■2007年に、今回の地震が予知されていた事はご存知ですか?
私は、宮城沖が危ないと騒がれていた去年に知りました。
うろ覚えだったので1500年に一度の地震だと思っていましたが。
■東北大学箕浦教授により。1100年前の貞観地震の全容が明らかになったのです。
http://web.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi16/mm16-45.html
そこにはこう書かれています。
引用)
波堆積物の周期性と堆積物年代測定結果から、津波による海水の溯上が800年から1100年に1度発生していると 推定されました。貞観津波の襲来から既に1100年余の時が経ており、津波による堆積作用の周期性を考慮するならば、 仙台湾沖で巨大な津波が発生する可能性が懸念されます。
伝承や文献記録の内容が全て真実であるとは限りません。しかしながら、1100年余の時を経て語り継がれた 仙台平員長野での災害の発生は、幸運にも、津波の科学的研究を通してその正当性が実証されました。こうした 破壊的な災害には、数世代を経ても、あるいは遭遇しないかもしれません。
しかし、海岸域の開発が急速に進みつつある現在、津波災害への憂いを常に自覚しなくてはなりません。 歴史上の事件と同様、津波の災害も繰り返すのです。
引用終)
ご心配は当たったわけです。
逆に言えば、これほどしっかりした方の学術的研究により的中した初めての地震となりました。
対策は全く持って間に合わなかったのですが。
■津波の被害予想もぴたりと今回の地震に当てはまりました。怖いくらいに。
南相馬や相馬が壊滅した理由も分かります。
引用)
被災した国府はどこにあったのでしょうか。貞観の地震津波に関する言い伝えや逸話などを各地で見聞しますが、その実体についての信頼に足る歴史的記述は意外に希です。正史の記録にある城下を陸奥多賀国府の館と読みとれるものの、その地理的位置に関しては諸説があります。これまで主流とされてきた現在の多賀城市とする説に対して、多くの歴史的記述を背景として異論を侍した渡邊偉夫氏は、岩沼の「武隈の館」をその場所とする解釈を提唱しています。
現在ではそれぞれ仙台平野の北部と南部に位置しており、いずれにしても1100年ほど前に仙台平野に津波が押し寄せたことに変わりはありません。平野が氾濫して青海原が出現したとする記述は、膨大な量の海水の溯上により仙台平野が広範囲に水没した様子を暗示しています。
この津波災害に関わる伝承・記録は、東北地方から房総半島にかけての太平洋沿岸の広い範囲に及んでおり、知られ得る限り最大級であったと考えられます。東北日本で近代的観測が始まって以来、最大級の津波の場合で、海岸より2㎞に満たない海水の陸上溯上距離です。歴史資料が示す平野の水没は、貞観津波が常識を越えてはるか内陸部まで溯上したことを示唆します。貞観の津波は、説明の及ばない自然現象なのでしょうか。
海岸平野では急速な市街化が進み、海岸域にまで開発が及んでいます。 こうした状況にあって未曾有の津波襲来が予想されるならば、我々はその時期と規模を理解することが 急務であると認識しなければなりません。貞観津波の解明は、破局的自然現象としての津波の科学的理解 に貢献するのみならず、地域の防災上極めて重要となります。
引用終)
■地震学は歴史学でもある。その慧眼には敬意を示さざるを得ません。
そして望んでいた防災の前に、このような悲劇が起きた事、それが何よりも残念な事だと思います。
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Posted at
2011/03/23 19:31:07