春の足音がだんだんと大きく聞こえてきた、ある雨の横浜市内。
濡れた路面に映える一台の懐かしいクルマに再会した。その名は二代目A60 セリカXX 。
一部の評論家に言わせると「ソアラのエンヂンを強引に載せて、北米向けに売らんが為に無理やり作ったスポーツカーもどき」などと酷評されていたが、ロータスが参加しようが今ひとつだった足回りの出来栄えはさて置き、久々の200Km/h超えのトヨタの作品だった。
XXの歴史は、遡る事先代のA40/50セリカに設定された、北米での対フェアレディZ対策のストレイトシックスの大柄なボディをまとうツゥドアハッチバックであった。
トヨタアメリカのデザインオフィス、CALTYがデザインしたと言われるスタイリング
初代セリカに比べてデザインの方向性がという言葉をよく聞くが、そういった御仁たちは初代セリカのこのヴァージョンをお忘れでは無いだろうか。
クウペの登場から遅れる事3年。正に眼の覚めるような流麗なファストバックの「セリカ・リフトバック」が登場した。(写真は後期)
初代セリカ登場から3年後の 1973年に登場した「セリカ・リフトバック」 だ。正直鼻が短くどん詰まり感があったクウペより長く幅広く低く設えられたスタイルは、あの単調なデザインしかできないトヨタの中にあって異色の出来栄えだ。
ただ、クウペのコンセプトもそうなんだが、明らかに初代マスタングの影響というか模倣近いデザインとも言われたが、それは、かの三菱GTOにも言えるので、ここは不問という事で(閑話休題)
このスタイルを見れば如何に初代マスタングが偉大だったかを思い知ってしまうだろう。(画像は Shelby GT350)
この初代リフトバックのデザインを昇華させて、初代となるXXのリフトバックも形作られたのは想像に難くない事実で、さらにトヨタアメリカのCALTYがデザインした事も、そのことに拍車をかけたものと僕は思っている。
そうそう、この初代XXのベースとなった、二代目のセリカなんだが、日産党として忘れてはならないのがマイナー後の広告のキャッチだ。
そう、あの 「名ばかりのGT達は、道をあける」 の挑戦的なCMを憶えている方も多いのではないだろうか。
所詮ツゥインキャムと言ってもツゥヴァルブの旧態依然古色同然のエンヂンに言われたくない・・・なんて負け惜しみを僕たちは言っていた。
もちろん「名ばかりのGT」とは、排ガス対策で青色吐息、それでなくとも回らないL20を積んだスカイラインの事を指し示すのは明白で、
山道で登りはパワーのあるBMWだけど、下りはスカイラインの方が扱いやすく速いとも言われていた。
かの櫻井慎一郎も、ベストカーガイドで、本家、徳大寺有恒との対談で、
レース時代にはライヴァルであった櫻井と徳大寺との対談。この二人の対談は後ににも数々の名言が生まれた。
僕の記憶が正しいなら、昭和55年の5月か6月のベストカーガイドの、櫻井と徳大寺の対談で徳大寺が
「最近のスカイラインはGTという名が悲しくなるくらい遅いですね」
と振ると櫻井は
「まったく、自分が東名なんかで乗っていると、ロータリーやトヨタのクルマにアッサリ抜かれちゃうんです。悔しくて悔しくて」
という現代にも伝えられる伝説の対談の元になった広告である。
そんなセリカの豪華版、本当の意味でのGTカー、北米向けセリカが初代だったのだが。
そんな豪華絢爛カーは五万と居る、もっとスポーティで北米のトヨタのイメージリーダーたるスポーツカーにしてくれ!という販売店の声に押されて出て来たのが二代目XXだった。
Posted at 2019/03/25 00:34:43 | |
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