最近、色々な若い人たちのブログなどを拝見していると、戦後の日本が置かれた厳しい現実を知らない事に非常に危機感を覚えるのだ。
まったく歳は取りたくないが、僕が当然と思っている現実が、今の若い人たちには、まったく通じない事に、このままでいいのだろうかという思いが過った。
「安かろう悪かろう」 という言葉をご存じだろうか?
これが戦後、日本の工業製品に付けられた海外での評価なのだ。確かに安い、でも品質は最悪で、そう今の中国と全く同じような事が昭和30年代中盤まで日本では行われていたのだ。
クルマだって悲惨だった。
その良い例を思いついたので、つらつらと書いてみようと思う。
昭和30年、国からこんな構想が発表され、クルマのメーカーなどに示された。
最高速100Km/h
オーヴァーホール無しで、一万キロ走行可能。
時速70Km/hで安定走行ができ、安定してブレーキができること。
登坂能力は、湯本~芦ノ湖間30分以内。
0 ~ 200 m 15秒以内。
燃費 30 Km/L(平たん路60Km/h定速)
エンヂン 350 ~ 500 CC
価格 25 万円以下
月産 2000台
これが「国民車構想」というもので、正しくは「軽自動車育成政策概要」 と言って、国が自動車産業の育成とクルマの普及を狙って、この基準を満たせば補助しますよと言うモンなんだが、残念ながら当時の日本の自動車産業の実力では、到底実現不可能なモノで、
「外車のカタログの魅力的な数字ばかりを集めた」 とか言われて、散々な評価が下されてしまったのだ。
これを見るだけでも、当時の日本の工業力というか、クルマのレヴェルがうかがい知れるだろう。
まぁ、それでも、この「国民車構想」に刺激されて、トヨタは「パプリカ」を開発したし、スバルはてんとう虫こと「スバル360」を、少しでもこの構想に近づけようと開発して、
一本 ワイパーのスバル360初期型を知ってますか?
⇒ https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/1383084/
スバル360は航空機技術と、徹底した無駄の排除で安く、軽量化によって必要かつ十分な性能を確保した。
少なからず日本車の技術の向上と、普及に寄与した。
そんな中、日産は輸出をしようと考え始め、TOP画像の DATSUN 210 セダンと 220 型ピックアップを試しに、昭和33年のロスモーターショウに、商社の丸紅経由で参考出品したんだが、まったく酷い評価で散々な目に合ってしまった。
コイツは改良型の223型ピックアップで、今見るとデザインはなかなかカワイイのだが・・・
何が酷いかと言えば、北米のフリーウェイで時速80Km/hになると、クルマ全体が震えて乗れたもんじゃないというのだ。
ところが当時は日本で時速80Km/hで走れるところなんて無かったので、日産の連中は、丸紅や亜米利加人が何を言っているのか全く理解できなかった!!
まぁ一応確認してみよう・・・・と言う事で、東村山にあった運輸省のテストコースを走ってみると、確かに80Km/hくらいになると、ガクガクぶるぶるとクルマ全体が振動を始め、
「確かにこれは酷い!」と初めて気づいて対策を取る事になったのだ。つまり、当時はクルマを造っても時速 80Km/h で走るところが一般公道では無かったので、せいぜい 50 ~ 60 Km/h くらいまでしかテストをしていなかったのだ・・・
もしかしたら、車輪のバランスが悪いのか!?と、バランスを取ってみたが(それまでは低速なのでバランスを取っていなかった・・・・閑話休題)、それでも振動が収まらない。
いったい、振動が起こるのか分からなかったのだが、ある日ふと、当時の 原 企画室次長 が、
「もしかしたらタイヤが丸くできていないのではないか?」
と思い立ち、タイアを調べて見ると、案の定、国産のタイアは 「丸く出来ていなかった」 のであった。
というくらい、当時の日本の工業力なんて、まさにたかが知れていたのだった。
さらに、日産を悩ました問題があった。それは、亜米利加のフリーウェイに入れないという、今から見れば、さらに信じられない現実があったのだ。。。。。
Posted at 2014/11/13 01:37:47 | |
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