2014年を語る上に無くてはならないのが、やはり、「日産創立80周年グランドフィナーレ」に足を伸ばしたことだろう。
久々に日産がらみのイヴェントに参加できたことも然る事ながら、その中で行われた日産の、最近の言い方で言うと「レジェンド」たるお二方のトークショウに参加できたことだ。
内容的には、日産のパイクカーを振り返るというモノだったのだが、その中に、日産と言う企業を知るエキスがふんだんに散りばめられていたような気がするのだ。
まず、トークショウに参加して頂いた日産のレジェンドの両名なんだが、まず一人目は日産のデザイン部門で名を馳せたデザイナーは多くいるが、その中のおひとり 「清水 潤」氏だ。
真ん中の方が清水氏。かつて氏が担当した名車たちの姿を見ながら紹介が進んだ。
清水 潤 氏と言えば、僕的には230セドリック を思い浮かべてしまう。シンプルでありながら、流麗さと高級車足る風格を具現化した名車だと僕は思っている。
そして、もう一名は 「野口 隆彌」氏 だ。
申し訳ないのだが、座った位置の関係で、氏の姿を鮮明に捉えた写真が無いのだが、
向かって右側の方が野口氏。僕の中ではサファリラリーの記念写真に写っている姿が印象的だった。
野口氏と言えば、日産がプリンスと合併する直前、第三回日本GPに向けた開発したプロトタイプのレーシングカーの製作に大きくかかわった事を思い出す。
その両氏によって、日産のパイクカーがどうやって発案され、どうやって市販を迎え、その後にどんな影響を与えたかを丁寧に、楽しく話して頂いたのだ。
このトークショウを、全て書き込むととんでもなく長くなってしまうので、皆さんが興味を持つだろう面白いネタを2~3ご紹介してご容赦願いたいと思うのだ。
まず、日産のパイクカーと言えば第一弾の「Be-1」が思い浮かべられるだろう。
初代マーチをベースにして、1987年1月から限定10,000台で売り出されたクルマだ。その人気たるや今では想像できないだろうが、芸能人にも「だれが一番に乗るか!?」で話題になったり、とんねるずの石橋貴明と木梨憲武が同時に乗っていた事も有名な逸話だ。
そして、その車名の「Be-1」なんだが、実は、深い意味は無く、デザインの提案コンペの「B-1案」が採用されたので、それを読み替えて 「Be-1」 となったのだ。
デザインコンペの「B-1案」から「Be-1」へ。当時は何で「Be-1」なんだって話題にならなかったよなぁ・・・何故か。
そして、今回のトークショウで僕が一番聞きたかった事・・・それは、もう十年近く前に、たまたま日産の役員をされていた方から、「Be-1」の開発には「櫻井眞一郎」氏が関わっていたというハナシを聞いていたのだが、今回、両氏の会話の中で、その事が明確になった事だ。
市販化に向けてのバックアップや、コストの算段で、櫻井氏が大きく関わっていたという事を明言されたのだ。僕は、その話だけでも十分にこの集まりに来た甲斐があったと感じたくらいだ。
そうそう、「Be-1」と言えば、外販パネルに樹脂を採用した事が大きく話題になったのだが、その真相は一年と言う短期間で、さらに少量生産という条件も付けて立ち上がるには、樹脂パネルを使わざる得なかったという事だったのだ。
専用の部品、材質がふんだんに使われているのは、逆に短期間に決められた数だけ作る為に必要だったのだ。それをコストと両立した熱意は凄いモノだ。
この後もパイクカーについてのトークは続いたのだが、三代目の「フィガロ」のデザインの源流が実は
フィガロのデザインの減流がDATSUN 14型ロードスターと言うのは知らなかった。
DATSUN 14型 ロードスターと言うのは正直知らなかったので非常に参考になった。
パイクカーが残した色々な財産のハナシも面白かったが、あれだけ巨大な企業の中で、如何に自分のコンセプトや考え方を生かして、伸ばして、実行させてゆくかという企業人としての努力も然る事ながら、何を考え、どうしようかと悩んでいた当時の日産と言う企業の姿も垣間見れた。
トークショウが終わって、現代のR35GT-Rの周りに参加者が集まったのだが、他には無い唯一無二の形と個性が、このR35には確かにあると再び感じた。ただ、それが後世になってどう評価されるのか名車としてなのか、それとももう少しデザインがなのか、
トークショウの後、多くの人が集まったR35GT-R。エンヂンを始動したがZ432やかつてのL20の様な鼓動は感じられず、粛々と回っているだけの様子に時代を感じた。
ここでも、改めてエンヂンを始動させたが、Z432のS20やKGC10のL20の様な鼓動は無かった。粛々とアイドリングを続けるVR38DETTに時代を感じさせた。
2014年の締めに、このようなイヴェントに参加できたことは本当に有意義なモノだった。ただ、今の日産車のラインンップを観て、現実的に欲しいと思えるサイズと価格のクルマが無いのも事実だ。
ニツァン難民の一人として、過去ばかり振り返ってはダメだと分かっているモノの、久々に触れた懐かしい日産車を観ていると正直感慨深いものがある。
2015年はどんな年になるのだろうか。
電気仕掛けのクルマ大いに市場を占有している最中、マツダは内燃機関の根底の見直しを行って、新たな境地を見つけつつある。
日産は何処に行こうとしているのか。
満月の輝く、日産グローバル本社を見ながら、色々な思いで会場を後にしたのだ。
Posted at 2015/01/01 09:13:20 | |
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