小学校に入学する直前に、ちょっとした事が理由で、受けた血液検査で君の病気が分かりましたね。
もし、あの時、検査をして居なかったら、検査を担当してくれた先生が、君の病気を専門に研究していなかったら、もしかすると今より、もっと早く病気が進行して、歩くはおろか、寝たきりになっていたかもしれません。
正直、君の病気には決定的な治療法はなく、対処療法や、もしかしたら進行を遅らせることができるかも知らないという薬がいくつかあって、弱ってゆく君の身体に合わせて、毎月、遠い病院まで通ってリハビリをしたり、先生から、とにかく身体の機能が落ちない様にするマッサージや器具の作り方を教えてもらって毎日、家族で続けてきましたね。
そうしたひとつひとつの積み重ねで、君にはリハビリも薬も奇跡的に効いて、10歳を迎えるまでに歩けなくなって寝たきりになるって言われていましたが、卒業式の今日まで、半年前から筋力が一気に弱くなって長い距離を歩けなくなってしまい、車イスになってしまいましたが、元気な姿で過ごすことができました。
この日を迎えるまで、薬やリハビリと言った積み重ねもありましたが、家族にとって、もっと言うと、お母さんにとって、毎日が闘いの様な日が続きました。
最近、色々な子供に関する相模原市のニュースが流れているように、正直に言って、この街は障害を持つ子供に対して、とても寛容と言えるような街ではありませんでした。
学校で勉強をするにしても、身体が不自由と言う事で、教室の移動ができないのなら「支援級に行けばいいじゃないか」と言われましたが、支援級には、それは身体だけではなく、発達に障害を持った子供もいて、それらをすべて同じ状態で勉強をするので、とても、子供一人一人の学習状態に合わせた勉強なんてできなくって、もっと算数がしたいんだ、もっとたくさんの漢字も勉強したいし、理科も社会も教えてもらって色々な事を知りたいんだという、学習をしたいという気持ちにとても応えられる様な状態ではありませんでした。
市の教育課では、学習をフォローするのも支援級の役割ですと言われたのですが、実際には市内の学校の支援級で何が行われているかなんて把握してなくて、たぶんそうだろうというスタンスで、そういったアドバイスをしていると言う事を知った時には本当に驚きました。
支援級では情緒教育とか言って、畑を作ったり、日常生活に不足が無いようにとお金を持たせて買い物に行かせたりと、とても学習のフォローなんて微塵もなかったのです。
そういった現実があったので、最初の頃は、普通級のお母さんに頼んで、どんな勉強をしたのか、どんな宿題が出たのか聞いて、夜になると、それをお母さんが君に教科書を見ながら一緒に勉強をしていましたね。
そうした状況を少しでも改善しようと、学校に行ったり、市役所まで足を運んで話をしたりして、介助員が付くようになって、教室の移動も介助員さんが手伝ってくれるようになって、算数や国語も幼稚園から一緒だった友達と同じ机でできるようになった時は、本当に君は嬉しそうで、毎日、お父さんが帰ると、「今日はこんな勉強をしたんだ」、「今日は友達とこんなことをしたんだ」と話してくれるようになりました。
お父さんは、正直、遅い時間だとちょっぴり疲れていて、そんな君の話を聞くのが大変な日もたくさんありましたが、君が楽しそうに学校であった事を話す嬉しそうな顔が大好きでした。
そうしているうちに、学校の雰囲気も変わってきて、他のクラスの先生や学年の違う先生も、クラスの移動の時に助けてくれたり、運動会の時も、どうしたら不自由な身体でも参加できるかって考えてくれて、徒競走も、他の子と同じくらいにゴールできるように、君だけコースの最後の直線から走れる様にスタートを工夫してくれたり、団体競技でも、介助員さんと一緒に君を支えてくれたりして、他の子と一緒に走ったり、競技したりできて、本当にたくさんの人の支えで楽しい小学校の生活を送れて、今日の日を迎えることができました。
半年くらい前から、それまで劇的に効いていた薬の効果が、突然効かなくなって、半月もしない内に、ほんのちょっとしか歩けなくなって、それでま、ゆっくりだけど友達と一緒に通っていた集団登校もできなくなって、ほとんど車イスの状態になってしまいました。
長い距離が歩けなくなってしまったのですが、毎日の登下校は、お母さんが車イスを押して通って、学校では介助員さんを増やしてくれて教室の移動も、たくさんの手助けで最後までできましたね。
卒業式、車イスの君は、どんな卒業式になるのか心配でしたが、入場の時も介助員さん無しで、自分の力で車椅子をこいで、卒業生の中に行きました。
一番驚いたのは、卒業証書の授与の時、他の子は壇上に上がって一人一人に卒業証書が手渡されていましたが、君の番になると、他の卒業生の中から車イスで壇上の前に行くと大きな声で返事をして、校長先生が君の卒業証書をもって壇上をおりて、君に直接手渡しで卒業証書を授与してくれたのです。
その時、卒業するという事と、卒業証書の重みを、お父さんとお母さんは改めて感じて、そして、それを実行してくれた小学校と校長先生に、どんな言葉でも言えなくくらいの感謝の気持ちでいっぱいになりました。
卒業式をが終って、君の周りにたくさんの人が集まって写真を撮りましたね。
同級生や介助の人たち、驚いたのは、君が六年生になるまでに担任だった先生が、やって来て「良かったね」、「おめでとう!」と言って写真を収めている姿に涙が出そうになりました。
もっと驚いたのは、移動で他所の小学校に行った、担任だった先生から手紙や電報が君宛に送られてきたのにも驚きました。
本当に多くの人に助けられて、多くの人に愛されて、君が小学校での生活を送っていたんだって、しみじみとお父さんもお母さんも思いました。
長かった様で、あっという間だった小学校の六年間。
君にとっても、お父さん、お母さんにとっても大変だったけど、たくさんの人の優しさに触れることができて本当に、ほんとうに幸せでした。
そして、4月からはよいよ中学生ですね。
卒業式の次の日から、お母さんが君を車イスに載せて、通学路の確認や、学校の先生たちと、どうやって校内の移動をしたらいいのかって毎日の様に話し合いをしていますね。
希望もたくさんありますが、ハンディを背負った君には不安もたくさんある筈です。
どんな新しい生活が待っているのでしょうか。
また三年後、今日と同じような笑顔で卒業式が迎えられますように・・・お父さんとお母さんは願って止みません。
卒業おめでとう。
そして、中学生活が充実して君の良き思い出になりますように。
七夕生まれの君へ おとうさんより
Posted at 2016/03/27 11:49:39 | |
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