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2016年12月08日 イイね!
進行 覚悟はしていたが、その日が。 僕のブログを長く読んでいてくれる方々は、覚えているかと思うのですが、僕の子供は 七つ のクスリで生きていました。

 治療法がないと言われる、ある病気に立ち向かうために、お医者さんが、治すことはできないけど、せめて病気の進行を遅らせる事が出来る筈だと、6歳の春から飲み続けていました。

生命 多数決で命の長さを決めないで下さい。
http://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/29733898/

 本当に毎日毎日、欠かさずに毎日飲み続けていました。

 それがお医者さんも驚くくらい効果が出て、最初は10歳になるまでに歩けなくなって・・・と言われていたのですが、奇跡的に12歳の夏までは、それは若干ですが不自由になってはいましたが、自分で立って、歩く事が出来ていたのですが。

 去年の夏くらいから、まっすぐ歩けなくなって、秋を迎える頃には、まったく歩けなくなってしまいました。

 そして今。

 一度牙をむいた病気は、考えられる理学療法やリハビリの数々を朝笑うかのように、立つことすらできない状況になってしまいました。

 僕は、毎日、電車や駅のホーム、街を歩いていてボンヤリと周りを見てて思う事があります。

 そこには、自分の子供よりはるかに小さな子供であっても、歩みは危なげでも、走ったり、階段を一段ずつ登る姿があります。

 そんな当たり前の事が、僕の子供は、たった半年、いや3カ月で自由を病気に奪われてしまったのです。

 子供を持つ親御さんなら、朝、目が覚めて、すやすやと眠る我が子の顔を見て、安らかな気持ちに、優しい気持ちになるでしょう。

 それが、僕の場合は、今日も息をしているのか、ちゃんと起きて来てくれるのかって、心配で心配で、子供の顔に、僕の顔を近づけて、息をしているか、暖かいかって確かめる毎日が続いているんですよ。

 いつか、この日が来るっては覚悟していたのですが、いざ、その瞬間がやって来ると、色々な思いが頭をよぎります。

 どこの親子より、いや、もっと考えてみれば、世界中の親と同じように、優しい目で子供を見て、同じように抱きしめて、同じように頭を撫でてやって、同じように歩いて、同じように同じ時間を過ごしていたのに、なぜって。

 どうしても信じたくないのですが、今の状況だと、あと半年もすると、上半身の自由も奪われてしまうかもしれません。残念ですが。

 この急激な病気の進行を遅らせるために、お医者さんやたくさんの人が、今、知恵を絞っています。

 このクスリは効くのだろうか、このリハビリで刺激を与えればと。

 でも、そうした人間の努力をあざ笑うかのように、毎日のようにできないことが増えて行くのです。

 僕は街で子供たちに目が行ってしまいます。

 普通に歩けて、普通に走って、普通に階段を、坂道を歩く姿を見て、何が、悪くて、何が僕の子供に、そうさせているのかって。

 僕は信じていなかったのですが、小さい子供には、生まれてくる前の記憶があると言われています。

 実は、僕の子供も、ようやく言葉が話せるようになった頃、こんな事をカタコトの言葉で話してくれました。

ボクハ、オソラノ、ウエカラ、オトウサント、オカアサンヲミツケタンダヨ。

オトウサント、オカアサンヲミテ、オトウサント、オカアサントダト、タノシイダロウナッテ、オモッテ、ウマレテキタンダヨ。

 それが本当かどうかは分かりません。

 でも、きっと病気の事も含めて、僕たち夫婦だったら、受け止めてくれるって感じて、僕たち夫婦の元にやって来てくれたのかもしれません。

 正直、しんどいですよ。

 毎日、雨の日も、風に日も、暑い日も、寒い日も、カミさんは子供と一緒に、電動クルマ椅子なのですが、通学の時、付き添いで通うという条件で、学校の中でも介助員さんを置く、普通の中学校に通うという事ができています。

 まだまだ中学生なのに、生命のタイムリミットを考えながら生きて行く、本当に辛いモノです。

 そんな時、あの時の子供の言葉を思い出すんです。

 「オトウサント、オカアサントダト、タノシイダロウナッテ」

こんな不自由な身体になっても、不思議と子供の顔から笑顔が無くなった日は無いのです。

きっと、僕たち夫婦とのかけがいのない時間を、楽しんでいるのかもしれません。

 正直、もっと辛い現実を突きつけられる日がやって来るのでしょうが、せっかく、僕たち夫婦を選んで生まれてくれた命です。

 新しい治療法、新しい何かが起きる事を信じて、これからも親子三人で歩んでゆこうと思うのです。

 あきらめないで。
Posted at 2016/12/11 08:44:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日常 | 日記
2016年12月07日 イイね!
坂道 スロープを作る事。自由と現実の狭間で。 子供が生まれて、それまでマンション住まいだった僕も、自分がそうだったように、できれば子供が自由に遊べる庭があったほうがきっと良いだろう、できれば、家族三人が仲良く、たくさんの時間を一緒に過ごせる家があった方が良いだろと思うようになって、思い切って家を建てる事にした。

 正直、ある程度年齢が行っていたので、現実的に、そんなに長くローンだって組めない(組みたくない)って思っていたのだが、探せば、そうしたニーズにマッチした金融商品もあるもので、そうなると一気に実現に向けて、どんどんと夢と現実の間で家を建てる事の想像が膨らんだ。
 
 家の大きさは、家族三人が住める大きさがあれば良くて、でもクルマは二台止められるようにしたい。
そう思って、週末の時間を使って、家族で、たくさんの業者に会って、たくさんの物件を楽しむように、気付けば、あっという間に数十件の土地を見て、今の場所に巡り合って、この土地を買う事にした。

 土地が決まれば、後は家の姿を決める事になって、小さくても、できるだけ家族みんなの意見を入れて、外壁も壁紙も、色や形などを自由に選んで、街の設計事務所にお願いして、どんどんと実現に向けて最初は図面上に新しい家を形作った。


小さな家だけど、家族みんなの夢や希望であふれている。それはタイル一枚一枚の色や形、全体の姿形なのだが、玄関回りも、そうした家族の思いが込められていたのだが。

 もちろん、玄関の階段のタイルも、お気に入りのモノを、家の壁紙や部屋の形もこうだったら良いねと言う感じで決めていった。


子供が幼稚園の頃。初詣の帰りに記念に一枚。まだ、子供は歩けたし、病気の事は何も分からなかった。

 家を建てて12年目の秋。

 さすがに12年という月日は、できた時のぴかぴかとした綺麗さは無くなってしまったが、それでも汚れが付いたりしたら、水を流して、磨いて来た甲斐もあって、そこそこの綺麗さを保っていたのだが、そこにコンクリートを打ってスロープを付ける事を決意した。

 ここ数カ月は、ホントに忙しくって、家に帰るのは終電前二つめか、ひとつ前の電車が殆どで、日付が変わるか、変わってしまう時間がほとんど。

 そうなると、以前の様にブログだって書けないし、書けたとしても週末に一つか二つが精いっぱいの状況。

 その日の前日も、日付がまさに変わろうという時間に帰宅したのだが、そこには玄関の外灯に照らされた、家族一人ひとりの歴史が刻まれた階段が僕の帰りを待っていた。


工事の前の日。相変わらず日付が変わるかという時間に帰ってくると、階段がなんだか寂しそうで・・・

 淡いベージュに近い色合いの、優しい雰囲気が好きだった玄関先のタイル貼りの階段も、その日が来る事を悟っているのだろうか、なんだか寂し気に、外灯のぼんやりとした明かり照らされていた。

 そんな家族の思いが詰まったタイルたち一枚一枚を、僕は愛おしく撫でてやった。

そして運命の日がやって来た。職人さんたちは、約束の時間ちょうどにやって来て、てきぱきと作業を進めて、あっという間に型枠が作られ、スロープが接する部分は、軽く「斫って」、よいよコンクリートが流された。


日付が変わって、約束通りの時間に職人さんがやって来て、型枠を作って・・と淡々と、手際よく作業は進んでゆく。

 まったく、躊躇することなく、コンクリートは「坂道」の形になってゆき、アッという間に、


手際よく作業は進んで、家族の思いが詰まったタイルや階段は見えなくなってしまった。

家族の思いが詰まったタイルや、子供が小さなころは、一生懸命に、たった二段だけど一歩一歩踏み締めて上がった階段も冷たいコンクリートの中に埋まってしまった。

また、ひとつの家族の時間と歴史が無くなってしまった瞬間だった。

 コンクリートが固まるまで、そこを行き来しつつも、形が崩れたりしないように、コンクリートの上に、本当に絶妙にコンパネや角材を使って、職人さんが「スロープ」を作ってくれた。


コンクリートが乾くまで、玄関の出入りや、クルマ椅子でも昇り降りができるように職人さんが即席のスロープを作ってくれた。

 簡易と言っても、その造りはしっかりとしていて、大人の僕が乗ってもびくともしないモノだった。

 スロープを作った同じ日、家の中でも実は別の工事を進めていた。「手すり」を付ける工事だ。


何もなかった壁に、次々と手すりが付けられてゆく。それは僕たち大人のモノではなく・・・・

 家の中の要所要所に、しっかりとした「手すり」がどんどんつけられてゆく。

 それは、大人のモノではなく、子供のためのモノだった。


玄関にも、お風呂場にも、家を建てた頃には想定もしていなかった「手すり」を付けざる得なくなってしまったのだ。

 玄関にも、お風呂場にも「手すり」が付けられて、家の中の雰囲気が一気に変わってしまった。

 それから数日後、簡易のスロープや型枠が分解され、新しい家の姿があらわになった。


相変わらず帰宅は日付が変わりそうな時間。家の景色がずいぶんと変わってしまった。

 これで、雨の日も、玄関までギリギリまでクルマ椅子で移動できるね。

 後は脱輪防止や仕上げが少し残っているけどほぼ完成。

 ある人は言ったっけ。

「家は生き物。時間とともに姿形が変わるのは自然な事」

でも、たった半年で、歩く事も、立ち上がる事も出来なくなってしまった君の事を思うと、元気に階段を昇り降りしていた君の姿を思うと、僕はやっぱり切ない。

 さらに、それに輪をかけて、日付が変わる様な仕事の変化や、こうした身体が不自由になった子供の為に、すべてではなく、何とか参加できそうな時に、少し時間をずらすとかお願いしても、返事もなく、さらに、そうした状況をあざ笑うかのようなブログやコメントを残す連中もいて、本当に、まだまだこの国には正義というモノはないんだと思い知ってしまった。

 本当に、この半年という長くも短い時間は辛かった。

 その日が来ると知っていたが、いざ、その瞬間がやってくると、どうしようもない気持ちや、こうしようもない無力感で、毎日を過ごそうとなるとは・・・・
Posted at 2016/12/11 07:15:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日常 | 日記
2016年12月03日 イイね!
単行 江ノ電タンコロ祭りに行く。 皆さんは江ノ電に動態保存されている「タンコロ」をご存じだろうか。

僕の記憶が正しければ、昭和の初めから江ノ電に納入された、電車たちが一両だけで運行されていて、つまり「単行」されている姿をして「タンコロ」と呼ばれるようになった・・・

 その初期の江ノ電の電車たち「100型」の内、108号車が江ノ電「極楽寺駅」近くの「極楽寺検車区構内」に動態保存され、一年に一度だけお披露目されるのが「タンコロまつり」という次第なのだ。

 実は、うちの子が、「タンコロまつり」を知ったのが、まだ自分で歩けた一年前の、祭りが終わった直後の江ノ電のHPだったのだ。つまり一年越しの見てみたいという念願だったのだが、様子が違ったのは、今年は病気が進行して、まったく歩けなくなってしまった事・・・クルマ椅子で行けるだろうかという不安があって、僕たち夫婦は知らなかったのだが、ひそかに(笑)江ノ電に

「クルマ椅子でも楽しめますか」

という問い合わせをしたらしく、後日、江ノ電から直接電話が入って、

「どうぞ、お越しください」

という返事をもらって、親子して「タンコロまつり」に行ってみる事にしたのだ。


小さな場所なんだが、電車や江ノ電が好きな人にとっては、まさに宝の山といった感じだ。: クリックで拡大

 当日は、できるだけ近くの駐車場までと頑張ったのだが、江ノ電の方に教えてもらった駐車場は残念ながら「満車」で、「極楽寺」の一つ先の「長谷駅」まで移動して、その近くのコインパーキングにクルマを入れ「長谷駅」から一駅だけ江ノ電を利用して「極楽寺」まで移動した。

 長谷駅の駅員さんも、とての親切で、クルマ椅子の為にゲートをわざわざ開けてくれたり、「極楽寺」のドアはこちらが開きます」などとアドヴァイスをしてくれて本当に助かった。
ただ・・・「極楽寺」では、よほど忙しかったのだろう、切符を直接駅員さんに渡さないといけなかったのだが、手前の「切符入れ」に僕が入れてしまったら 「何してんですか!!」 とえらく怒られてしまった。(大泣)

 「ホント、びっくりしたねぇ」なんて、こどもと怒鳴られたことを引きずりながらも(苦笑) 「極楽寺」 駅からは、クルマ椅子でも簡単に移動でき、すぐに「極楽寺検車区」に着いたのだが、いやぁ11時くらいの到着だったのだが、あまりの人の多さに少々面食らってしまった。

 それでも、クルマ椅子の僕たちを見つけると、「何か困った事があれば、なんでも声を掛け下さい」 と気を使って頂いて、なんとか写真も、グッヅの販売も、人の波が引くのを待ってなんだが、無事に終える事が出来た。

 
あまりの人の多さに面食らったが、一年越しの念願がかなって「タンコロ」と記念撮影ができた。

 本当は、「タンコロ」に乗ってみたかったらしいのだが、あまりの人の多さと、やはり身体のハンディを思い知られたらしく、ちょっと涙目になって、「やっぱり僕乗れないよ」と言ったきり、僕が背負ってやるからと言っても、「やめとく」と言ったのがちょっと悲しいかった。

 気を取り直して、改めて周りを見ると、他のこうした電車などのイヴェントと違って親子連れ、子供が多い事に気付いた。

 今回の「タンコロまつり」の目玉の一つが「巡回用EVカート乗車体験」だ。


手作り感満載のカートなんだが、これがまた子供たちに大いに受けて乗車に長蛇の列が(画像は江ノ島電鉄のHPより)

 「巡回用EVカート乗車体験」には整理券が必要なんだが、それでも長蛇の列で乗車の順番待ちが続き、並んでいてもカートが動く様子を、目をらんらんと輝かせて子供たちが、その動きを追っているのが印象的だった。


カートに乗った子供たちの笑顔も印象的なんだが、それを見ている順番待ちの子供も、親たちも満面の笑みで動きを追っていた。

 ところで、今回動態保存されている108号車をまじまじと見たのだが、僕は一枚のプレートを見て胸が熱くなってしまった。

「新潟鉄工所」

 思わず僕は108号車の車体をいとおしく撫ででしまった。


「新潟鉄工所」。君は僕の先輩たちが心血注いで作られた子供たちの一人だったんだね。

砕氷船初代「宗谷」のエンヂン、イラクの製油所のプラントで、


1970年代、灼熱のイラクで新潟鐵工は石油プラントを作った。それが今でも活躍しているのだ。

池上彰と歩く「日本ができるイラク復興」
http://special.nikkeibp.co.jp/as/iraq/vol3/page2.html

その名を何度か見たが、今回の感動はそれ以上だった。

 かつての新潟マンの一人として、日本のモノづくりを担ってきた自負はある。ただ、不幸にして一夜にして新潟鉄工は無くなってしまったが、それでも、自分が関わって来た施設の一つ一つ、先輩方が形作って来たすべてのモノに対する愛着は忘れてはいない。

 こうして、今も大事に多くの人に愛されている姿を見るにつけ、僕はモノづくりに関わって来たことに誇りと感謝の気持ちでいっぱいなのだ。

 子供の一年越しの念願と、僕の自分史の1ページに触れる事が出来、本当に充実した時間を過ごすことができた。

 そして、何より、クルマ椅子で不自由な親子に対して、できる限りの精一杯の対応をして頂いた江ノ島電鉄の皆さんの熱意と思いやりに心から感謝したいと思うのだ。

 ありがとう。

そして、これからも、ますます多くの人たちの笑顔と幸福を、安心安全に運んで頂けることを切に願って。
Posted at 2016/12/04 14:58:40 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日常 | 日記
2016年11月26日 イイね!
鉄板 突然お好み焼きが・・・ 昨日、TVで広島のお好み焼きが出ていた。

間違っても「廣島焼」なんていう紹介が無かったのが良かった。広島だろうが、東京だろうが、「お好み焼き」は「お好み焼き」。

「廣島焼」なんていう食べ物は存在しないのだ!!

という事で、番組を見ていると急に「お好み焼き」が食べたくなり、今晩の我が家は、急きょ「お好み焼き」になった次第なのだ。(苦笑)

 広島風の「お好み焼き」と言えば、基本は生地をクレープ状にしてなんだが、そこからのプロセスには家庭ごとの順番があって一概に言えないのだが、ウチの場合には、

 まず、これは王道なんだが、クレープ状の生地からスタートする。

生地をクレープ状に伸ばし、その上に野菜やお肉などを載せる。好みによっては、さらに「イカ天」や「冷やしご飯」なんていうヴァージョンも存在する。


これは、もう王道なんだが、最初に生地をクレープ状に伸ばして、その上に野菜肉などを載せるのだ。

 最初に焼き始めた生地の上に、野菜、お肉を載せ、ウチの場合には、その段階で隣で焼きそばを焼く。

焼きそばでなく「うどん」というヴァージョンもあって、その際には「肉・玉・うどん」という略称となる。


広島風には欠かせない麺類の投下に備えて、最初の生地の隣で「焼きそば」をほぐして焼く。

 途中の写真を撮り忘れたのだが・・・

焼きそばを焼く間に、生地に載せた野菜と肉に、つなぎの生地をたら~りとかけて、ひっくり返し、焼きそばが好い加減になったら、その上に載せる。

 載せたら、その隣で卵を割って、卵で生地を作り、さらに、焼きそばに載っけた、生地・野菜・肉・焼きそばの連合軍を、その卵の生地に載せて完成!!


これが我が家の 肉・玉・そば のお好み焼きだ!!

 トッピングは、「青のり」、「鰹節」などなどが一般的だが、ネギなどを載せてもなかなか美味しいものだ。


ネギとかも載せるのも、結構おいしいモノだ。

最近は、どこにいっても広島風の「お好み焼き」の看板が出ているが、正直、なかなか、これは!と思えるものが少ないし、なんだか、やたらと値段が高いモノが多くて残念な気がするものだ。

 広島へ行けば、一般の家で、昼間、おばちゃんが近所の人や子供を相手に、のんびりと、しかも安くてお腹いっぱいになる「お好み焼き」を堪能できるのだが、こっちでは、どうしても「特別」なモノになってしまうのは、ちょっと悲しい気がしたりするものだ。

 お行儀が・・・なんていう声も聞かれるが、ソースやマヨネーズで、お好み焼きの表面に、絵をかいたり、文字を書いたりして楽しむのも家庭で焼く、「お好み焼き」の楽しみなんだが・・・

 そんな事をツラツラを思いつつ、家族で「お好み焼き」をつついている次第なのだ。
Posted at 2016/11/27 14:15:28 | コメント(3) | トラックバック(0) | 食べる | グルメ/料理
2016年11月25日 イイね!
凍結 50数年ぶりの11月の積雪のあった日の翌朝は朝四時の相模原。

50数年ぶりの11月の降雪のあった翌日の朝です。

路面は意外に凍結していませんが霜が凄い!!

クルマのボディもカチカチになっています。

ただ、日陰で融雪などで濡れている所は、やっぱり凍結気味。

気を付けて外出しましょう。
Posted at 2016/11/25 06:17:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日常 | 日記
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「後視 いやぁこんなに簡単なバックカメラがあったなんて!! http://cvw.jp/b/124785/23876370/
何シテル?   01/04 14:54
無類のクルマ好きで、日産車を愛してやみません。 徳小寺 無恒のHNを引っさげ、かつての愛車、ワインレッド・パール・ツゥートンのU14ブルーバードの話題を軸...
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