦のKozhanovskoe湖では、1993-1994年に、放射性セシウムのおよそ90%が湖底堆積物中に見出された。

 急速に蓄積したキエフの貯水池の堆積物においては、最大の放射性セシウム濃度の層は、今や堆積物表面の数十センチメートル下に埋まっている(図3.53)。しかしながら、よりゆっくり蓄積する堆積物においては、放射性セシウム放射能濃度のピークは堆積物表面近くにとどまっている。1988年と1993年の堆積物層の汚染のピークは、夏期の高度の降雨の夥しい流入と土壌浸食の結果を反映している。

 チェルノブイリ近くでは、沈降した放射性物質の高割合が燃料粒子の形であった(セクション3.1を見よ)。燃料粒子として沈降した放射性核種は一般的に、溶解形式で沈降したものより動きにくい。1993年にGlubokoye湖の堆積物中では、ほとんどの燃料粒子が堆積物の表面5cm以内に残っていた[3.126]。湖堆積物中での燃料粒子の崩壊は土壌中と比較して非常に遅かった。冷却池中の調査によれば、堆積物中の燃料粒子の半減期はおよそ30年であり、このため2056年(チェルノブイリ事故後70年)までに、冷却池に燃料粒子として沈降した放射性物質の1/4が、まだ燃料粒子の形で残ることになるだろう。




3.5.3. 淡水魚への放射性核種の取り込み


 淡水魚の消費は、放射性核種の人間への移行の水経路の重要部である。放射性核種の魚への移行は多くの国で研究されているが、ここでは注意の大部分はベラルーシ、ロシア連邦およびウクライナにフォーカスされる。これらの地域での水塊のより高度の汚染ゆえである。


3.5.3.1 淡水魚におけるヨウ素-131

魚類中の131Iに関しては限られたデータしかない。キエフ貯水池ではヨウ素-131は魚類に急速に吸収され、1986年5月はじめに魚類中の最高濃度が観測された[3.91]。魚の筋肉中の放射能濃度は1986年5月1日の6000Bq/kg性体重前後から、1986年6月20日の50Bq/kg生態十まで低下した。これは131Iの物理的崩壊の速度に近い低減率を表現している。速い物理的崩壊ゆえに、魚類中の131I放射能濃度は、事故数ヶ月後には重要なものでなくなった。



3.5.3.2 魚類および他の水生生物相中のセシウム-137


 チェルノブイリ事故に続く年月に、淡水魚中の放射性セシウム汚染のレベルに関する多くの研究がなされた。放射性セシウムの高い生物濃縮係数の結果として、いくつかの地域では、水中の放射性セシウムレベルが低いにも関わらず、魚類の汚染が続いた。小型魚への放射性セシウムの取り込みは相対的に急速で、最高濃度は事故後2~3週で観察された[3.93, 3.95]。大型の捕食性の魚(カワカマスやウナギ)における放射性セシウムの遅い取り込み速度に起因して、最高放射能濃度はフォールアウトイベントの6から12ヶ月後になって観察された[3.93, 3.127] (図3.48)。

 チェルノブイリ冷却池では、コイやヘダイ、パーチおよびパイクの137Cs放射能濃度が1986年には100 kBq/kg 生体重で、これが1990年に数十kBq/kgに [3.89, 3.91]、2001年には2-6 kBq/kg に低下した。チェルノブイリ原子力発電所近傍のいくつかの閉湖では[3.121]、事故15年後の捕食性の魚の137Cs放射能濃度は10-27 kBq/kg 生体重であった。事故後16年にわたる、2つの魚種での137Csの典型的な経時的変化が、図3.54に描かれる。

 キエフ貯水池では、魚類中の137Cs放射能濃度は0.6-1.6 kBq/kg 生体重 (1987年) および0.2-0.8 kBq/kg生体重 (1990-1995)であり、2002年に非捕食性の成魚で0.2kBq/kgあるいはそれ以下まで低下した。捕食性の魚種についての値は1987年に1-7kBq/kgであり、1990から1995年には0.2-1.2 kBq/kgであった[3.106]。

 チェルノブイリから約200km離れたロシア連邦のBryansk地域の湖では、多くの魚種中の137Cs放射能濃度は1990-1992年に0.2-19kBq/kg生体重の範囲で変化した [3.126, 3.150]。Kozhanovskoe湖(ロシア連邦のBryansk地区)やSvyatoe湖(ベラルーシのKostiukovichy地区)ような浅い閉湖では、魚類中の137Cs放射能濃度は、湖水中の137Cs放射能濃度の低下の遅さに起因して、河川や開湖系の魚に比べてゆっくりと下がった。

 西ヨーロッパででは、フィンランド、ノルウェーおよびスウェーデンの一部の湖が特に重度に汚染された。1987年にスウェーデンの約14,000の湖で魚類の137Cs放射能濃度が1500 Bq/kg 生体重(スウェーデンのガイドラインの値)を超えた[3.90]。ドイツのいくつかの高山湖では、カワカマスの137Cs放射能濃度がチェルノブイリ事故のすぐ後に5000 Bq/kg 生体重に達した[3.93]。英国湖水地方のDevoke湖は、1988年にパーチやブラウントラウトが1000 Bq/kg 生体重前後を含み、1993年の数百Bq/kgまでゆっくりと低下した [3.129]。

 魚類中の放射性セシウムの生物濃縮はいくつかの因子に左右される。セシウムとの化学的類似性ゆえに、湖あるいは河川中のカリウムの存在が魚類中の放射性セシウムの蓄積率に影響する[3.130]。核実験後[3.128, 3.130]とチェルノブイリ事故後[3.94]に、湖水中のカリウム濃度と魚類中の137Cs放射能濃度との間に強い逆比例関係が観察されている。長期的には、非捕食性の魚より捕食性の魚の放射能濃度が著しく高くなり、大型の魚は小型の魚より高い放射能濃度となる傾向がある。大型魚での高い放射能濃度は「サイズ効果」[3.127, 3.131]と呼ばれ、代謝および食事量の差違に起因するものである。加えて、より高齢で大型の魚は水中で若い小型の魚より高レベルの137Csに曝される。

 異なる魚種における放射性セシウムの生物濃縮の違いは、大きなものでありうる。例えば、ベラルーシのSvyatoe湖では、大型のパイクやパーチ(捕食性の魚)におけるレベルは、モロコのような非捕食性魚より5から10倍高かった。同様に、低カリウム濃度の湖での生物濃縮係数は、高カリウム濃度の湖におけるものより一桁高いものとなりうる。したがって、ベラルーシの農業地帯(そこではカリウム肥料からの流出が顕著であった)の湖で捕れた魚は、半自然地域の湖からn魚より低い生物濃縮係数を示した。

3.5.3.3. 淡水魚中のストロンチウム-90


ストロンチウムは、化学的および生物学的に、カルシウムと似た仕方で振る舞う。ストロンチウムは、低カルシウム(「軟」)水中で非常に強く生物濃縮される。相対的に低い90Srについての魚-水生物濃縮係数(102 L/kgのオーダー)と、この同位体の低い降下量は、魚類中の90Sr放射能濃度が通常は137Csのそれよりはるかに低いことを意味した。チェルノブイリ冷却池では、90Sr放射能濃度は1986年に2 kBq/kg (魚全体で)前後であり、他方で1993年に137Csは100kBq/kg前後であった[3.91]。2000年には、チェルノブイリ周辺のもっとも汚染された湖では、捕食性および非捕食性の魚の筋肉中の90Sr濃度は2から15 Bq/kg 生体重の間で変動した。2002から2003年に、ドニエプルカスケードの貯水池の魚における90Srは1-2 Bq/kgであり、チェルノブイリ前のレベルに近い。湛水中の軟体動物は魚類よりも顕著に高い90Srの生物濃縮を示すドニエプル川では、軟体動物はその組織中に魚類の筋肉よりもおよそ10倍多い90Srを含む[3.132]。同様に、90Srの魚の骨および皮膚への生物濃縮は、筋肉中と比較して、およそ10の係数で高い[3.130]。


3.5.4. 海洋生態系中の放射能


 原子炉にもっとも近い海が黒海(520km前後)およびバルト海(750km前後)であったため、海洋生態系はチェルノブイリからのフォールアウトによって重大な被害を受けなかった。こうした海の汚染の主な経路は大気からの降下で、事故後の何年にもわたって河川の輸送からより少ない流入も見られた。137Csの表面沈降量は黒海全体で2.8 PBq [3.96, 3.133]、バルト海全体で3.0 PBq [3.105]であった。


3.5.4.1. 海中の放射性核種の分布


 黒海表面への放射能降下は一様ではなく、主に1986年5月1から3日の間に発生した[3.105, 3.133]。黒海では表面水の137Cs濃度は、1986年の5~6月に15-500Bq/m3の間を変動した。1989年には、表面水の水平の混和によって、41-78 Bq/m3[3.105]という相対的に一様な濃度となり、これが2000年までに20から35 Bq/m3の間まで低下した[3.96]。

 セシウム同位体に加え、144Ceや106Ruといった短寿命放射性核種も観察された。チェルノブイリ沈降ぶつによる黒海の水中の137Csの総量は、大気中の核兵器実験からのグローバル・フォールアウトに由来する137Csの既存の総量を、およそ3100 TBqまで増加させた。チェルノブイリ以前の時期と比較して、90Srの量は19%増加し、約1760 TBqであると推定された [3.96, 3.105]。表面に沈降した放射能の垂直の混和もまた、フォールアウト後数ヶ月から数年にわたって水中で観測される最大濃度を低下させた。より深い水向けての放射能の除去は着実に黒海の表面(0-50m)層における137Cs放射能濃度を低下させた。黒海の海洋環境に関する現在の状況を、表3.8 [3.96] に示す。

 黒海の137Cs、90Srおよび239,240Puのかなりの割合がチェルノブイリ事故由来ではなく核兵器実験由来である。黒海への河川からの放射性核種流入は海水表面への大気からの直接の降下と比較すると重要性がかなり低かった。1986-2000年の期間に、137Csの河川からの流入は大気からの沈降の4-5%に過ぎなかった。とはいえ、90Srの河川からの流量はより重大で、大気沈降からの総入量のおよそ25%であった[3.96, 3.124]。バルト海についても、河川からの流入量は黒海と同様のレベルであり、137Csと90Srについて、大気降下のそれぞれおよそ4%、35%であった[3.135]。90Srの相対的により大きな河川流入は、集水域土壌および湖や河川堆積物へのその吸収が弱いことや、チェルノブイリ原子炉敷地から遠く離れた場所での(137Csと比較した場合に)90Srの大気からの降下量がより低いことに起因する。海洋環境での沈殿は、湛水環境においてと同様、水生態系の「自己純化」における重要なファクターである。しかしながら、黒海については沈殿率は相対的に低い[3.96]。

 図3.55に定時されたデータは、黒海の中央の深い海盆において、チェルノブイリの沈降物が、事故以来形成された1cm以下の層によってのみ覆われていることを示している。

 希釈と沈殿によって、137Cs濃度は速やかに下がり、1987年末の海水汚染を1986年夏に観察されたものより2から4倍低いものとした。参考文献[3.136]で推定された沈降以後当初の期間のバルト海での137Csの平均放射能濃度は約50 Bq/m3であり、海の一部の地域では2から4倍高い最大値が観察された。




3.5.4.2. 海生命相への放射性核種の移行


 海洋システムにおける放射性セシウムと放射性ストロンチウムの生物濃縮は、塩水中に競合イオンがはるかに多く含まれていたために、淡水におけるものより低かった。海洋システム中の137Csや90Srの低い生物濃縮、およびこれらのシステム中での高い希釈は、チェルノブイリ事故後の海洋生命相における放射能濃度が相対的に低いことを意味していた。表3.8は1998年から2001年の期間の、黒海の水および海洋生命相における137Cs, 90Srおよび239,241Puの例を示す。チェルノブイリ事故後の20年の間のバルト海の魚類の汚染に関する詳細なデータは参考文献[3.136]で入手できるが、それによれば多くの魚種において放射性セシウム汚染が相対的に低レベルで、ほとんどのケースで1995年に至るまでの期間、30-100 Bq/kgかあるいはそれ以下であった。


3.5.5. 地下水中の放射性核種


3.5.5.1. 地下水中の放射性核種。チェルノブイリ立入禁止区域

 被害地域の地下水のサンプル調査によって、放射性核種が表層土壌から地下水に移送されうることがわかった。しかしながら、ほとんどの地域(放射性廃棄物貯蔵所の区域とチェルノブイリシェルター工場地域を除いて)で地下水汚染のレベルは低い。さらに、土壌表面から地下水への移動率もまた非常に低い。CEZ内のいくつかの地域では、地形的に陥凹した場所で、相対的に速い放射性核種の帯水層への移行が見られ[3.137]。地下水の遅い流速と放射性核種の高い減速率のせいで、地下水中での放射性核種の水平方向への流動性もまた非常に低かった[3.138]。

 地下水の滞留時間が短寿命核種の物理的崩壊時間よりもはるかに長いため、短寿命放射性核種は地下水源に影響することはないと予測された。放射性核種の地下水への唯一の大きな移行は、CEZ内部で発生した。過去10年にいくつかの井戸で、137Cs放射能濃度は低下したが、90Srの濃度は浅部の地下水において上昇し続けた(図3.56)。放射性核種の地下水への以降はCEZ内の放射性廃棄物の処分所で発生した。事故後、FCMや放射性の瓦礫が一時的に発電所敷地およびPripyat川の氾濫原近くの地域に貯蔵された。これに加え、赤森からの木々が漏水処理なしの浅い溝に埋められた。これらの廃棄物処理用地において、地下水中の90Sr放射能濃度は、いくつかのケースで、1000 Bq/Lのオーダーである[3.140]。仮にこの地域に戻ったとして住民が地下水消費から受ける健康上のリスクは、しかしながら、外部被曝および食品摂取からの放射線線量と比較すると低い[3.138]。

 処分用地から放射性核種が敷地外に移送される可能性はあるものの、Bugaiら[3.138]は表面の沈降方謝意核種のウォッシュアウトと比較するとこれは重要な物にならないと結論づけた。研究によれば放射性核種の地下水の流れはPripyat川の方向を向いているが、放射性核種の移動率は非常に低く、ドニエプル貯水システムへの重大なリスクを提起してはいない。シェルター周囲の地下水汚染の敷地外への輸送も重要でない物と予測されている。シェルター内での放射能は地下水から5-6mの熱さの不飽和ゾーンで隔離されており、そして地下水の流速が非常に低いためである[3.138]。廃棄物処理用地から表面水塊への90Srの地表下における最大の輸送率は、事故後33から145年後に生じるだろう。上述の全ての源からの累積移送の最大値はおよそ100年に渡って130GBqと予測されており、汚染された集水域内の総量の0.02%/年である。300年の期間での放射性核種輸送の合計はBugaiら[3.138]によって15TBq、あるいは集水域内の放射性物質の当初の総量の3%と推定されている。

 チェルノブイリ冷却池の水位は、チェルノブイリ敷地周辺の地下水の流れを大きく左右する。現在、冷却池の水位は人為的に高く、Pripyat川における平均水位の6-7m上に保たれている。しかしながらこれは、チェルノブイリ原子力発電所の冷却システムが最終的に停止され、池への水のくみ上げが集結した時に変化する。池が乾くにつれ、堆積物は部分的に露出し散布される。最近の研究は、冷却池の修復のために最善の戦略は、ファイトレメディエーション技術を用いて二次的な風による再浮遊を防止するための限定された行動をとりつつ、水位が自然に低下するのを許すというものである[3.141]。

 冷却池の水位が川の水位レベルまで低下する時、それによってチェルノブイリ発電所敷地から川への地下水の流れの減少が生じる。これはまた、主要放射性廃棄物処理用地やシェルターからドニエプルカスケードへの放射性核種の流入を低減するだろう。チェルノブイリシェルターからPripyat川への90Srの地下水による流入は、シェルターの上に建設されるNSCについての環境影響アセスメントの枠組みにおいてモデル化された[3.142] (図3.58を見よ)。90SrがPripyat川に到達するまでにおよそ800年かかると予測されている。29.1年の半減期を考慮すると、この時間の間に90Srの活量は取るに足らないレベルまで低下するだろう。したがってシェルターからの90Srの浸透はPripyat川に有害な影響を引き起こさないだろう。セシウム-137は90Srよりはるかにゆっくり移動し、2000年後ですらそのプリュームはシェルターからたった200mのところにあると予測されている

 土壌マトリクスへの高い吸収のせいで、239Puは90Srあるいは137Csよりはるかに遅い速度で移動する。しかしながら、その半減期ははるかに長い(24,000年)。シェルターからPripyat川への地下水からの239Pu流入の最大量は2Bq/sになると予測されている。この流入が400 m3/sというPripyat川の平均排水量と混ざった場合、結果する河川中の239Pu濃度はたった0.005 Bq/m3となるだろうが、現在の239Puレベルは0.25Bq/m3である[3.142]。ウクライナでは、水中の239Puの規制限度は1 Bq/m3である。したがって、シェルターからの239Puの浸透は、NSCなしであってさえ、Pripyat川にいかなる有意味な影響も生じさせないであろう。


3.5.5.2. 地下水中の放射性核種。チェルノブイリ立入禁止区域の外

 (CEZを範囲をこえた)遠距離地域での地下水汚染についてのもっとも詳細な現在の研究[3.137, 3.143]は、当初の地表汚染から10年後、帯水層上端の地下水における137Csおよび90Srのレベルは、キエフ周辺で40-50 mBq/L、ロシア連邦のBryansk地域やベラルーシの汚染地域の大部分で20-50 Bq/Lであった。チェルノブイリ原子炉から遠く離れた(ベラルーシおよびロシア連邦の)これらの地域では、土壌の飽和帯における137Cs放射能濃度は、137Csの土壌沈降量と強く相関していた。研究された地域のほとんどで、地下水中の放射能濃度(137Csの土壌沈降量単位あたり)は多くの河川や湖システムにおいてよりもかなり低かった。全ての研究が、CEZ外の汚染地域における放射性核種濃度が水摂取の安全レベルを超えることはなかった、そして通常安全レベルより数桁下であったと報告している。

 核兵器事件からのフォールアウト後、デンマークの地下水中の90Srが表層の小川より10倍低いことが報告されている[3.144]。参考文献[3.144]も、チェルノブイリの事故後、小川には137Csの測定可能な量が存在したものの、地下水中の放射能濃度は検出限界を下回っていたことを明らかにしている。

3.5.5.3. 灌漑水


 ドニエプル川流域は、1.8 x 106ha以上の灌漑された農地が存在する。この地域のほぼ72%がKakhovka貯水池や他のドニエプル貯水池からの水で灌漑されている。灌漑によって導き入れられた放射性核種の根による取り込みを通じて、そしてスプリンクラーによる葉を通じた放射性核種の直接の体内取り込みによって、灌漑された田畑での植物における放射性核種の蓄積が生じうる。しかしながら、南ウクライナの灌漑された土地の場合、灌漑水中の放射性核種は、最初に大気からのフォールアウトで進行したものや、それに続いて土壌からその場所で取り込まれた物と比較した場合、作物に有意味な放射能を負荷しなかった[3.145]。

3.5.6. 将来の傾向


3.5.6.1. 淡水生態系

 ドニエプルシステムの河川や貯水池については、放射性核種の流出強度は徐々に低下する。最悪のケースシナリオでも、今後50年間の水文学的流出[3.146]は137CSおよび90Srの、事故前レベルに近づくような平均濃度を招くだろう。ドニエプル川中下流の水および主要消費魚類の汚染レベルは背景レベルに近づく(図3.59)。同時に、汚染地域の孤立した(閉じた)水塊では、水中および水生生命相中の137Cs含量が増加し、数十年間維持されるだろう

 最近のデータ[3.95, 3.147]によれば、現在、表面水および魚類における137Cs放射能濃度は非常にゆっくりと低下している。水および若い魚中の実効生態学的半減期は、事故後最初の5年間における1から4年から、最近の6から30年まで増加した。低減率には広い偏差があるものの、20年の実効生態学的半減期(Teff)を用いた水中及び魚類中の放射性セシウム濃度の長期的な低下の推計を用いて、将来の汚染レベルを推定することができる[3.125]。

水中の放射性セシウム活量濃度は、CEZや他の高度汚染地域の浅い閉湖を除くと、現在、相対的に低い (高々1 Bq/L)。放射能濃度は、来る数十年間ゆっくりと低下し続けると予測されている。いくつかの湖では、しかしながら、水中および魚類中の137Cs放射能濃度が、表3.9および3.10に描かれているように、数十年間相対的に高いままであることが予測されている。水中の90Sr放射能濃度もまた、20年の予測Teffを用いて推定された。この値もまた、少し保守的であるかもしれない。というのも兵器実験由来の90Srの長期的な低下率は、約10年のTeffであったためだ[3.148]。137Csと同様に、水中の90Sr放射能濃度は現在の低いレベルから来たる数十年間に低下すると予測されている(表3.11)。

 湖の堆積物においては、土壌においてよりも、燃料粒子の崩壊が非常に低い速さで生じる[3.149]。冷却池中の堆積物における燃料粒子の半減期はおよそ30年[3.39]で、したがって年流粒子中の放射性核種は長期間、その原型のままとどまることになる。

3.5.6.2. 海洋生態系

 現在、海洋システム中の放射性核種(主に放射性セシウム)は、淡水系で観察されるものよりも非常に低い濃度である。黒海における海水中および海洋生命相中の放射能濃度は、低下し続けると予測されている(表3.8を見よ)。これは主に物理的崩壊によるものであるが、海底堆積物への持続的な移行と一層の希釈ともまた、低下に貢献するだろう

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2012年03月29日 イイね!

チェルノブイリフォーラムのページを特集するその2【3.1. 放射性核種放出と沈降 】





3.1. 放射性核種放出と沈降

3.1.1. 放射性核種の源項

 チェルノブイリ原子力発電所4号機における事故は1986年4月26日の午前零時を少し過ぎた時間に発生した。予期せぬシャットダウンが発生した際のタービンにおける電源回復についての実験準備のために、事故前長時間にわたり原子炉は無計画な設定の下で運転されていた。事故の原因は多少込み入ったものではあったが、パワーレベルの異常な上昇によって原子炉内で冷却水が気化したことが原因と考えることができる。これがパワーレベルのさらなる上昇を呼び、原子炉を破壊した水蒸気爆発につながった。最初の爆発後、原子炉内の黒鉛が発火した。火災をコントロールするためのスタッフの英雄的な努力にも関わらず、黒鉛は何日も燃え続け、放射性物質の放出は1986年5月6日まで続いた。放射性物質の放出の再構成された時間経過を図3.1 [3.1-3.3] に示す。

 事故の発生はソ連当局によって即座にはアナウンスされなかった。しかし、放出は非常に大量であったため、フレッシュな核分裂生成物の存在がすぐにスカンジナビア諸国で観測され、可能な軌跡の遡及的な計算によって、事故が旧ソ連で発生したことが示された。事故のさらなる詳細と即時的な影響については、国際原子力安全諮問グループ[3.1]、国際アドバイザリー委員会[3.4]およびUNSCEAR[3.5, 3.6]によるレポートで得られる。


 事故によって放出され旧ソ連内に沈降した137Csの量に関する初期の推定は、ソ連の汚染された部分における空気中の放射定量に基づいてなされた。この推定によれば、40PBq (1 x 106 Ci)が沈降したことが示唆された。放射量の推定はその後何年もにわたって改良され、その結果旧ソ連内に沈降した137Csの総量についての現在の推定は初期の推定のおよそ2倍(すなわち80PBq)となっている。重要な核種の量に関する現在の推定値は表3.1の通りである。大量の放出があった核種のほとんどは短い物理的半減期をもつ核種で、長い半減期を持つ核種は大部分が少量の放出にとどまった。事故後間もない間は、放射線学的に最大の懸念となった放射性核種は131Iであった。その後注目は137Csに移った。

 2005年までに、事故によって放出された放射性核種の大部分はが崩壊し、懸念を呼ぶレベルを下回った。今後数十年に渡っても関心は137Csに、そして程度としては小さいが90Srに注がれるだろう。90Srはチェルノブイリ原子力発電所に密接した地域では、より大きな重要性を保っている。さらに長い期間(数百年から数千年)にわたっては、関心を引くと見込まれる核種はプルトニウム同位体だけである。今後レベルの増加が見込まれる唯一の核種は241Amであり、これは241Puの崩壊から生じる。241Puから最大量の241Amが形成されるまでにはおよそ100年がかかる


3.1.2 放出された物質の物理化学的な形状

 破損した原子炉から放出された放射性核種は気体、凝集粒子および燃料粒子のいずれかの形状であった。燃料粒子の存在が事故の重要な特徴であった。核燃料の酸化が燃料粒子形成の基本メカニズムであった。酸化の度合いが小さい燃料粒子が最初の爆発の結果として生じ、主に西の方向に向かって放出された。その後のフォールアウトにおいては酸化の度合いが大きく水溶性の高い粒子が優位となり、これが多くの他の地域に沈降した。

 燃料粒子が酸化し散布される間に、一部の放射性核種の揮発が生じた。最初の雲が冷えた後、放出された核種のうち揮発性の高いものは気体相にとどまったが、より揮発性の低い核種は構成材料となる煤や破片の上に凝集した。従って、チェルノブイリの放出における放射性核種の化学的物理的形状は、核種粒子の揮発性および原子炉内部の条件によって決定された。相対的により高い蒸気圧を持つ放射性化合物(主要なものは種々の化学的形態における不活性ガスおよびヨウ素の同位体)は大気中を気体相で運ばれた。他の放射性核種(セシウム、テルル、アンチモニーなどの同位体)は大気中に主に燃料粒子の形で放出された。特定の場所での沈降における凝集粒子成分と燃料粒子成分との相対的な寄与度は、揮発性の階層を異にする放射性核種の活性の比から推定することができる。

 燃料粒子は放出源近傍におけるフォールアウトにおいてもっとも重要な部分を形作った。95Zr, 95Nb, 99Mo, 141,144Ce, 154,155Eu, 237,239Np, 238-242Pu, 241,243Amおよび242,244Cmのような核種は、燃料粒子のみをマトリクスとして放出された。90%以上の89,90Srと103,106Ru活性物もまた燃料粒子として放出された。チェルノブイリ原子力発電所敷地外に沈降した、90Sr, 154Eu, 238Pu, 239,240Puおよび241Amの、そしてそれゆえ核燃料それ自体の放出比率は、最近高々1.5±0.5%[3.9]と推定されたが、これは初期の推定[3.1]の半分であった。

 燃料粒子の化学的組成および放射核種組成は照射された核燃料のそれに近かったが、特に表層において、揮発性核種の割合が低く、ウランがより高度に酸化した状態にあり、様々な混合物を含んでいた。これと対照的に、凝集粒子の化学的組成や核種組成は広範囲に変動した。これら粒子における放射性核種の具体的な活量は、凝集プロセスの持続時間やプロセスの温度、そして粒子の性質などによって規定された。一部の粒子の放射核種組成はただ一つあるいは二つの核種、たとえば103,106Ruや140Ba/140La、のみに支配されていた[3.10]

 放出における放射性核種の形状が、その大気中の輸送の距離を決定した。ただ一つの核燃料晶子からなる最小の燃料粒子ですら、相対的にサイズが大きく(最大10μm)高密度(8-10 g/cm3)であった。その大きさのせいで、これらの粒子は2,30kmしか運ばれなかった。粒子のより大きな凝集物は発電所から数キロの範囲内でしか見つからなかった。こうした理由で、難溶性の核種の沈降は破損した原子炉から離れるにつれて大きく減少し、発電所敷地外では難溶性元素の痕跡のみが発見されただけであった。これとは逆に、気体状の核種やマイクロメーター以下の凝集粒子の多量の沈降が、チェルノブイリから数千キロメートル離れた場所でも生じた。たとえばルテニウム粒子はヨーロッパ中で発見された[3.11]。チェルノブイリから数百キロメートルのところで、137Csの沈降が1MBq/m2に達した[3.12, 3.13]。

 フォールアウトのもう一つの重要な性質は、水溶液中での溶解性に関連したものであった。これが沈降後初期の土壌中および表層水中における沈降した核種の可動性とバイオアベイラビリティを決定した。1986年4月26日から1986年5月5日まで24時間のサンプリング周期でチェルノブイリ気象台で採取された放射性降下物において、水溶性で交換可能な(1M Ch3COONH4を用いて抽出可能な)形の137Csは5%から30%以上まで変動した[3.14]。4月26日の沈降物のうち水溶性で交換可能な形の90Srは総量の約1%に過ぎなかった。この値はその後5-10%まで増加した。

 原子力発電所近くに沈降した137Csや90Srの低い水溶性によって、放出源から20kmの地点においてさえ、燃料粒子が放射性降下物の主要部分であったことがわかる短距離においては水溶性で交換可能な形の137Csや90Srの割合は明らかに低かったが、これはより大きな粒子が存在するためであった。長距離では水溶性の凝集粒子の割合が増加した。一例をあげると、1986年に英国で沈降した137Csのほぼすべてが水溶性で交換可能なものであった。


3.1.3 事故経過中の気象条件

 事故同時、ヨーロッパの大部分の天気は巨大な高気圧に支配されていた。700-800mと1500mの高度で、チェルノブイリ原子力発電所地域は高気圧域の南西端に位置し、空気塊が北西方向に5~10m/sの速度で移動していた[3.12]。

 夜明けには、空気混合層の高度は約2500mであった。このため、混合層全域での空中破片の混合と、混合層高度の様々な層への放射能雲の散布が生じた。700-1500mの層内の事故時に由来する粒子は、北東に向かって移動する空気塊となってさらに散布され、その後北向きに転じた。このプリュームはスカンジナビア諸国で探知された。

 4月26日の地上レベルの空気は西および北西に運ばれ、4月27-29日にポーランドとスカンジナビア諸国に達した。南および西ウクライナ、モルドヴァ共和国、ルーマニア、スロヴァキア、ポーランドでは、天候は気圧場の緩勾配に影響されていた。その後の数日、低気圧はゆっくりと南東に移動し、気圧場の緩勾配といくつかのはっきりと定義されにくい気圧域とが旧ソ連のヨーロッパ区域の主要部分に広がっていた。気圧域の一つはGomelの南に4月27日朝位置した小さな地表周辺の低気圧である。

 事故後2,3日間、ヨーロッパ、日本および米国の空気中の放射線レベルの測定によって、最高7000mの高さまで放射性核種が存在することがわかった。爆発力、チェルノブイリ原子力発電所周辺の雷雨に起因する急速な空気層の混合およびチェルノブイリ原子力発電所とバルト海の間の温暖前線空気塊の存在が、放射性核種のそこまでの高度への輸送に貢献した。

 複雑な気象状況を理解するために、BorzilovとKlepikova [3.16]は、事故のさまざまな時点での活性単位の仮定入力パルスを用いて計算を行った。放出源の高さは、4月28日の14:00 (GMT) まで1000mが選択され、それ以後は500mとされた。6つの時間期間(GMT時間)についての計算結果は図3.2に提示されるが、長距離移送の条件は以下のように異なっていた。

(1) 事故の開始から4月26日の12:00 (GMT)まで。ベラルーシ、リトアニア、(ロシア連邦の)Kaliningrad地域、スエーデン、フィンランド方向

(2) 4月26日12:00~4月27日12:00まで。Polessye方向、次いでポーランドおよび南西方向

(3) 4月27日の12:00から4月29日。Gomel (ベラルーシ)地域、Bryansk (ロシア連邦) に向けて、次いで東へ。

(4) 4月29日から4月30日。SumyとPpltava地域 (ウクライナ) およびルーマニア方向。

(5) 5月1-3日。南ウクライナおよび黒海を横切ってトルコへ。

(6) 5月4-5日。西ウクライナ、ルーマニアへ、次いでベラルーシへ。

 ある地域が重度の汚染を被るかどうかが決まるのに、大気降下物が重要な役割を果たした。雲内洗浄rainoutのプロセス(雷雨系への取りこみ)と雲底下洗浄washout(汚染された空気塊中の降雨)が、放出された物質が地面に運ばれる重要なメカニズムだったのだ。特に、放射性物質沈降の大きなばらつきは、放射能雲が通過している間の降雨の有無に関係している。また、種々の放射性核種や同じ核種の化学的形態がどの程度の効率で雲内あるいは雲底下洗浄されるかに関しては性質の違いが存在する。

 事故経過中には多くの降雨が発生し、それらが、原子炉から遠く離れたところに、高度な地上沈降が起こった地域を幾つか生み出した。事故期間中の複雑な降雨状況の一例を図3.3に示す。この図は、事故から非常に重大な被害を受けたベラルーシ、ロシア連邦およびウクライナの各地域の、4月29日の平均1日降水量の地図である。

 乾燥沈降の場合、汚染レベルは低かったが、草木に捕捉された核種混合物は放射性ヨウ素同位体によって大幅に増加した。湿性沈降の場合、降下物中の核種内容構成は放射能雲におけるそれに類似したものであった。その結果、異なるタイプの沈降が起こった地域における放射性核種のレベルや比率は様々であった。




3.1.4. 空気中の放射性核種濃度

 空気中の放射性物質の活性濃度は旧ソ連および世界中の多くの場所で測定された。そうした空気中の活性濃度を2つの場所に関して図3.4に示す。ウクライナのチェルノブイリとBaryshvkaである。チェルノブイリの試料採取場所はチェルノブイリ市の測候所であり、チェルノブイリ原子力発電所より15km南東にあった。当初の空中物質濃度は非常に高かったが、2つのフェーズで低下した。数ヶ月にわたる急速な低下があり、数年にわたるより緩徐な低下があった。長期間にわたり、チェルノブイリ採取所はBaryshevka採取所(チェルノブイリ原子力発電所の約150km南東)より一貫して高い活性濃度を記録したが、これはおそらく再浮遊によるものであった。

 ローリング平均によって平滑化されたデータにあってさえ、長期間採取されたデータには幾つかの注目すべき特徴があった。1992年夏(第78月)に起こった明確に識別できるピークは、ベラルーシおよびウクライナでの広範な森林火災によるものである

3.1.5. 土壌表面への放射性核種の沈降

 すでに言及されたように、広い地域にわたっての空中スペクトロメータでの調査が事故後すぐ、137Cs(と他の放射性核種)の土壌表面への沈降量を測定するために幾つかの国で実施された。沈降の地図作成においては、測定が容易であり放射線学的に重要であるゆえに、137Csが選択された。37kBq/m2 (1 Ci/km2)に等しい137Csの土壌への沈降が、暫定的な最小汚染レベルとして設定された。というのも、(a)このレベルはグローバル・フォールアウトによるヨーロッパでの137Cs沈降量の約10倍以上高いものであり、(b)このレベルでは事故後最初の1年の人間の線量が約1 mSvとなり、放射線学的に重要だと考えられるからである。沈降の外延と空間的偏差についての知識が事故の規模を規定し、外部および内部線量の将来のレベルを予測し、そしていかなる放射線防護策が必要であるかを定めるのに非常に重要である。それに加え、多数の土壌サンプルが収集され放射線学の実験室で分析された。

 こうして大量のデータが収集され、つづいて原則的にヨーロッパ全体を覆うアトラスの形で出版された[3.13]。ロシア連邦で制作された別のアトラス[3.12]は旧ソ連のヨーロッパ地区をカバーしている。その一例を図3.5に示す。

 図3.5.および表3.2から、事故によりもっとも重大な被害を受けたのがベラルーシ、ロシア連邦およびウクライナという3カ国であることは明らかである。1986年にヨーロッパの領土に沈降した約64TBq (1.7 MCi)の137Cs活量のうち、ベラルーシが23%、ロシア連邦が30%、ウクライナが18%を被った。しかし、上述の湿潤沈降プロセスのせいで、オーストリア、フィンランド、ドイツ、ノルウェー、ルーマニアおよびスエーデンにも入内名汚染地域が存在する。近隣の重度汚染地域に関するより詳細な一覧は図3.6に示される。

 土壌の水および風による浸食が、相対的に短い距離の局地規模での137Csの移行や再配分を招くかもしれない。風の浸食はまた、地域規模で土壌粒子と一体の137Csの移行を招くかもしれない。

 事故のすぐ後、半径30kmの立ち入り禁止区域(CEZ)が原子炉周囲に設定された。ベラルーシ、ロシア連邦およびウクライナでは、追加的な住民の移転がその後の年月に行われた。最終的に、116,000人が避難させられたか、移転させられた。

 1986年に137Csの土壌沈降量が0.6MBq/m2 (15 Ci/km2)以上であった総範囲は10,300km2であり、ベラルーシの6400km2, ロシア連邦の2400km2およびウクライナの1500km2を含んでいた。全体で、230,000の住民をもつ640の集落が汚染された領域に位置していた。1 Ci/km2 (37kBq/m2)以上の137Csが沈降した地域は、最大被害3カ国における社会防護についての法にしたがって、放射能汚染したと分類された。1995年にそうした汚染地域に暮らす人の数を表3.3に示す。

 事故のすぐ後、大きな関心が131Iによる食料汚染に注がれた。131I沈降の広域パターンを図3.7に示す。残念なことに、沈降後の131Iの急速な崩壊のせいで、詳細な分析のための数多くのサンプルを収集する十分な時間がなかった。当初は131Iと137Cs沈降量の間にはつい良い相関があると見積もられていた。しかし、これは常に正しくはないことが判明した。最近では土壌サンプルが収集され129Iについて分析されてきた。129Iは16 x 106 年の物理的半減期をもち、非常に低水準で加速器質量分光分析によるしか測定されない。Straumeら[3.19]はベラルーシにおいて採取されたサンプルについての分析の成功を報告しているが、その分析から彼らは、事故当時、131I原子一つにつき15±3の129I原子が存在したことを立証した。この推定割合が、人々の被曝線量を再構成する目的での131I沈降量についてのより良い推定を可能にする。

 表3.1.に示された関心を引く他の放射性核種にかんしても、同様の地図が描かれうる。90Srの沈降を図3.8に示す。137Csと比較すると、(a)原子炉から放出された90Srはより少ない物で、(b)ストロンチウムはセシウムより揮発性が低い。このため、90Sr沈降の空間的広がりは137Csのそれと比較してチェルノブイリ原子力発電所近くの地域に限定していた。土壌に沈降したプルトニウムの量も同様に測定された(図3.9)。3.7kBq/m2 (0.1 Ci/km2)以上のプルトニウム沈降があったほぼすべての地域は、CEZ内にある。


3.1.6. 沈降物の同位体組成


 表層放射能濃度のもっとも大規模な測定は137Csに関して行われた。他の核種、特に134Cs, 136Cs, 131I, 133I, 140Ba/140La, 95Zr/95Nb, 103Ru, 106Ru, 132Te, 125Sbおよび144Ceの値はリファレンス核種である137Csに対する比で表現されてきた。こうした比は場所依存である。というのも、(a)燃料粒子、エアロゾルおよびガス状放射性核種の沈降様式が異なるためであり、(b)放出時間にともなう核種組成の変化のためである。実際、こうした比率は時間がたつと必ずしも一定ではない。放出時間とそれに対応する放出の性質(たとえばコアの温度)に従って、放出比率の大きな偏差がチェルノブイリ事故後に観察された。

 西に移動した最初のプリュームは爆発フェーズ期間に発生した放出を運んだわけであるが、このとき露出したコアは以後のフェーズほど熱くはなかった。北から北東に移動した第2のプリュームは次第に熱くなるコアからの放出を運んだ。これに対し、主に南に移動した第3のプリュームは約2000℃まで上昇したコアからの放出によって特徴づけられる。そうした温度では、モリブデン、ストロンチウム、ジルコニウム、ルテニウムおよびバリウムといった揮発性の低い核種が容易に放出される。このフェーズの間、ヨウ素核種の放出も増加した。

 セシウム・ホット・スポットはベラルーシの遠く離れた地域や、ロシアKaluga, TulaおよびOrel地域で生じた。これら高度汚染地域における沈降した核種の組成は類似している。異なる放出ベクトルにおける、地上沈降物で観察された種々の核種の137Csに対する比を、表3.4に示す。

 西および北プリュームに関する放射能比は、南プリュームにおける比率とは対照的に、類似しており、多くのケースで同一であった。すべての放射能比率は、132Te/137Csの例外をのぞき、原子力発電所からの距離が増加するに従って低下を示した。この低下は、99Moや140Ba (2桁)あるいは90Srや103Ru (一桁)においてより、95Zrや144Ce(約3の係数)においての方が、深い物でなかった。131I/137Cs比については、係数約4でのわずかな低下が、1000km以上の距離で観察された。最初の200km以内では、比の変動は事実上観察されていない。
Posted at 2012/03/29 00:20:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | チェルノブイリ2 | 日記
2012年03月29日 イイね!

チェルノブイリフォーラムのページを特集するその1【1.2 環境の放射能汚染】

IAEAの『チェルノブイリ事故による環境影響とその修復:20年の経験-チェルノブイリ・フォーラム・エキスパート・グループ「環境」』を抄訳するページ
というものがある。


■IAEAは、チェルノブイリにおいて人的被害を
やや低く見積もったがゆえに胡散臭く思われている。

しかし、環境における分析にはいささかも揺らぎはない。

■はっきり言って、暗い未来と危機を煽り
日本の核は悪い核、大陸の核万歳、
日本の子供はみんな死ぬ 
とか言っている、
いささか知恵と勇気と、日本人としての心が足りない
そういう情報ロンダリング人間の扇動を真に受けるよりは
100倍素晴らしい文章であると思う。

もちろん抄訳であり、やや訳として固い部分はある。

■しかし放射能恐怖派の掲げる事が
いかに的外れで愚かで、無責任であるか、
日本は防げる環境保護を何故無為にしたのか?
そこをかみしめながら眺めて頂けるのであれば

この文章の重要性と、
もちろん「反対の為の反対派の」無知蒙昧
そして、今の日本の愚かさが理解できると思います。


******************************
1.2 環境の放射能汚染

 チェルノブイリ事故は、大気中への放射性物質の大規模な局地的放出と、それに続く環境放射能汚染を引き起こした。ヨーロッパ諸国の多くが放射能汚染による被害を受けた。最大の被害国としては、旧ソビエト連邦の3つの共和国、すなわち現在のベラルーシ、ロシア連邦、そしてウクライナがあげられる。沈降した放射性核種は徐々に崩壊し環境-大気環境、水域環境、陸上環境、都市環境-の内部や間に移動した。


1.2.1 結論

1.2.1.1 放射性核種の放出と沈降
 チェルノブイリ原子力発電所の4号機からの主要な放出は10日間継続し、放射性ガス、凝縮エアロゾル condensed aerosol、および大量の燃料粒子を含んでいた。放射性物質の放出総量は(1986年4月26日の時点で)約14EBq [原注: 1 EBq = 1018 Bq (ベクレル)]であり、1.8EBqの131I、0.085EBqの137Csおよび他のセシウム放射性同位体、0.01EBqの90Srおよび0.003EBqのプルトニウム放射性同位体を含んでいた。放射性物質の放出全体の約50%は希ガスの寄与によるものであった
 ヨーロッパの広大な地域が何らかの程度でチェルノブイリの放出の被害を受けた。ヨーロッパの200,000km2以上の地域が放射性セシウム(Cs137/m2で0.04MBq以上)により汚染されたが、その71%は最も汚染された3カ国(ベラルーシ、ロシア連邦、ウクライナ)内にある。沈降は非常に不均一であり、汚染された空気塊が通過した際の降雨に強く影響された。沈降をマッピングする際には、測定が簡単であり放射線学上重要であるという理由で、137Csが選択されたストロンチウムおよびプルトニウム放射性同位体は、より大きな粒子に内包されたため、原子炉近傍(100km以下)に沈降した。
 放出の大部分は、短い物理的半減期をもつ放射性核種からなっていた。長寿命放射性核種はそれより少ない量放出されたのである。したがって、事故によって放出された放射性核種の多くはすでに崩壊した。放射性ヨウ素の放出は、事故直後に懸念を引き起こした。緊急事態であることと131Iの短い半減期のため、沈降した放射性ヨウ素の空間分布に関する信頼できる測定(これは甲状腺への線量を決定するために重要である)はほとんど行われなかった。129Iの現時点での測定が、131Iの沈降をよりよく推定するのに役立ち、それによって甲状腺線量の再構築を改良する可能性がある。
 初期以後は137Csが最大の放射線学的重要性をもつ核種となり、90Srは重要度で下回った。最初の1年間は134Csも同様に重要であった。より長い期間(数百から数千年)にわたって興味を引くと予測される核種はプルトニウム同位体と241Amだけである。


1.2.1.2 都市環境


 都市部では、芝生、公園、街路、道路、広場、屋根、壁などの開放面が放射性核種により汚染された。乾燥条件では、樹木、低木、芝生、屋根がより汚染され、降雨条件では土区画や芝生などの水平面がもっとも高い汚染を受けた。特に高い137Cs濃度が見られたのは、その周囲で屋根から地面へと雨によって放射性物質が運ばれたような家屋の周辺部であった。もっとも近接する都市であるPrypiatの都市部やその近郊集落では、沈降によって当初はかなりの外部放射線量となったが、これは人々の避難によって部分的に回避された。他の都市部で沈降した放射性物質は、その後何年もにわたる公衆の被曝を生み、今もそうし続けている。

 風や雨、交通、街路の洗浄や清掃を含む人間の活動により、居住区域や娯楽区域における放射性物質による表面汚染は、1986年やその後にかけて、著しく低下した。こうしたプロセスの結果の一つとして、下水システムやスラッジ貯留区域の二次汚染が引き起こされた

 現在では、放射能汚染を受けた集落の大部分で、固形表面上での空中線量率は事故前の背景水準にまで戻っている。空中線量率の上昇は、主に庭や家庭菜園や公園の乱されない土壌上で残存している。

1.2.1.3 農業環境

 初期段階においては、多様な放射性核種の表層への沈降が農業植物やそれを消費する動物の汚染において支配的であった。放射性ヨウ素同位体の放出と沈降がもっとも差し迫った懸念を招いたが、この問題は最初の2ヶ月に限定された。最も重要なヨウ素同位体である131Iの物理的半減期(8日間)が短いためである。ベラルーシ、ロシア連邦、そしてウクライナにおいて、放射性ヨウ素は急速に高率でミルクに移行し、ミルクを消費する者、特に子供たちに大きな甲状腺線量をもたらした。その他のヨーロッパでは、事故の帰結は様々であった。酪農動物が常に屋外にいた南の汚染地域では、ミルクの放射性ヨウ素レベルの上昇が観察されたところもあった

 様々なタイプの作物、特に緑色葉野菜もまた、沈降の水準と生育段階とに応じて、種々の程度の放射性核種に汚染された。植物表面への直接の沈降は約2ヶ月の間懸念事項であった。

 直接汚染による初期段階より以後は、植物の根を通じた土壌からの放射性核種の摂取が次第に重要となり、そこには強い時間依存性が見られた。セシウムの放射性同位体(137Csと134Cs)が最大の問題となった核種であり、134Csの崩壊以後も、137Csはベラルーシ、ロシア、ウクライナのいくつかの地区で問題を引き起こし続けた。それに加えて、原子炉の近辺では90Srが問題を引き起こしたが、より遠距離においては沈降レベルが低く放射線学的に有意味とはならなかった。プルトニウム同位体や241Amといった他の放射性同位体は、非常に低い沈降量であったか、あるいは根による取り込みがさほど可能でなかったかのいずれかであり、農業において現実に問題を引き起こすことはなかった

 全体的に言うと、風化作用、物理的崩壊、放射性核種の土中への下降および土壌における放射性核種のバイオアベイラビリティの低下に起因して、予測された通り、放射性核種の草木や動物への移行は初期に大幅に減少した。特に、汚染された小農制度 intensive agriculture system においては、そのほほとんどが旧ソ連に位置したのであるが、137Csの植物および動物への移行は、最初の数年で大幅に減少した。しかし、最近10年においては、それ以上の明らかな下降はほとんど起こっておらず、長期的な実効半減期の値を正確に定量化するのは困難であった

 初期段階以後の食品中の放射性セシウム濃度は、沈降の度合いだけでなく、土壌タイプ、管理習慣および生態系のタイプによっても影響された。被害地域における重大かつ遷延性の問題は、有機含有量が高く、鋤起こしや肥料散布がされていない非耕作の牧草を動物が摂取している、そうした土壌における粗放農業制度において発生した。この問題は、通常個人で乳牛を所有する自給自足農業者である、旧ソビエト連邦の田舎の住民に特に大きく影響した。

 長い目で見ると、食肉やミルクにおける137Cs、およびそれほどではないにせよ野菜における137Csによる寄与が、人間の内部線量に対してもっとも重要であり続けた。野菜と動物飼料双方におけるその放射能濃度は最初の10年間非常にゆっくりと、3-7%/年でしか低下しなかったため、137Csの線量への寄与は今後十年においても支配的であり続けることになるだろう。他の長寿命放射性核種、すなわち90Srやプルトニウム同位体および241Amの人間における線量への寄与は取るに足らないものにとどまる

1.2.1.4 森林環境

 チェルノブイリ事故以後、森林や山岳地域の草木や動物において、特に高い放射性セシウムの取り込みが見られた。そして、森林生態系における放射性セシウムの永続的な再循環のせいで、137Cs放射能濃度の最高記録は森林産物で見出された。特に高い137Cs放射能濃度は、キノコ、ベリーおよび狩猟動物において見られ、こうした高水準が事故以来持続している。したがって、農産物の消費に起因する被曝の規模は全体的には低下しているものの、森林食品の汚染は高いレベルにとどまっており、多くの国で介入限界を今なお超えている。これは今後数十年にわたって継続すると見積もられている。したがって、いくつかの被害国の人口における放射線被曝への寄与における森林の相対的重要性が、時間とともに増大してきた。森林生産食品の汚染のさらなる低減に寄与するのは、第一義的には、137Csの土壌中への下向きの移動と物理的崩壊であろう。

 地衣類-トナカイ肉-ヒトという経路において放射性セシウムが高率で移行することが、チェルノブイリ事故以後ヨーロッパの北極圏および亜北極圏地域で証明された。チェルノブイリ事故は、フィンランド、ノルウェイ、ロシア連邦およびスウェーデンにおいて、トナカイ肉の高度の汚染を引き起こし、サーミ[ラップランド]人に対する重大な問題を帰結した。

 材木や関連製品の利用は、一般公衆の被曝に対しては小さな寄与しかもたらさなかった。とはいえ、木灰は高い量の137Csを含有することがありえ、その他の木材利用法よりも高い線量を招く潜在的可能性があった。材木におけるセシウム-137の重要度は低かったが、木材パルプ産業における線量は考慮されなければならない。

 1992年には森林火災によって大気中の放射能濃度が上昇したが、その程度は高くはなかった。森林火災によって起こりうる放射線学的帰結がさかんに議論されてきたが、おそらくは火災周辺のもっとも近傍を除くと、汚染された森林からの放射性核種の移行という問題を森林火災が引き起こすことはないと予想されている。


1.2.1.5 水域環境

 チェルノブイリからの放射性核種は、現場近くの地域のみならず、ヨーロッパの他の多くの部分で、表面水系を汚染した。最初の水の汚染は、主に河川や湖の表面への放射性核種の直接的沈降によるものであり、短寿命の放射性核種(もっとも重要なのは131I)によって支配された。事故以後最初の数週において、キエフ貯水池由来の飲料水が特に懸念を呼んだ

 水塊の汚染は、希釈、物理的崩壊および放射性核種の貯水土壌への吸収によって、フォールアウト後の数週にわたって速やかに減少した。湖や貯水池においては、漂流粒子の水底沈殿物への沈下が、水中での放射能レベルの低減において大きな役割を果たした。水底沈殿物は放射性核種にとって、重要な長期的貯蔵庫となった。

 魚による当初の放射性ヨウ素の取り込みは急速であったが、放射能濃度は主として物理崩壊のせいで急速に低下した。最大被害地域では、そしてスカンジナビアやドイツのような遠方のいくつかの湖においても、水中の食物連鎖における放射性セシウムの生物濃縮によって魚類に深刻な濃縮がもたらされた。魚類における90Sr放射能濃度は、放射性セシウムと比較した場合、人間が受ける線量に対して大きな寄与をなさなかった。というのも、全体的に降下量が少なく生物濃縮もより小さかったためであり、また特に90Srは食用となる筋肉よりも骨に蓄積されるためである

 長い目で見れば、長寿命な137Csや90Srが汚染土壌から洗い出されることによる二次汚染や水底堆積物からの再可動化は、(相当低い水準でではあるが)今日まで継続している。有機含有量の高い貯水池(泥炭土壌)はミネラル主体の土壌と比較した場合、はるかに多くの放射性セシウムを表層水系に放出する。現在では、表層水系の放射能濃度は低いため、表層水系からの灌漑は問題だとは見なされていない。

 チェルノブイリ原子力発電所近隣の川や湖の底に沈降した燃料粒子は、地上の土壌における同粒子と比較して、かなり小さい度合いの風化しか受けていない。これら粒子の半減期はおおまかに言って90Srや137Csといった放射性核種の物理的半減期と同じである。

137Csや90Srの、河川、開湖および貯水池での水中あるいは魚類中の放射能濃度が現在では低いものである一方、もっとも汚染された湖は、ベラルーシ、ロシア連邦およびウクライナに位置し、流入や流出が限定されており(「閉」湖)ミネラル養分に乏しい幾つかの湖である。こうした湖の中には137Csの放射能濃度が未来に至るまで相当な時間そのままで残ってしまう物があるだろう。閉湖系(たとえばロシア連邦のKozhanovskoe湖)に隣接して暮らす住民には、魚類の消費がその137Cs経口摂取総量の大半を占めるような人々もいる。

 チェルノブイリから黒海およびバルト海までの距離が大きいため、そしてこれらの系では希釈されるため、海水中の放射能濃度は淡水に比べかなり低いものであった。水中の低い放射能濃度と海洋生物相における放射性セシウムの低い生物濃縮との組み合わせにより、海水魚における放射能濃度は懸念されるようなものにはならなかった。


1.2.2 将来の研究調査およびモニタリングのための提言

1.2.2.1 総論
 本レポートで考察された様々な生態系は、チェルノブイリ事故から何年にも亘り集中的にモニターされ研究されてきた。そしてもっとも重要な長寿命汚染源である137Csと90Srの移行と生物濃縮は、今では全体的に言って良く理解されている。したがって、生態系内での放射性核種に関する新たな大規模研究プログラムに関しては差し迫った必要性がほとんどない。しかしながら、以下で述べるような、継続的ではあるがより限定的でターゲットを絞った環境モニタリングや、幾つかの特殊な地域での追加的な研究が要求されている。

 下記に述べられるような全般的な実践的および科学的要求を満たすため、多様な環境区画における放射性核種(特に137Csと90Sr)の長期モニタリングが必要となる。

1.2.2.2 実務面


実務面での要請事項は以下のものである。

(a) 修復活動や長期的対抗策を正当なものとするため、人間の被曝と食品の汚染との現在水準を評価し将来水準を予測すること。

(b) 被害地域の公衆に、食料品における放射能汚染が持続していることと、公衆自らが収穫する自然食料品(キノコ、狩猟動物、閉湖の淡水魚、ベリーなど)における汚染の季節ごとや年ごとの変動を通知し、人間による放射性核種摂取を減らすための食料や食品の調理法について助言を与えること。

(c) 公衆の懸念を緩和するため、被影響地域の一般公衆に対し変化する放射線状況に関する周知をおこなうこと。


1.2.2.3 科学面
 科学面での要請事項は以下のものである。

(a) チェルノブイリ被害地域で使用され、かつ起こりうる未来の放射能放出に適用される予測モデルを強化するために、多様な生態系や異なる自然条件における放射性核種の長期的な移行のパラメータを確定すること

(b) 当該生態系での放射性核種の残存を規定するメカニズムを理解し修復の可能性を探るため、あまり研究されていない生態系(たとえば森林における真菌類の役割)における放射性核種の振る舞いのメカニズムを確定すること。その際には、人間および生命相の線量への寄与において重要なプロセスに対し、特別な注意が払われなければならない。

 環境区画における活性濃度は今では疑似-平衡状態にあり、ゆっくりと変化している。このためモデル化や研究調査プログラムにおいて行われるサンプリングや計測は、チェルノブイリ事故後早期の数年と比較した場合、相当程度削減されてよい。

 30km区域内の137Csや他の多くの長寿命放射性核種の沈降物は、高度汚染地域に位置する種々の生態系の放射生態学的研究のために用いられるべきである。そうした研究は、非常に小規模な実験を除けば、他の場所で行われるのは不可能であるか困難である。


1.2.2.4 特別提言
 ヨーロッパのチェルノブイリ後の汚染に関する研究を完成するため、アルバニア、ブルガリア、グルジアにおける137Cs沈降物の最新のマッピングが行われなければならない。

 1986年に行われた環境測定と、チェルノブイリ事故以後に甲状腺ガン発病率の上昇が検知された地域の土壌サンプルにおける最近の129I測定との双方に基づいて131Iの沈降物のマッピングを改良することで、放射能リスクを決定するのに必要な甲状腺線量の再構築における不確定性が減少するだろう。

 長期移行のモデル化のためのパラメータを確定するため、選択された場所におけるターゲットを限定した研究調査プログラムという形で、今後数十年間、多様な土壌や気象条件と異なる農業習慣を持つ諸地域で、農業植物や動物における137Csや90Sr濃度に関する長期的モニタリングが行われなければならない。

 事故から長い時間を経た都市(Pripyat, チェルノブイリおよび他のいくつかの汚染された街)における137Csおよびプルトニウム放射性同位体の分布についての研究によって、万が一核あるいは放射能事故や犯罪が発生した際の、人間の外部被曝や放射性核種の吸入のついての数理モデル化が向上するだろう。

 森林が著しく汚染され、かつ公衆が野生食品を消費する地域では、キノコ、ベリー、狩猟動物といった特定の森林産品の継続した長期モニタリングが行われなければならない。こうしたモニタリングの結果は、森林の保養目的での継続的使用や野生食品の収穫に関する助言を一般公衆に行うため、被害諸国の関係当局によって利用されている。

 放射性セシウム汚染やそのばらつきのメカニズム、長期変動および残留に関して、持続的でより良い理解を提供するため、放射線防御のために必要となる森林産品の全体的モニタリングに加え、特定の森林地域のより詳細で科学的に基礎づけられた長期モニタリングが必要である。たとえば真菌類のように鍵となる有機体や、その森林生態系における長期的振る舞いをさらに探究することが望ましい。こうしたモニタリングはベラルーシやロシア連邦などのより深刻な被害地域で実行されており、長期予測における現状の不確実性が縮減されるべきであるとすれば、こうしたモニタリングが予測可能な将来まで継続することが重要である。

 水相系はチェルノブイリ事故後集中的にモニターされ研究されてきた。そして最重要の長期汚染源である90Srと137Csの移行と生物濃縮は、今やよく理解されている。しかしながら、以下に述べるように、水系環境の継続した(とはいえ場合によってはより限定的な)モニタリングと、いくつかの特殊な地域でのさらなる研究が必要である。

 水相系の放射能に関して、新しい大規模な研究調査プログラムは今では必要でないが、鍵となる系(プリピアット-ドニエプル系、海洋、および最大被害国や西欧での選択された河川や湖)における持続的な放射能モニタリングによって、90Srや137Srによる将来の水相系汚染に関する予測が改良されるだろう。このモニタリングは、水、堆積物および魚類における放射能濃度に関する現存の見事な時系列計測を継続し、これら放射性核種についての予測モデルの洗練を可能にするだろう。
 現在のところその放射線学的重要性は90Srや137Csと比較して小さなものにとどまっているものの、チェルノブイリ区域における超ウラン元素のさらなる研究は、超長期間(数百から数千年)での環境汚染の予測の改善の一助となるだろう。超ウラン放射性核種や99Tcに関するさらなる経験的研究は、チェルノブイリ被害地域における放射線防御に対して直接的な含意は持たないが、これらの超長寿命の放射性核種の環境での振る舞いに関する知識を増加させるだろう。
 チェルノブイリ・クーリング・ポンドの水位低減のための将来の計画は、その生態系や、新たに露出する水底における放射性核種/燃料粒子の振る舞いに対して重要な意味を持つだろう。したがってクーリング・ポンドに関する特別研究が継続されねばならない。特に、クーリング・ポンドのような水相系における燃料粒子の分解速度に関する追加的な研究は、こうしたプロセスについての知識を進歩させるだろう。
Posted at 2012/03/29 00:05:42 | コメント(0) | トラックバック(1) | チェルノブイリ2 | 日記
2012年03月20日 イイね!

福島とチェルノブイリをつき合わせよう、の予告編?+もろもろ

■正直・・・一部予想よりひどい所はあるんですが
今回の福島の災害、短期的にはすばらしい収束だと思います。
(もちろん起こり得た事と比較して、と言う意味です)

例えば、チェルノブイリでは、遠く離れたハンガリーブダペストで

セシウム137の量的にピークに達し
(大体20bq/kg)後は徐々に落ちていきました。

食品の輸入の多い日本では、
条件的にはよりよかった
と思います。


2012年02月05日
南相馬のセシウムの内部被曝はいいのか悪いのか評価する。





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■でも油断は禁物です。
例えば島津の機械、凄いですが、裏を返せば、確実に検出できるので
はじいていた物を、
出荷ラインに乗せてくるって言う事が言えます。

島津、コメの放射性物質検査機を開発=5秒で判定-5月発売目指す〔福島原発〕
島津製作所は5日、福島県二本松市で記者会見し、コメに含まれる放射性物質が規制値以内かどうかを5秒で判定する検査装置「FOODSEYE(フーズアイ)」の試作機を発表した。4月から厳しくなる放射性セシウムの新規制値にも対応。今後、同市の農協の協力を得て実証作業を進め、5月の発売開始を目指す。(2012/03/05-18:41)

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■こういった事を考えると、初期の盛り上がりは小さいけれど
なかなか落ちないと言う事もあるかと思います。

逆に言えば日本の食生活は、
極めて土地の影響を受けにくい、とも言えるんですよね。
これはいい事でもあり悪いことでもあります。
でも、地質とか、水源とか、水系とか、そう言う絡みが
ありますから、比較的ベクレルの摂取被害は
「ちんたらレベル」になると思います。

逆に言えば、絶対安全というのは、極めて難しいと思います。
どのレベルを目指すのかと言う事をしっかり考えて
行動するしかないんじゃないのかな?って自分は思うんです。

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極端に言えば、束縛を求めるか、嫌がるかだと思います。
自分は束縛までは嫌なので(仕事で十分)、
その分は家庭とか家族に回したいなと思います。

その為にも「自分で判断して自分で責任を取る」
我流になると思うんですよね。
もちろんその為の縛りで、データの提示、論文の提示
は続けていきたいなと思っています。

と、言う訳で、知識もついたので
チェルノブイリについてもう少し、掘り下げてみようと思います^^
今の視点であれば、チェルノブイリについて数的比較をせずに
無意味に怖がったり、絶望せずに、必要部分の抽出が出来る
と思いますので

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■さて、情報不足の中で、数少ない特技の一つ速読を生かして
今まで、いろんな資料を目を皿にして漁ってきました^^

幸いにして、飯館や、浪江を除いては
取りあえず「ナロジチ化」していません。
ナロジチカテゴリー

冷静に判断すれば、チェルノブイリの足元に及ぶか及ばないか
で言えば、全然のレベルである
と言うのは正直な感想ですし、

今騒がれているごみ焼却も、
ベラルーシやウクライナに比べれば、
多分150倍くらいましです


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■所詮はエベレストと富士山どころではなく、
エベレストと500mクラスの山との比較の様な勝負です。
(もちろんこの辺りは別)。


日本は放射能に強い国ではあるんですね。
それに、イオン交換が有効(お味噌や塩化ナトリウム)なので
しょっぱいのが好きな日本は、結構被害はしのげるでしょう。

例えば、魚は味噌漬けにする、骨を取り除く
ちょっとした工夫で子供に食べさせる事もできるはずです。
食べなきゃいけないとか食べたいとかあるでしょうし。

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■後ホタテとかは割りと大丈夫。
スズキ、ヒラメとかは厳禁・・・




■後お肉は下処理を


■乳製品で言えばなぜかバターは大丈夫


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■そう言うときに役に立つのはこのような震災前のデータです。
比較的バイアスも少なく、役に立ちます^^
(この資料は震災後にまとめられた物ですけど)

それこそ、これもだめ、あれもだめだと・・・
2012年03月19日
【馴合い&仲良し組】あんまり近い人ばかりだと井戸端会議になってしまう事【癒着じゃん】


骨を強くするためには
1)運動する
2)太陽を浴びる
3)牛乳を飲む
4)小魚を食べる
5)野菜(新鮮)

確かに今の状況で
出来るわけないでしょ^^;
屋外=被曝
太陽=埃等被曝
牛乳=ヨウソ、セシウム
小魚=ストロンチウム、セシウム
野菜=被曝

あんまり極端になって、
栄養が偏っているだけと思われます。
間接的には放射能のせいですけど・・・

要するに行き過ぎると、
成長が止まったり、却ってよくなかったりする
と言う事です。

**********************
■細胞だってバカじゃありません、被曝すれば
バイスタンダー効果+放射線適応応答で、
被曝に対する、生存率アップを図ります。
2012年03月07日
【バレバレなのに】バイスタンダーが出てこないのはICRPのせい?かも【都合悪い】


2012年03月13日
たかが一年、されど一年






■裏返せばバイスタンダーの後の、
適応応答が、あまり受け継げなかった人間は・・・
リカバリーが無くてめちゃめちゃになると思います。

***************************
■意外とそう言う人は生存戦略で、
アレルギーが出やすかったりして・・・

ラジカルアレルギー仮説カテゴリー

***************************
■もちろん、医者ではないので、
たまに意見を聞きつつ
将来振り返ってみることになると思います。
自信を持って、
「こうしていてはいけない、我が言う事に従うが良い」なんて
ハッタリかけるのはちょっと無理です^^;

***************************
■ただ、エネルギー保存と言うか、
所詮は放射線もエネルギーの面があって、
エネルギーの及ぼす様々な影響を生化学的に見ていけば

「放射能だから」とかいう必要は無くて
ただ、「放射性物質」の物質的特長は見極めていきたいと思います。

*************************
■後、ベクレルネタですけど、
放射性物質って、ベクレルで判断すると、
モル的には異常に低いんですよね。
動きのレベルでは、特異的な動きがあっても
それはベクレル的な意味であって、生化学の化学的な意味ではない
と言う事を付け足しておきます。
(有害物「塩化セシウム」の検算の際に出てきた数的根拠です。)

■検証って本当に面倒です。
しかも資料を並べるとなると2重3重に面倒です
書こうと思っていることと、結論が違う事
もしばしばです。でも資料に準じて検討するとしょうがない
と言う事でもあります。

ただ、後になって帰ってくる事も多いですし
政府や、公的なデータを使用する事で
「身を守ると言う事もできるのかな」
と思います。

■この落ち着き方だと、
そろそろ統制はかかるんじゃないかななんて
個人的には思います。
それとも今のまま、一部の反対派の人たちが
先鋭化して自滅するかどうかは分かりません。

ただ、統計的観点から見ると、
集団としての異常が出る確率は極めて少ないと思いますので、
逆に自分や家族が、N=1と言う例外でないかを
冷静に見極めて欲しいなと思います。


■要は、異常も、健康被害も、死亡も、
一本釣りで来ます。

>1%の危険は99%の安全と
一緒に紛れているからです。
99%の賭けを916回勝ち続ける確率は
たったの0.01%しかありません。
つまり1000年に一度の地震とは
年1%の発生確率でしかないわけです。
逆に99%の賭けに100回勝ち続ける事は
36%可能です。
死亡率はともかく
1%に健康被害が出ると仮定すると、
1000人に一人は確実に出ると言う事です


ハインリヒの三角形と合わせれば


「油断」は禁物なんですから。

■競馬と言うギャンブル好き(賭けませんけど)からすると、
ギャンブルは少ないに越した事はないんです。

何故かと言えば、健康や命と言うギャンブルは、
持ち金の一部じゃなくて、
「命や健康を全部」かけなくちゃいけないからで
ギャンブルに負けないコツは、
できるだけギャンブルを避ける事
そしてギャンブルの場では
安全を信じて注意深く駆け抜けること

これしか勝負のコツはないからだと思います。


***************************
以上、ヘナチョコギャンブラーの感想と個人的意見でした。
(多分ブログ始めてほぼ1年のはず)。
Posted at 2012/03/20 23:31:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | チェルノブイリ2 | 日記

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「サイトカインによる死者続出とか結構共通点があるんだよね。GIGAZINE人類史上最悪の伝染病「1918年インフルエンザ」に関する10の誤解
https://gigazine.net/news/20200330-10-misconceptions-about-1918-flu/
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