今から考えれば、そうした広告の隅は 「東芝」 の文字が、どこかにあるので、まさか 「東洋工業」 が「電球」 を作るなんて思わなかっただろうが、斜め読みしかしていなかった当時は、真顔でそう思っていたので実にお恥ずかしい話ではある。
しかし、よくよく調べてみると 「MAZDA」 のブランド名の由来は、どちらも ゾロアスター教の最高神
Ahura Mazdā からと言うのは偶然なのか、後だしじゃんけんの 東洋工業 の悪戯なのか!?
だって本当は、創業者の 松田 から表記が決まったのなら MATSUDA が正解なんだが、それを件のゾロアスター教のなんていうのは、ちょっと強引な気がするのだが。
そう思って自動車業界を振り返ってみると、戦後の自動車を作れない時期は、本当に色々なモノを作って会社を維持していた事に気付く。
プレスの技術や、板金の技術、研磨の技術を絶やさない様に、会社を維持するために「鍋」や「釜」、「刃物(包丁)」を各社が作っていたのは多くの人に知られている事実だ。
そんな中で異色なのは、トヨタが 「ラヂオ」 を作っていた事は意外に知られていない事実だ。
エクステリアデザイン・・・・いやいや、ラヂオの外側には、どこにも「トヨタ」の文字は無いが・・・
まぁ正確には、今のデンソーが作ったとも言えるのだが、戦後の自動車の製造が禁止されていた時代、平和産業の転換のひとつとして トヨタ ブランド のラヂオ を作っていたのだった。
ラヂオ内部の銘板にはハッキリと「トヨタ」のマークと文字が。実は真空管にも「トヨタ」の文字が刻まれている。
その他では、プリンス、まぁ日産系のハナシをすれば、「鍋」、「釜」は当然の事、ミシンを作っていた事も認知度が低い事実だ。
僕くらいの年齢から前の世代では 「リズムミシン」 と言えば、あぁ知ってる、知ってるとなるのだが、学校にあった、足踏み式ミシンで 「リズムミシン」 と言えば実に懐かしいモノだろう。
あぁ懐かしの 足踏み式ミシン しかも「リズムミシン」。銘板には「プリンス」の前身の「富士精密」の名前が
戦争の痛手は、こうした過去の工業製品を見れば、おのずと伝わって来るものなんだが、その貴重な歴史がだんだん消えて行くのは本当に残念な事だと思うのだ。
トヨタも表立って、ラヂオを作っていたなんて言っていない事からも、彼ら自身にとっても思い出したくない歴史なのかもしれない。
マツダランプ トヨタラジオ リズムミシン プリンス
Posted at 2018/07/29 00:28:45 | |
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